第5話 道徳の授業で習わなかったのかしら
翌日、永礼は早い時間に登校したのだが、既に隣の席に先客がいた。
牧島である。
入学初日にクラスメイトを血祭りにあげた彼女は、何事もなかったかのように席へ着き、涼し気な顔で本を読んでいる。春風がカーテンを羽ばたかせながら教室へ吹き込むと、彼女の髪がふわりと舞い上がり、まるで遠い国のアルプスを幻視したかのようだった。
ほんとルックスは抜群にいいんだけどなあ、と永礼は心の中で呟く。神は二物を与えずと言うが、与えなかった二物目の代償があまりにも大きいのではないか。
挨拶したらろくでもないことになるだろうと思い、無言でリュックを机の脇にかけて座る。実際、一周目では勇気を出して挨拶したのだが、なんだかとんでもない暴言を吐かれた覚えがある。
もちろん彼女の方から挨拶などしてこない。どころか、こちらに一瞥すらくれることもなく、無心で本を読み続けていた。
……読書を趣味とする人間にとって、他人がどんな本を読んでいるのか、気になってしまうのは仕方のないことだろう。
猫をも殺すと評される好奇心から、昨日図書室で借りた数学の問題集を机の上に出しつつ、チラリと横目でうかがう。
彼女の両手はハードカバーの分厚い本を、大切そうに抑え込んでいる。
ページをめくる手からは、本に対する慈しみが感じられた。
抱え込まれるようになっている本を見ると、まず何よりも強い色彩の絵画の写真が掲載されているのが目を引いた。そして横文字でびっしりと文章が書きこまれている。その体裁に、彼は既視感を覚えた。
「……『美術の物語』?」
「っ!?」
ガタリ、と牧島が座っている椅子が音を立てた。
教室にまばらに座っているクラスメイトが、何事かと言わんばかりに視線を向けてきたが、音の出所が牧島だと分かると、慌てて目をそらした。入学2日目で早くも
当の本人はギロリと俺をにらみ、
「……なぜ、知っているの」
「俺も読んだことあるから」
もちろん高校時代に、という意味ではない。そもそも買い切りだと10000円近くまで値を張るような一品である。昨年――25歳の時、インターネットで『西洋美術史を知るならまずこれ!』という書評を見て興味を抱き、買って読んでみたのであった。
「ふうん、そう」
平坦な声で言い、また目を本の上へと転じたが、どこかソワソワしているように見受けられる。
「……誰が、好きなの?」
「え?」
「だから! どんな画家が好きなのかって聞いているでしょう。あなたも鼓膜が腐ったのかしら?」
「いや腐ってないから……そうだな。この本に出てくるのだと、エル・グレコとかプッサンとか好きかな」
「あら、なかなかいいとこ突いてくるじゃない。サルのくせに」
「まだ出会って2日目の相手を猿認定するな」
「私はそうね……ミレーかしら」
「オフィーリアの?」
「農民画の方よ」
「へえ、意外だな」
思わず口をついて出た。牧島にまたギロリとにらまれる。
「なにが意外なのかしら」
「いや、その……もっとゴテゴテした絵が好きだと思ったから」
「はあ……第一印象で人を決めつけるなんて良くないわ。小学校の道徳の授業で習わなかったのかしら」
正論だが、それをお前が言うかと言いたい気分である。
「牧島って、絵とか好きなの?」
「好き、と言われれば……好きよ。県立美術館にもたまに行くから」
「へえ」
永礼は
「あなたは行かないの?」
「行かないなあ」
「……そう」
牧島はまた、本に目を落とした。彼との会話はもう切り上げたようで、再び読書の世界に浸っている。おそらく今話しかけてもシカトされるだろう。
永礼も朝解こうと思っていた問題集が手つかずだったことを思い出し、ノートを開いた。
今の会話から察するに、彼女は芸術が好きなのだろう。そこから将来、女優になるのは、少し意外に思えた。
趣味と仕事は別と言われればそれまでだが、もしかするとこの先、彼女の将来を決める転機があったりするのだろうか。
そんなことを漫然と考えながら方程式を書いていると、シャーペンの芯が折れてしまった。
今日から授業が始まったが、初回ということもあり、オリエンテーションと教師の雑談に終始するコマがほとんどだった。
午後の授業も消化し、放課後。
まだ2日目だというのに、もうグループらしきものがチラホラできあがっている。中でもクラスの顔立ちが整った男女が集結するグループは、見ていて華やかだった。もちろんその中には秋月の姿もある。
そんな様子を見ながら、さっさと荷物をまとめたリュックを背負い、席を立つ。今日は英単語帳を買いに書店へ行くことに決めていた。学校指定のものだけではとても受験の範囲すべてをカバーできない。
自転車に乗り、家とは反対方向の道へ漕ぎ出す。通学路とは違う道を行くのは、大人になってもなんだかワクワクする。
ローソンやゲオを左手に見ながら、国道13号線を北上する。勾配のキツイ橋を渡り、JR羽後牛島駅へ。秋田の中心である秋田駅に行くには、自転車だと少々心もとないため、ここで電車に乗り換える。
電子マネーが使えないため、階段を上がってすぐの券売機で切符を買う。
プラットホームには腰掛けベンチがあるが、今は帽子をかぶった老夫婦が並んで座っている。彼は自販機でペットボトルを買い、昇降口へ立った。
錆びたような色合いの線路から目を上げると、日本海の春らしい薄曇りの空の下、電柱に架かった電線がたわんでいる。
急に、ノスタルジーが胸にこみあげてきた。コンクリートジャングルを歩いた8年間、物質的にはこっちとは比べ物にならないほど豊かな世界に囲まれていたのに、いつもどこかで、胸に巣食った空虚が、晩夏のセミのように切なさを訴えていた。それが10年前に転移して感じなくなったのは、子供時代に戻ったという以上に、眼前の世界が原風景として心に刻まれ、無意識に心の拠り所としていたからかもしれなかった。
覚えず感傷的になっていると、景気よくガタンゴトンと音を鳴らし、勇み足で電車がやってきた。車内に乗客はほとんどいない。プラットホームと向かい合う座席に座り、ベンチに並ぶ老夫婦をチラリと見たが、立ち上がる気配がない。人を待っているのか、それとも寝ているのだろうか。
電車が動き出す。羽後牛島―秋田間は横揺れが激しい。わずか10分程度の乗車時間でも尻が痛くなる。それを我慢して乗り続け、秋田駅へ到着。
外部にほとんど吹き曝されているプラットホームから階段を上がったところにある改札をくぐると、正面でなまはげの木彫り人形が出迎える、というのが秋田駅流の歓迎だった。
駅ナカを突っ切って反対側に出ると、秋田駅フォーラスがある。テナントのほとんどをアパレルが占めているが、うち7階と8階は書店の漫画フロアと書籍フロアが入居している。ここは2017年に秋田オーパとしてリニューアルされていたため、彼は懐かしさを覚えた。
目的の英単語帳はすぐに見つかった。CD付で2,980円。高校生の身にしてみれば痛い出費だが、将来への投資だと思えば気持ちも軽くなる。
消費税が5%であることにカルチャーショックを覚えつつ、秋田フォーラスを後にする。
時刻はまだ16時。今日は授業が5コマだけだったこともあり、放課が早かったせいだろう。体感よりも早い時間だ。
帰ってもいいが、せっかく初乗り240円を払って駅前に来たことだし、もったいないような気もする。
どこか時間を潰せる場所はないか……と探すと、カラオケまねきねことナガハマコーヒーが目に入った。
「……この二択なら勉強もしておきたいし、喫茶店の方かな」
自分を納得させるように独り言をつぶやいてから入店する。何度か外からは見た店だが、実際に入るのは1回目の人生を含めても初めてであった。
幸い店内は空いていた。
エクスペリアを充電ケーブルに差し、先ほど買った英単語帳を開いた。maintain維持する、crowd人混み、opportunity機械……。
……どれくらい時間が経っただろうか。コーヒーを飲み終えたことに気が付き、なんとなくスマホで確認すると、17時を回っていた。小一時間程度時間を潰していたことになる。正直、世界遺産の水で出したコーヒーは美味かったけど、普通とどう違うのかはよく分からなかった。
今から家に帰って風呂に入れば、18時くらい。ちょうど風岡家の夕飯の時間になる。
机上を片付けて店外へ出た。
すると、
「……あれ、永礼?」
「秋月?」
赤色の髪を伸ばしたギャル、秋月とそのグループにバッタリ出くわした。
――――――――――――
2013年の秋田駅前、正直かなりうろ覚えです(汗)。
覚えている方いらっしゃいましたらぜひコメントで教えてくださいm(__)m
次の更新予定
2024年11月15日 19:06
永礼高太郎逆行記~もしも学歴コンプレックス持ちの社会人が高校時代にタイムリープしたら~ 國爺 @kunieda1245
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。永礼高太郎逆行記~もしも学歴コンプレックス持ちの社会人が高校時代にタイムリープしたら~の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます