第2話 壊れた傘

 誰も私を止められない――。



「ちょっと、何してんの? 着替えも未だなのに、先にご飯食べてからにしてちょうだい」


 まさに電光石火。私が居間から数歩、歩くうちに見事に母親に捕まってしまった。

 う~ん、母親、恐るべし。私の行動パターンを熟知している。止められてしまった。ガ、ガーン! ビヨーン。ガチョ~ン!


 母に怒られ半分ヤケに、そして渋々朝食を取る事となった。


 朝食を取っている時、ふと窓の方を見てみると、「ピチャ・ピチャ・トントン」とリズムに乗った雨音が聞こえてきた。雨樋が外れているのか、まるで祭りの囃子太鼓の様に聞こえて来るから、不思議と心が躍ってしまう。


 早く外に出たい。そう思うと慌てて朝食を終え、自分で幼稚園の制服に着替える事にした。制服といったって、ジャージだ。いつもなら、母に着替えを手伝ってもらっているが、一分一秒でも早く外に出たくて仕方ないから自分でやる事にした。


 服を脱ぐが、上の服が頭から抜けない。軽いパニックになりながら、下のズボンも同時に脱いでみた。 


 中々、思う様にならない。ひっくり返って、まるで芋虫の様に、もごもごしている。服の隙間から見ると姉が呆れた顔でこっちを見ている。 


「見るな~見るなら助けてくれ———!」


 大声で叫びながら暴れていると、やっと上下の服が脱げた。


 次は着る番だ。一気に行くじょ——!


「お母ちゃん~りん、一人で着替えたで~。ほら見て~」


 得意げに一人で出来た自分の着替えを母に自慢していた。


 それを見ていた祖父は笑って私に話しかけてきた。


「ワッハッハ……りん、上手に着替える様になったのう。じゃけんど、良く見ると、上も下も後ろ前じゃ。これじゃあ、幼稚園に行ったら笑われるけん、爺ちゃんがもう一度、着替えを手伝っちゃろう。

 ほれほれっ、りん、こっちにおいで」

「エエッーせっかく一人で着替えたのに……」


 祖父に笑われ、私の自尊心は壊れそうになった。しかし、幼い私は早く雨が降る外に新しい傘を差して出かけたい気分の方が優先された。


 まぁ、良い。幼稚園で笑われるのは少し辛い。少し膨れっ面で祖父の前に行った。


「どれ、爺ちゃんが手伝っちゃろう」


 祖父に手伝ってもらい、やっとの事で着替えが済んだ。さー行くぞ。待ってろ、私の新しい黄色の傘!


 すぐさま、幼稚園用のカバンを肩に掛け、玄関先でカッパを着る。カッパとお揃いの長靴を履き、新しい傘を手にしようといた時、何故か祖父が私に向かって倒れてきた。

 その倒れ方はまさしく走馬灯の様にユックリと見えたから不思議だ。


「うわっー」

【ボキッ……】


 祖父が私の目の前で倒れた瞬間を見ても、私はただ、茫然としているしかなかった。


「どうした? 爺ちゃん、大丈夫か?」

「アー痛ってて……ア~痛い」


 やがて直ぐに祖父はバツが悪そうに、ゆっくりと起き上がった。

 どうやら、何かに躓き転んだようだ。もともと祖父は足が丈夫ではない。


「爺ちゃん、大丈夫なんか?」

「ああ、大丈夫じゃ。ワシも年じゃなぁ。足腰が弱くなったみたいじゃ……」


 祖父の言葉には何処か元気が無かったが、怪我は無いようだ。そんな事を気にせずに私は、自分の新しい傘に手を伸ばした。一刻も早く外に出たいのだ。


 しかし、足元に落ちている自分の新しい傘を手にした瞬間、私は凍り付き悲鳴を上げた。


「うぁーん。この傘使えないー……まだ、一度も使って無いのに、爺ちゃんのバカ――! うぁんーお母ちゃん――!」


 嘘だ、嘘であってほしい。何と言う事だろう。先程、祖父が転んだ時に、事も有ろうか、私が未だ一度も使っていない新品の傘の上に倒れ転んだのだ。その傘は大きく、に曲がっている。これでは使えない。というか、傘が開かない。何て事だ。


 私は履いていた長靴を脱ぎ捨て、母の所に泣きながら走って行った。


 何で、どうして私が、こんな目に会うの? 私が、何をしたの? 

 お爺ちゃんは、どうして私の傘の上に倒れてきたの? 折角の新調の傘なのに……。

 

「うえ――ん。傘が使えん――」


 私は、世界の終りの様に泣き叫んでいた。


 母は半分呆れた顔をして、私をなだめながら玄関まで私を連れて来た。


 玄関先には祖父がになった傘を握りしめて、しょんぼりと立っていた。




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