第3章 甘党と結ぶ先

第21話 お義母様って呼んで!

 ――西洋菓子博覧会に侵入者!? 目的は金か要人の命か?


 やけに太いゴシックフォントが一面を飾る。

 届けられていた朝刊には、あの日の出来事が大々的に掲載されていた。


 軍と警察が従業員に箝口令かんこうれいを敷き、目撃した来賓にも丁寧な説明を行ったはずだが、醜聞好きと目端の利く者はどこにでもいるのだろう。

 幸い、具体的なことや個人を特定できそうな情報はないものの、九年ぶりの西洋菓子博覧会開催と相まって、大きな話題となっているようだ。


(やれやれ。これは外務省に苦情が来ないことを祈るばかりだね。噂好きには困ったものだよ)


 そんな新聞を卓袱台に放り投げ、幾分と冷え込みが強くなってきた廊下を、翔和とわは歩いた。

 手には細長い茶封筒が握られ、面持ちはどこか神妙だ。

 と、その途中、彼の視界に奉公人たちと一緒に庭の落ち葉を掃く雅月あづきの姿が入った。


「雅月、絶対に凛子りんこさんの視界から外れちゃダメだよ」


 それを見つけた翔和はガラス戸を開けた途端、竹箒を持つ雅月に、念を押すように声掛けた。

 西洋菓子博覧会から帰宅して以降、彼は雅月に対する過保護を加速させ、今や何をするも基本一人を許さないようになっていた。

 彼女を守るためにはそれが最適と心得ているのだが、頷いた雅月はどこか曖昧な表情をしている。


「はい、翔和。それより、斯様かような時間に珍しいですね。呉服屋の方に居なくてよろしいので?」

「うん。ちょっと別件で仕事をね」

「そうでしたか」

「部屋にいるから、何かあったら呼ぶんだよ? あと、勝手に屋敷の外に出ないでね」


 すると、雅月の問いに柔らかく笑った翔和は、三度念を押すように言葉を紡いだ。

 十八歳の女の子に対する扱いとして、多少過保護な自覚はあるけれど、彼女に何があるか分からない以上、信用できる者の傍にいてもらうに越したことはない。

 コクリと頷き、掃除に戻る雅月を見守った彼は、戸を閉めると再び廊下を歩き出した。


(本当は四六時中自分の傍に置いておきたいんだけれど……)


 だが、それを昨日家にやって来た裕也ひろなりに相談したところ「無自覚溺愛からヤンデレに進化してる……」などとぼやかれてしまった。

 “やんでれ”が何かは知れないが、どうやら監視紛いの束縛はやめておいた方がいいらしい。

 手本にと差し出してきた春本は即座に突き返してやったが、彼女にこれ以上傷ついてほしくないのは本心だ。危険な目に遭わせないためにも、自分が傍で守ってあげなくては。



「さて、ほかにも色々と僕ができることをしないとね」


 新たなる決意が変な方向に向かっていることなどいざ知らず、自室に戻った翔和は持っていた茶封筒を開封し、小さく呟いた。

 封筒には二枚の便箋が同封され、武骨な文字がびっしりと並んでいる。宛名面は見えないものの、彼の表情を鑑みるに、よほど重要な書類のようだ。


(うーん……)





 そのころ。朽ち葉色の紅葉や桜の葉をせっせと掃き、小高いお山を完成させた雅月は、わざわざ仕事の合間を縫って手伝いに来てくれた奉公人たちと朗らかに会話をしていた。

 御代みしろ家に植えられた落葉樹は庭全体に及び、毎日掃いても終わらない。

 だからこそ、翔和の計らいはありがたいと思っていたのだが、その一方、買い出しにすら一人で行けなくなってしまったのは痛手だった。

 もとはと言えば、借金を肩代わりしてくれた恩を返すため、雅月は家事全般を行っていたのだ。それを奉公人にさせてしまっては、恩返しも形無しである。


「ありがとうございました、凛子さん、藤乃ふじのさん。お仕事お忙しいでしょうに、恐縮です」

「いえいえ、お役に立てて何よりでございます」

「それにしても、翔和様ったら、よほどお嬢様が大事なのですねぇ。ふふ、羨ましいですわ。随分と冷えてまいりましたし、お部屋に戻ってお茶のご用意でも致しましょう」


 しかし、杏子あんこのことや不安要素を知らない彼女たちは、朗らかに笑う。

 初めこそ、素性のしれない雅月に警戒心を見せていた奉公人たちだったが、毎日楽しげに純喫茶やカフェーへ出掛ける翔和を見ているうちに、その気持ちは廃れていったらしい。

 今ではすっかり翔和の大事な人として扱われ、番頭には早くも若奥様と呼ばれる始末だ。

 嬉しいやら気恥ずかしいやらの気持ちを抱え、雅月は玄関へと向かう。



「あら、ちょうどよかったわ」

「……!」


 すると、玄関へ回った途端、小道の向こうから砂利を踏む足音が聞こえてきて、たおやかに笑む涼佳すずかが姿を現した。

 余所行きの着物にショールを羽織った彼女は、優雅に手を振っている。


「御代夫人! ご無沙汰しております」

「元気そうね、雅月ちゃん」

「はい、おかげさまで。翔和にご用事ですか? 彼なら部屋に居りますので……」

「ふふ、いいえ。今日は雅月ちゃんに会いに来たのよ。時間作れるかしら?」


 風呂敷に包んだ小さな荷物を手に傍へとやって来た涼佳は、今にも翔和を呼ぼうと玄関を開ける彼女に問いかけた。

 まさか来訪目的が自分だとは思わず、雅月は目を瞬いてしまったが、夫人のお誘いを断れるわけがない。

 二人して居間に入り、淹れてもらったお茶を前に向き合うと、涼佳はお土産にと持参したカステラを一口含んだ後で、緊張した様子の雅月に笑いかけた。


乙姫つばきへの旅行は楽しめたかしら? あの子ったら、一言も感想を送って寄越さないから、こうしてつい、会いに来ちゃったわ」


 部屋にいるであろう翔和の方に目を遣り、悪戯っぽく言ってきたのは、先日の西洋菓子博覧会のことだった。

 そう言えばあの招待状は、御代本家経由で翔和の元に届き、涼佳の言伝で雅月も同行したのだ。

 感想を求められていたとは知らなかったが、慌てて背筋を伸ばした雅月は、丁寧に頭を下げた。


「あっ、はい。私までわざわざ同行を許していただきありがとうございました。その、旅館もとても素敵で、西洋菓子博覧会では翔和はたくさんの甘味に、目を輝かせておりました」

「まぁ、そっちは予想通りね。翔和との仲はどう?」

「へっ? あっ、乙姫の観光もして、と、とても楽しませていただきました……!」


 すると、意外と直球で聞いて来る涼佳に、雅月は頬を染めてしどろもどろに呟いた。

 もちろん話に嘘はないけれど、美しい景色を誇る縁結び神社で口づけを交わしたなどという事実は、翔和の母親には絶対に言えない。

 だが、朱に染まる彼女の反応に満足したのか、夫人は優しく笑って。


「そう、よかった。なら私としてはすぐにでも結婚準備! と言いたいところだけれど、踏み切らないことには理由があるのかしら?」

「……!」

「ああ、翔和の度胸が問題なら、私が遠慮なく喝を入れるわ。でも、例えば杏子ちゃんのこととか、何か心配事があるのなら聞かせて欲しいの」


 二人の気持ちが離れているわけではないことを悟りつつ、ゆっくりと笑みから真剣な表情に切り替え、涼佳は穏やかな声音のまま聞いた。

 流石母親と言うべきか、一部始終を知っているせいかは分からないけれど、結婚をのらりくらりとかわそうとする翔和には、渋るだけの何か別の理由があると、気付いていたようだ。


 卓袱台の下でぎゅっと手のひらを握りしめ、雅月はどうすべきか迷う。


 だが、御代家自体に火の粉が降りかからぬよう、涼佳にはちゃんと話すべきではないだろうか。結果、もしかしたら結婚を認めたくないと言われる可能性もあるけれど、この優しい夫人にも迷惑はかけたくない。

 しばらく逡巡した後で、雅月はそっと口を開いた。


「御代夫人、あの……」

「涼佳でいいわ。むしろお義母かあ様って呼んで……! 天宮あまみや家の事情は多少知っているつもりだし、二人の想いが離れない以上、私は全力で応援するわ。さ、何でも話してごらんなさい!」


 にこりと豪快な笑みで拳を突き上げ、涼佳は雅月の不安を拭うように、力強く言う。

 流石にお義母様は早い気もするのだが、当人は娘が欲しかったらしく、期待に満ち溢れた顔をしている。

 実母との思い出はなく、後妻であった杏子の母親とはほとんど話した経験のない雅月にとっては、嬉しくもこそばゆい思いだ。


「ありがとうございます。で、ではその、お義母様……」

「きゃー良い響き! 何を語られても受け入れる覚悟ができたわ!」

「恐縮です。え、えっと実は……――」



 何からどう話すべきか。迷いながら雅月はゆっくりとすべてを打ち明けた。

 お家の没落、杏子に押し付けられた莫大な借金と、取り立てに来る男たちから逃げていた三年間。そして、肩代わりを申し出る翔和に救われ始まった、この生活のこと……。

 言葉につかえながら、それでも懸命に。時折語尾を震わせながら紡ぐ彼女の言葉を、涼佳はただじっと聞いている。


「……そう。辛い思いをしてきたのね」


 やがてすべての話が終わると、涼佳は雅月を横抱きにして、労わるように優しく頭を撫でてくれた。

 突然のことに雅月は驚いてしまったけれど、上品な香りと手の感触に安心して、コクリと頷く。初めて感じる母のぬくもりに、胸がいっぱいになって――。





「おや、母上。いらしていたのですね」


 それから先もぽつりぽつりと話をしていると、一時間ほどして部屋に籠っていたはずの翔和が姿を現した。

 卓袱台の前で額を寄せ合う二人を、翔和は珍しいものを見つけた顔で見つめている。

 だが、そんな息子に余裕の表情を浮かべた涼佳は、楽しそうに笑って。


「未来の義娘むすめと話したくて来たのよ。今日翔和に用はないわ」

「酷い人だ。僕だって雅月と甘味処に行こうと出てきたんですけれど」

花奈はなな屋のカステラを買ってきてあげたから、今日はそれで我慢なさい。私はもう帰るわ。あとは二人でゆっくりね」


 用なし扱いに肩をすくめる翔和から雅月に視線を移し、涼佳はもう一度にこりと微笑んだ。

 そして、見送りに出る二人と連れだって歩き、玄関で別れる。


 最後に振り返った彼女は、母親の顔で翔和を見つめ、はっきりと言葉を紡いだ。


「翔和。雅月ちゃんを大事にするのよ。すべてが解決したとき、あなたたちから結婚報告があることを願っているわ」

「……!」

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