雨女の詩 ~祖父と私と雨と傘~。

甲斐央一

第1話 私と傘

「あら、こんな時間に学校かしら?」


 私は窓越しに外を見ていた。パラパラと降っている雨音が気になり、道沿いの窓の外に目をやった。自宅のキッチンから歩道が見え隠れするのだ。


 目線の先には、歩道を歩く赤い傘を差した女の子と、黒いコウモリ傘を差した年配者の二人の姿が目に留まる。


 私はれたばかりのインスタントコーヒーのカップを持って、彼等の後ろ姿を目で追いかける。


 傘から見える赤い傘とランドセルを覆う黄色のカバー。恐らく少女はピッカピッカの一年生だろう。

 黒いコウモリ傘を持っているのは恐らく少女の祖父かも知れない。

 恐らく何かの事情があって、この時間帯に少女を学校に送っているのだろう。


 あれっ⁉ この光景ってどこかで、見たような気がする……。

 不意に私の脳裏に懐かしい記憶が蘇る――。


 いつの頃だったかな? そうだ、あれは私が幼稚園の頃だったような……。

 あ~ぁ、懐かしいなぁ~。


 目の前に広がる光景がデジャブーと重なる。目を閉じて、記憶の糸を辿ってみた。


 インスタントコーヒーの香りを嗅いでいると、外を歩く二人の後ろ姿と私の記憶がユックリとシンクロしていく――。






 ☂  ☔  🌧️




「雨が、降らんのんかなぁ? 降ってほしいんじゃけどなぁ~」


 私は窓の外を見て、独り言を呟いていた。窓の外は暗く外の天気は分からない。ましてや、明日の事などは……。


 私の名は「朝倉可鈴あさくらかりん」五才。当時はまだ、幼稚園の年長組だ。


 どうして、雨が降る様に願っているには大して意味は無い。キャラクターの付いた雨具を装備して、幼稚園に行くぐらいの事だ。黄色のカッパ。黄色の傘を差し、黄色の長靴を履いて水溜りをジャブジャブ歩く。


 普段なら靴は運動靴な為に、水溜りなどでも入ろうと思えば、母親から怒られるぐらいの事だった。


 しかし、長靴なら問題無し。平気で水溜りの中を闊歩出来る。

 たまに長靴の中に水が入り、歩く度に足がズゴズゴいうが、それも又気持ち悪いようでもあり、面白いのだ。


 それと姉のお下がりの傘が壊れてしまって、新しい傘を新調したばかりなのだ。新品の傘を自慢したいんだょ~。




 窓越しに外ばかりを見ている私に向かって、祖父が話しかけてきた。


「おい、りん。明日は雨が降るって、さっきテレビで言っちょったぞ」

「ホント? お爺ちゃん?」

「ホントじゃよ~。なにせ、雨の匂いがするけんのぅ」

「何言ってんの、爺ちゃん。雨に匂いなんてないじゃろ?」

「りんには分からんじゃろうけんど、大きくなったら分かってくるもんじゃよ」

「ふ~ん、そうなんじゃ~。明日は雨か~。わあぃ~わあぃ~やった——!」


 祖父のたわいも無い一言で、私は天にも昇る心境だったに違いない。


「りんちゃん、早く寝ないと明日、幼稚園に遅れるわよ」

「はぁーい。りん、もう寝る~」


 母親に促されて寝床についた。しかし、明日の事を考えると、とても眠れない。別に見知らぬ場所へ、幼稚園のみんなで行く遠足でも無い訳だが、無性に興奮していたのだ。特に傘は新調したばかりなのだから。


 しかしながら、まだ幼い私は布団に入ると眠ってしまった。私はまだ幼いのだ。五才児だから仕方が無い。睡魔には勝てなかったのだ。未だ来ない明日を楽しみにして……グウッ~、スカピ——。






「う~ん……」


 翌朝、布団の中で目覚めると、眠い目をコスリながら大きく背伸びと欠伸を繰り返した。そしてユックリと体を起こす。


 今朝の目覚めはまぁまぁだ。いつもなら、母親に怒鳴られながら起こされている。


 しかし、今朝は一人で起きる事が出来た。その所為もあり気分が良い。

 両目を擦りながら2、3分の間、ボーっとしていた。体は目覚めた。


 しかしながら、頭は今一目覚めには少し足りない。頭を2、3度横に振ると、幾分かは思考も回り始めた。


 なにやら、自分の下腹部が妙な圧迫感で膨らんでいる。

 ヤバい、どうしょう、急がねば……。


「オシッコ、漏れちゃう……」


 ドタドタと慌ただしくトイレに行き、TVの在る居間に向かった。


 居間にはすでに先客が居た。姉と父がTVを見ながら、忙しそうに朝食を取っていた。


 やがて、姉と父は私に気が付くと声を掛けてきた。


「おい、りん。早く着替えてメシ食わねぇと幼稚園におくれるぞ」

「りん、雨が降ってるけん良かったねぇ。新しい傘、差していけれるがん」

「エエッ? 新しい傘? なんそれ?」


 う~ん、まだ眠いから意味が分からない……。


 幼い頭に寝起きの悪さがプラスして訳が分らないで、未だ、ボーっと佇んでいた。


 そうなのだ、私は朝が弱い。母親に起こされずに自分で起きた、といっても通常より五分程度早いだけだった。よく考えたら自慢にもならない。


 姉や父が何を言っているのか分からない。雨が降って、どうして喜ばなければならないのか、 意味すら理解出来ない。雨が降ればジメジメして体の何処かが濡れてしまうのに。


 しかし、母が私の着替えと雨具一式を持って来た時、やっと私は理解した。頭がようやく目覚めた。


 新しい傘を始めて使う。私はその傘がお気に入りだった。早く、早く、新しい傘を差す日が来れば良いのにと昨夜願っていたではないか。傘を買って貰ったのが三日前だったので喜びが増してきた。途端に顔がほころんでくる。


「やった~! 雨じゃ、雨じゃ——!」


 喜びのあまり、私は無意識の内に新しい傘を掴んで外に出ようとした。


 先程の自分の思いは撤回だ。早く外に出たい。 


 いくぞ~ヤッホー、レッツら、ゴ――じゃ~! 


 誰も私を止められない――。





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