第2話 変わり出す日常
妹に押し付けられた借金を肩代わりする代償として、帝都の甘味巡りを提案された
「……御代様は、今まで甘味巡りの際、どうされていらしたのですか?」
これもエスコートの一環なのか、握った手を離そうとしない翔和は、相変わらず呑気に棒付きキャンディを頬張っている。
「ん?」
「いえ。探していた、と言うくらいですから、これまでもカフェー等には行っていらしたのだろうと思いまして……」
だが、良家の子女として育ち、男の子と触れ合う機会などほぼ皆無だった雅月は、この状況に戸惑いを隠しきれないまま呟いた。
甘いものにしか興味を示さないと名高い彼に、他意はないと分かっているからこそ、こうして無表情を装っていられるものの、普通に考えたら、未婚の男女が手を繋いで歩いているなんて、変な噂になりかねない。
御代家のためにも、何か話題を振って、手を離してくれる方向性を模索した方が良いだろうか。
「ああ。少し前までは従妹に同伴してもらっていたんだ。だけど先日彼女の嫁入りが決まってね。ほんといい頃合いだった」
「そうでしたのね」
「あと、僕のことは翔和でいいよ。僕も雅月と呼ぶからね」
そう思って彼を見上げると、翔和は柔らかく咲笑う。
たれ目がちの品の良い目元に、すらりと通った
興味如何はさておき、結婚相手を探して、その女性に甘味巡りの付き合いをしてもらった方が得策ではないだろうか……などと冷静になった途端思った言葉が、口から出てこない。
自分の左手を包む骨ばった手の感触と言い、冷静を装いたいはずの雅月の心臓が、とくんと大きく高鳴った。
「あ、見えて来たよ」
すると、雅月の心情などお構いなしに手を引いた翔和は、やがて、立派な瓦葺き屋根の平屋を指差した。煌びやかな反物や小間物で飾られた店内は多くの人で賑わい、その繁盛ぶりが見て取れる。
雅月としては、久方ぶりとなる華やかな雰囲気に、少しばかり緊張を覚えたものだが、そんな彼女に声を掛けた途端、店先にいた番頭が翔和に気付いた。
「あっ。おかえりなさいませ翔和様。随分お早いお帰りで……。……。昼食を買いにお出掛けされた翔和様が女性を連れて来られるとは……どういう風の吹きまわしでしょう?」
礼儀正しく頭を下げ、翔和を見て、隣を見遣る。その行動を二回繰り返した番頭は、首を傾げると心底不思議そうに問うた。
これまでの人生で、翔和が見知らぬ女性を連れ帰って来たことは一度もない。
それどころか、母君が持ってくる縁談を見もせずに突き返してきたような彼が、あろうことか女性と手を繋いで現れるなど、前代未聞だったのだ。
「紹介するよ。みんないるかな? はい集合。こちら今日から僕の甘味巡りのお供をしてくれる雅月だよ。奥の屋敷に住まわせるつもりだから、みんなも顔を覚えてね」
「……!?」
「
接客がひと段落した合間を見計らい、店にいた奉公人を集めた翔和は、驚く全員の視線を一身に浴びたまま簡単に説明した。
そして、誰かが口を挟む隙も与えず、右端にいた中年女性に指示を出す。
藤乃と呼ばれた恰幅の良い女性は、翔和と雅月を交互に見つめ、心の底から戸惑った様子だ。
「あ。いえ、そんな……」
一方、翔和の言葉に、改めて自分の格好を見た雅月は、恥じ入ったように呟いた。
よく見るまでもなく、男たちに追われ、路地を駆けていた雅月は今とても汚れている。だが、助けてもらった上にこの待遇は、畏れ多いのではないだろうか。
「僕と一緒に歩くとき、うちの着物着ていてもらった方が宣伝にもなるからね。雅月はかわいいし、相互利益ってことで気にしないで。僕はもう一回昼食を買いに出掛けてくるから、そのうちに着替えておいてね」
そう思っているのに、翔和は雅月の心情さえ見越した顔で言うと、彼女を残し、もう一度店を出ていこうとした。
奉公人たちは、誰もが疑問を口にできないまま視線だけで彼を追っていたが、やがて躊躇いがちに番頭が「あの、翔和様……」と、口を開く。
正直、主が連れてきた女性とはいえ、素性も知れない少女を留めるのは、不用意なことだろう。格好を見る限り、貧しい一般市民のようだし、泥棒紛いの
「大丈夫。彼女の素性は分かっているよ。昔、うちと縁のあった
呑気に去って行く翔和の口調とは裏腹に、家名を聞いた途端表情を引き締めた奉公人たちの手によって、雅月は新しい着物と袴に着替えさせられた。
髪によく似合う紅紫を基調とした着物には、大きな牡丹が描かれとても美しい。ついでに髪も梳かしてもらい、母の形見である
上機嫌な笑みを浮かべた彼は、店の奥に座っていた雅月を見つけると、殊更嬉しそうに笑って。
「うん。よく似合っているね。僕の予想通り着物も映えるし、雅月もかわいい。さ、こっちへおいで。奥の屋敷へ案内するよ」
笑顔で手招きする相手が御代翔和でなければ、ときめいたこと間違いなしの褒め言葉に連れられ、雅月は店の裏手から渡り廊下を進むと、奥に建つ立派な書院造の建物に案内された。
雅月の生まれた天宮家が洋館だったということもあるけれど、回遊式庭園が広がる荘厳な雰囲気に、思わず感嘆の息が漏れる。
「美しい屋敷ですね」
「ありがとう。ここが僕の普段の住まいなんだ。本当を言えば、三軒隣に奉公人用の家もあるのだけれど、きみの部屋はこちらに作ってもらうね。今はちょっと散らかってるから、内部の紹介はあとにして、まずはお昼にしよう」
「……っ」
するとエスコートと言うべきか、いっそ小さな子供を導くような感覚で、翔和はまた彼女の手を握りしめた。
一度提案を呑んだ以上、逃げるつもりは毛頭ないのだが、もしかしてこれは、逃亡回避的な意味合いなのだろうか?
無意識に近い彼の自然な動作に、戸惑いながら心の中で理由を模索していると、雅月はしばらくして居間へ通される。定期的に奉公人が掃除をしているらしいが、室内は、いかにも一人暮らしの青年のものと言った感じだ。
「雅月には玉子と野菜のサンドイッチを買ってきたよ。甘いもの苦手って言っていたから、しょっぱいの選んできた。食べられるかな?」
それはさておき、凝った装飾が印象的な卓袱台の前に座り、いそいそと中身を取り出した翔和は、綺麗な和紙に包まれたサンドイッチを差し出した。和紙を留める
翔和の方は、水菓子やジャム、生クリームを挟んだ、どう見ても甘そうなものを取り出しているが、やはり借金を肩代わりしてもらった上にこの待遇は、畏れ多いのではないだろうか。
「気にしなくていいよ。あれは僕が個人で投資していたお金だから、店にも家にもなんの損害もないし、どう使おうが僕の自由でしょう」
「しかし」
「うーん、真面目だなぁ。なら甘味巡りの合間に、屋敷の家事をするというのはどうかな? 衣食住は提供する代わり、雇人のようにお給金は発生しないって条件なら、きみの罪悪感も減るだろうか」
差し出されたものをそのままにしておけず、つい受け取る雅月の問いかけに、翔和は悩んだ後で渋々それを提案した。彼としては本当に、雅月に甘味巡りのお供以外求めていないのかもしれないが、彼の気まぐれな恩に報いるためにも、出来ることは何でもすべきだ。
幸い雅月は、元華族としての花嫁修業はもちろん、この三年間一人で暮らしていた経験もある。きっとお役に立てるだろう。
「ありがとうございます。精一杯務めさせていただきますわ」
「よし、じゃあ食べよう。お茶……」
「淹れます」
「さて、じゃあここらで、きみの事情を聞いてもいいかな?」
台所の場所を教えてもらい、翔和がいつも飲んでいるというアッサムの紅茶を淹れ、居間に戻って来てしばらく。
お皿に出した苺と生クリームサンドイッチの上に、ジャムとメープルシロップをしこたまかけて食べるという、見るだけで胸焼けしそうな翔和の甘党ぶりを、呆気に取られたまま見ていた雅月は、彼の言葉で我に返った。
フォークとナイフでサンドイッチを切り分け、優雅に嗜む翔和の瞳には、幸せと同じくらいの真剣みが滲んでいる。そして、紅茶を一口含み、気を引き締めた雅月に、彼は真面目な声音で問うた。
「あんな額の借金、誰に背負わされたんだい?」
「翔和は、私が自分で作った借金だとは、思わないのですか?」
「それはないでしょう。この数十分でも分かるほど雅月は真面目だし、天宮子爵も浪費家ではなかったと記憶しているからね。さ、白状してごらん」
もぐもぐと幸せそうに咀嚼しながら、翔和は彼女の不安に即答した。
雅月を追う借金取りたちに貸借証明書を見せられたときも、彼は一切批判を見せずに対峙していたけれど、もしかしたら、天宮の名に、彼女の事情を察していたのかもしれない。
「……分かりました」
そう思うと、胸の奥にあった不安が和らぐのを感じながら、息を吐いた雅月は、ひとつ間を開けた後で口を開いた。
それは雅月にとって、本当は思い出したくもない過去のことだ。
三年前までは、雅月も普通の華族令嬢だった。
だけどその日常は、妹のある嗜好のせいで壊れてしまった。
「あの借金は、私の妹に押し付けられたものです。あなたと同じくらい、甘いものが大好きだった妹……。あの子は、甘いものを際限なく買うために借金を作り出しました」
「……!」
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