第18話 乙姫は意外と物騒でした

 ありきたりな誘い文句が聞こえてくる。


「オウオウ、そこの別嬪さんたちよぉ、わいらと遊んで行かねぇか~?」

「…………」


 二人が下賤げせんな輩に絡まれたのは、乙姫つばき観光と、二件目のカフェーを出た後のことだった。

 旅館近くまで真緒まおに送られ、あとは通りを曲がるだけだというのに、この間の悪さは一体何だろう。菫色の空を仰ぎ、翔和とわの口からため息が漏れる。


「どこの誰かは知らないけれど、遠慮させてもらうよ。僕らはもう観光を終えて旅館に戻るところだからね」

「釣れねぇにぃちゃんやなぁ。普通の観光じゃ味わえねぇコト、教えてやるってのに」

「フフ、僕らには必要ない。気が済んだらその道を……――」


 汚れの目立つ着流しに無精髭。煙管キセルくわえたその姿は、ありきたりな破落戸ゴロツキそのもの。穏便に済むなら良しと、雅月あづきの手を握ったまま終始笑顔で会話をしていた翔和はしかし、いきなり飛んできた拳に、するりと身を翻した。

 目の前にいるのは体格のいい四人の男たちだが、先程までの下卑た様子と違い、目には少々狂気が宿っているようだ。


「はぁ。譲る気はないということかい? 人目のある通りで利口な選択とは思えないね」

「うるせぇ! どうせ兵役逃れの甘ったれだろう。大人しく言うことを聞――」

「聞くわけないだろう?」


 前傾姿勢でこぶしを振り上げ、いきなり仕掛けてきた男に、翔和は笑顔のまま断言した。そして拳をかわしがてら着流しの襟を掴み、華麗に男を投げ飛ばして見せる。

 自分が御代みしろ家の跡取りという立場上、兵役を逃れたのは事実だが、剣術・柔術に精通した彼に、破落戸など敵ではなかった。


「雅月は僕の後ろにいるんだよ。必ず守り抜くからね。手出しは禁止」

「は、はい」



「――これは一体何の騒ぎだ!」


 拳を受け止め、躱し、脚をかけては投げ飛ばす。雅月を徹底的に守りながらそんな技を繰り返していると、しばらくして通りの向こうから警官たちがやって来た。

 先導しているのは先程別れた真緒のようだが、彼は地面に伸びた男たちを見つめ、事情を悟ったらしい。軽くパンパンと手を叩き、いかにも対峙した風の翔和にすぐさま駆け寄って、困惑したように問いかけた。


「こんな旅館の目と鼻の先で絡まれたのか?」

「うん。どうやら乙姫の破落戸は忍ぶことをしないらしいね。おかげで人前で対峙する羽目になってしまったよ」

「そうか……」


 面倒そうに肩をすくめ、些末な事象を説明するように話すと、真緒は雅月の無事も確認しながら頷いた。なんだか訳知りのようだが、大衆の面前で話せる事情ではないらしい。


楠田くすだ梅野うめの、こいつらを警察署に連行して、情報を吐かせてくれ。こちらの二人には俺から話をさせてもらう」


 同席していた警官たちに指示を出し、意味ありげな眼差しで翔和に目を遣った真緒は、場所を変えたいと彼らを促したのだった。





「――……西洋菓子博覧会に来場予定の賓客を狙う奴ら?」


 旅館桐花きりばなの客室に戻り聞かされたのは、随分と物騒な話題だった。

 四角い卓子を前に向かい合って座り、呑気に金平糖を頬張る翔和に、真緒は重苦しく頷いて見せる。その横で、雅月は丁寧にお茶を淹れていた。


「ああ。警察官われわれも、情報を得て警備を強化……あっ、お嬢様、私になどお気遣いいただかなくてよろしかったのに……!」

「あちっ、だからこの街、やたら警官の配備が多いのかい? だけど、そこらの破落戸に、厳重な警備で守られている賓客を、どうにかできるほどの度量があるとは思えないな。現に僕でも撃退できたわけだし」

「相手が素手ならな。だが、銃刀を持ち出されては敵わんだろう」


 慎ましやかにお茶を出し、畏れ多さに慌てる真緒と、いつも通りの翔和を交互に見遣りながら、雅月は静かに話を聞き続けた。


 どうやら今回の西洋菓子博覧会には、我が国の華族をはじめ、西欧諸国の賓客、さらには帝国視察の一環として、とある国から王族の一行が来られるとの情報があった。

 それ故、誘拐等を通し金銭にありつこうとする不埒ふらちな輩が後を絶たないのだという。

 もちろん、会場となる施設の警備は軍を導入するほどの厳戒態勢をいており、各県から集められた警官たちも、市中の見回りを強化している。

 だがそれでなお、翔和たちに絡んできた破落戸のような類は、日を追うごとに増える一方だ。


「なるほど。自国の華族はさておき、欧州の賓客に傷でもついたら国際問題だ。すぐさま欧州の国際連盟から非難され、我が国は戦争という名の理不尽に叩き潰されることになるだろう。そういう考えができない連中の相手とは、ご苦労なことだよ」

「何を呑気なことを。御代家はここらでも名の知れた名家だ。翔和の腕を疑うわけではないが、十分に用心してくれ。傍にはお嬢様もいるのだし」


 もぐもぐと金平糖を頬張り、渋みの際立つ緑茶を時折含みながら、翔和は小さく頷く。

 明らかに自分には関係ないことと見限っているようだが、精霊加護の逸話を持ち、呉服屋として繁盛している御代家は、下手な侯爵家よりも余程富豪であることは周知の事実だ。そして、見惚れるほど柔和で甘い顔立ちの翔和は、一見して強そうには見えない。狙われる可能性は十分にあるだろう。


「はいはい、用心するよ。とはいえ帝国の軍と警察の警備があれば平気でしょ。僕、甘くない話には興味ないから、これ以上はいいや」

「……分かった。だが念のため、明日は会場まで送ってやる。車を用意するから、勝手に外出はやめてくれ」





 真緒の忠告を胸に留め、二人は残りの時間を旅館内でのんびりと過ごした。

 朝の体験を考慮し、就寝時はほんの少しだけ距離を開けて眠ることなったおかげで、彼らは無事、二日目の朝を迎える。

 柔らかな日差しが舞い込み、穏やかな秋の風が紅葉を躍らせる景色は、穏やかな一日を連想させた。


「わぁ、綺麗だね、雅月。やっぱり帝国の女性は着物が似合う」


 すると、西洋菓子博覧会へ向かうための支度を整え、呉服屋から持参した特別上物の振袖を纏う雅月に、翔和は嬉しそうに笑んで見せた。

 牡丹と芍薬をふんだんに描いた着物には、緋色から淡い紅色への濃淡がかけられ、時折散る金糸の装飾が、美しさを際立たせている。

 綺麗に髪をまとめ、母の形見である髪留めを付ける彼女は、いつになく愛らしく見えた。


「ありがとうございます。翔和も羽織袴、素敵ですね。スーツばかり見慣れてしまって、とても新鮮に感じますわ」

「フフ、僕はスーツでもよかったんだけど、母がどうせならうちの反物を宣伝して来いって言うんだ。ま、雅月に褒められたから満足かな」

「そうでしたか。夫人は本当に翔和を大事にされているのですね。羨ましい限りですよ」

「大事にというか、出しにされているだけのような……」



 笑顔で押し切ろうとする母の姿を思い浮かべ、やれやれと肩を落とした翔和は、お気に入りの高山帽を片手に雅月をエスコートすると、旅館の玄関広間へ向かって行った。

 そこには既に厳めしい顔をした真緒が待っており、明らかに周囲を警戒した様子を見せている。


「真緒お待たせ。その顔、客が逃げるからやめた方がいいよ」

「ああ、翔和。すまない。ついにこの日が来たかと思うと緊張してしまって……」


 口を真一文字に引き結び、釣り目がちの目と眉を命一杯吊り上げる真緒に、翔和は平時と変わらぬ口調で声掛けた。すると真緒は大きく深呼吸をした後で二人の方を仰ぎ見る。

 途端、美しい振袖を纏う雅月の姿に、彼の目が吸い寄せられた。


「……」

「真緒、行くよ。意外と時間厳守な博覧会、遅れるわけにはいかないんだから」


 それに気付いた翔和は、視線を断ち切らせるように前へ出ると、無理に真緒を急き立てた。

 実際、時間は十分にあるし、かわいい雅月が人目を惹くのは今に始まったことではないけれど、だからと言って見惚れさせるわけにはいかない。

 雅月は僕のものだ。





 真緒の反応に内心もやもやしながら旅館を出た翔和は、彼が用意した車に乗り込むと、ここから十五分ほどの場所にある西洋風の大きなホテルへとやって来た。

 美しく成形された庭園と、コの字型をした建物の中央付近に鎮座する大きな噴水に、思わず感嘆の息が漏れる。敷地周辺を厳重に固める武骨な軍服たちはさておき、豪華絢爛な装いに早くも胸が高鳴る思いだ。


「素晴らしいね。この美しい場所に、国内外二十以上の洋菓子店の甘味が集まっている。ああ早く、目で見て舌で味わいたい……!」

「まずは受付ですよ、翔和。しかし本当に美しいですね。まるで西洋のお城のよう。咲き誇る桔梗や菊の花も素敵で見惚れてしまいます」


 車から颯爽と降り、再び雅月をエスコートしながらエントランスに到着した翔和は、ほんの少したれ目がちの青黒い瞳を輝かせると、期待に満ち溢れた顔で微笑んだ。

 それだけ彼が楽しみにしていることは伝わるものの、近くには賓客と思しき異邦人や華族の姿も見受けられる。御代伯爵家の跡取りとして、翔和が恥をかくことがないよう、雅月は周囲を見ていなければと思った。


「翔和、俺はここまでだ。市中の見回りに戻る。夕方、今日の閉会時刻に合わせて迎えに来るから、存分に楽しんでくれ」

「うん。ありがとう真緒。助かるよ」





「……うふふ。見つけた」


 人前故か、律義な敬礼で去って行く真緒と別れた二人は、エントランスホールの西に設けられた受付へと歩みを進めて行った。

 だが、ホールの角からその姿を見ている人影が二つ。

 フリルとレースをふんだんにあしらった華美な赤色のドレスに派手な化粧、扇で口元を隠す彼女は、燕尾服姿の青年と腕を組み、彼らの様子を見つめている。

 黒目に、深い小豆色の髪を編み込んだ彼女は――杏子あんこだ。


「にしてもご立派な衣装だ。流石御代家。その美しさに、周りの連中は興味津々だな」

「翔和様はいいけど、お姉様に注目するなんて、見る目ないわね。早急に彼の隣からご退場いただきましょう。楽しみだわ……」


 そう言って遠くに見える雅月を睨み、杏子は不気味に笑う。

 どうやらこの博覧会、一筋縄では行かないようだ――。

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