第3話 コウモリ☂
母は半分呆れた顔をして、私をなだめながら玄関まで私を連れて来た。
玄関先には祖父がくの字になった傘を握りしめて、しょんぼりと立っていた。
「お母ちゃんー……爺ちゃんが、爺ちゃんが……」
しかし、私は五才児なのだ。そんな人の気持ちを思いやる余裕などない。私は祖父を責めた。責めた所で、どうしようもない事は分かっていた。
しかし、私は祖父を責めたのだ。
「爺ちゃんが~え~ん、え~ん 」
「りん、すまんのぅ……」
祖父は、申し訳なさそうに私に向かって謝った。八十を過ぎた祖父の顔はシワだらけだった。そのシワが余計に増えた気がした。
「お爺ちゃんも、ワザとやったんじゃないけん、りんも許してあげんと、いけんがん……」
「だって今日、りんの傘が無いんじゃもん……うえ~ん……」
母になだめられても、私の気は一向に収まらない。あんなに楽しみにしていた雨の日に、新品の傘が一回も使えず廃棄される事を思えば、誰だって悲しくなる。
しかし、何時までも泣き喚いている私に、ついに母がブチ切れた。
「ええ加減にしなさい。りん、お爺ちゃんだって悪気が有ってやった事じゃないの! 傘なら今度、お母ちゃんが買ってあげるけん、今日はこれで我慢しんちゃい!」
母親は怖い。大好きだけど、やはり母親は怖い。母に怒られて、母から一本の傘を渡された。大人用の黒い傘だ。可愛くも、何とも無い。俗に言う【コウモリ傘】だ。ダサい。私には、似合わない……。
「いやじゃ~……こんな傘~いやじゃ~」
「いやじゃって言っても、家にはもうこれしか無いの。行くわよ、ほら早くしなさい」
母に怒られ、無理やり手を掴まれたまま、私は黒い【コウモリ傘】を差して幼稚園に連れて行かれた。
本来なら、祖父に幼稚園まで送り迎えをしてもらっている。しかし、今日のこの状況では無理だ。母が代役で送る事となった。
祖父も今日は、一緒に行くには忍びないだろう。私も祖父と一緒に居たく無かった。本当は祖父の事は大好きだ。でも、さすがにこの状況では祖父を許す気持ちが無かったのだ。
私の気持ちって、一体なに? 私の傘なのに……。と、不条理の思いのまま、泣きながら歩いた。
爺ちゃんなんて嫌いだ。雨なんて嫌いだ。と思っていた。
本当は、祖父の事は大好きなのに……。ゴメンナサイ……。
しかし、幼い私にとって大人の傘はとても大きく感じた。子供が三人ぐらい入っても、大丈夫の様な広さに思えた。深く傘を差せば、小部屋のように感じる。まるで秘密基地のようだ。
幼稚園に近づくにつれ、いつしかこの、【コウモリ傘】に何故か愛着を感じてきたから不思議だ。
不条理な思いのまま幼稚園に着くと、雨の中傘を差して外で遊んでいる子供達が数人いた。そして、私に気が付くと歓声をあげながらこちらへ駆け寄ってきた。
私の不安が募る。見るな、お願い……こっちに来ないで、来るんじゃない。あっちに行け。頼むから行ってくれ〜。
「ええなぁ~りんちゃんの傘って大人用じゃが~。大きくてええなぁ~」
「へぇっ? へへへ……」
何を言っているんだ、こいつは――?
初めは馬鹿にされると思っていたら、褒められ羨ましがられたので驚いた。
なんだか、落ち込んでいた気持ちが変わってきた。うん、悪くない。
確かに周りを見渡せば、同じ園児達の傘は、赤・青・黄色とカラフルな色ばかりだ。そんな派手な傘の中にいると、大人用の黒い【コウモリ傘】は、私のような園児が差していると、新鮮に見えるのかも知れない。大人びて見えるのか? まだ、五才児なのに……。マジか? 嘘だろ~。
そして、その【コウモリ傘】は、私の手から次々と幼稚園の仲間達の手に渡り、雨に濡れながらも無事に幼稚園での一日が過ぎようとしていた。
やがて時間が経ち、幼稚園から帰る時間となった。
小降りにはなったが、雨は降り続けている。
この地区は田舎なので、お迎えの人はあまり来ない。園児が列になって、先生が家並の見える途中まで送ってくれる。
自動車は大通りを走るので、この脇の小道は通らないのでホッタラカシなのだ。
まぁ、昭和の四十年代はそんなもんだ。だから先生と別れた後は、道草を食べながら、ゆっくり帰る。
私の家は、いつも祖父が散歩がてら私の送り迎えをしてくれている。
しかし、今日は来なかった。私は朝の事件の事など、すっかり忘れていた。呑気なものだ。
爺ちゃんどうしたのかなぁ? と思いながら列に並び、先生の後に付いて帰る。
私は、この【コウモリ傘】が意外と人気だったので、新品の傘が使えなくなってしまった事は、どうでも良くなっていたのだ。
まさに、ご都合主義。仕方がない、何度も言うが私は五才児なのだから……。
先生が途中で引き返すと、もう私達園児の天下だ。舗装されていない砂砂利の水溜りを見つけると、我先に競って入る。ジャブジャブ遊びは楽しい。長靴に水が入り、ズゴズゴいう音に笑いあう。
草むらも探ってみると、カエルが飛び出してくる。キャアキャアと騒ぎながら帰るのだ。
そんな私に悲劇が訪れた――。
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