第4話 しょうがないじゃん
「なんだ?」
「なんだ、じゃねえよ! 今からクラスみんなで遊び行こって言ってんだから永礼も来なよ」
「いいよ俺は。ああいうノリあんま好きじゃないし」
「なんで? 絶対楽しいよ。アタシら一度きりの高校生活なんだから楽しんでいかないと!」
俺は2回目だけどな、と永礼は心の中で補足した。
「自己紹介で言っただろ。俺は勉強していい大学行きたいんだ。そのために今から勉強する」
「今からって言ってもアタシらまだ授業受けてないじゃん。勉強も何もないよ」
「予習があるだろう」
彼にとっては復習である。これでも大学時代は塾講師のバイトで高校生を教えていたので、割と学習内容を覚えている自信があった。
「ひねくれてるなあ」
「ひねくれてるもなにも、俺は元からこんなんだよ。じゃあな、クラスのみんなにはよろしく言っといてくれ……あ、そうだ。牧島にも声かけてやれよ。アイツ、俺より先に帰っただろ」
「あの子、嫌な子じゃん」
「……お前って、人のこと好き嫌いすんのな」
秋月は誰とでも仲良くやっていた記憶があったから、単純に驚いて口をついて出たのだが、秋月にとっては馬鹿にされたと感じたらしい。
「なによーアタシだって嫌いな人くらいいるし! もう知らない! 勝手にしろバカ!」
ブンスカと怒って教室へ戻っていった。悪いことをしたかな、と思ったが、煮え切らない返事をしてここでグダグダやるのもお互いにとってよくなかっただろう。
そう思うことにして頭を切り替え、今度こそ図書室へ来た。
いきなり文系の人間が理系の赤本に挑むのも無謀だったので、ズラリと並ぶテキストの中から、数学I・Aのテキストを取り出して問題を解き始める。
一周目の人生では勉強自体が好きではなかったので、人より毛が生えた程度の暗記力で点数を取れた歴史や英語で点数を稼ぎ、数学で取りこぼした分を埋めるという戦法をとっていた。
しかしこうしてテキストを開き、問題を解いていると、これが案外面白い。章の最初に掲載されている基本的な定理や公式の紹介、その導出と証明を読むだけでも興味深いし、実際に問題を解いてみると、こんな具合に使うことができるのかと理解が深まる。応用問題に手をかけると、数学を使えば日常のこんなタスクを解決できるのかと感心してしまう。
会社員時代、日々の仕事に忙殺され、自分のために使える時間は限られていた。その時間を勉強に
あの時に勉強をしていれば……と、今更のように襲い掛かる後悔。
そうして無心で問題集を解いていることしばし、キンコンカンコンという軽快なベルの音が聞こえてきた。反射的に壁掛けの時計を見ると、時刻は17時を回っていた。
「もうこんな時間か」
タイムリープ初日から根を詰めすぎるのも良くないだろう。筆記用具を片付け、図書室から撤収する。
出てすぐの玄関で靴を履き替え、外へ出ると、どこの部だか分からない女子集団が声出しをしながらランニングしていた。それをBGMに駐輪場へ行こうとしたところで、同じく玄関から出てきた鬼塚と鉢合わせた。
「あれ、コウちゃん?」
「おう。今帰りか?」
「うん。部活動見学してた。コウちゃんは何やってたの?」
「勉強」
「げっ、マジで勉強してるんだ……」
鬼塚はわざとらしくドン引きしてみせる。
「そうやって勉強から逃げてると、後で取り返しのつかないことになるぞ」
「入学初日に勉強しないのは逃げじゃないと思うよ」
家が近いので自然、並んでチャリを押して歩く格好になる。
「D組、どうだった?」
「いい子いっぱいいて良かったよー! もう友達も何人かできちゃった」
「早いなあ。お前の友達認定」
「ちょっと喋って気が合えばもうそれは友達って言うんです」
どや顔でサムズアップする鬼塚。
ふと、国道沿いから入り組んだ小路の方を見ると、奥の方に『ラーメン 七宝屋』と書かれた白い看板が見えた。
その瞬間、蘇る記憶。
やたら担々麺が美味かった。大学進学を機に県外に出てからは一度も行ってなかったが、26年間で食べた中でもベスト・オブ・ナガレを争う味だった。
「なあ鬼塚、今腹減ってる?」
「お腹? まあ、そこそこって感じだけど……」
と言った瞬間、鬼塚の腹からグギュルルル~~~~~! という、漫画みたいな音が豪快に響いた。
「……」
「……違うの。これは。腹話術だから」
「腹話術の意味違うだろ」
思わず笑ってしまう。幼なじみは食いしん坊な一面があった。
「何笑ってんのよ!」
「別に。なら、ラーメン食って帰るか」
「え、ラーメン? こんなとこにあるっけ?」
「ほら、こっち」
こじんまりとした店構え――というか、ほとんど住宅と見分けがつかない店の、狭い駐車場にチャリを停める。早い時間だからか、客もほとんどおらず、待ち時間なしですぐに席へ通してもらえた。
木造建築で、カウンターが5席に、小上がりになったテーブル席が3席。厨房から見える位置に、テレビが置かれている。
彼らは靴を脱いでテーブル席へ上がり、ざらついた畳の上に置かれた座布団に腰を落ち着ける。
「なんか雰囲気あるお店だね~。コウちゃん、結構ここ来るの?」
「何回か来たことあるよ。担々麺美味いんだよな」
「へえ~。じゃあ担々麵食べてみようかなあ」
「結構辛いけど大丈夫か?」
「わたし辛いの好きだから!」
鬼塚はブイサインで答えた。
「ならいいか。すいませ~ん!」
「はいはい」
と、厨房から小柄なパーマのおばちゃんが出てくる。
「担々麺二つお願いします」
「担々麵ね。辛いけど大丈夫?」
「大丈夫です」
「はいはい、ありがとね~。お兄さんたちはもう学校終わったの?」
「今日入学式だったので」
「あらま~。それで彼女さん連れてここ来たってこと?」
「かっ……!」
彼女、というワードに鬼塚が大きな反応を示した。
「違いますよ。知り合いですから」
「あらま~青春ねえ」
好き放題うら若い男女をいじってから、おばちゃんは厨房へ引っ込んでいった。
卓上設置のコップに水を注いで一口飲み、鬼塚を見る。
顔がゆでだこのように真っ赤だった。
「鬼塚?」
「はぇっ!? なっ、なに!?」
「いや……大丈夫か」
「だだだ大丈夫ですけどぉ!? 彼女だなんて言われてテンパってなんかいないですけどぉ!?」
めちゃめちゃテンパっている。流石にこの頃は鬼塚も純情な女の子だったらしい。
そんなことを思いながら彼女の百面相を眺めていると、今度はジト目でこちらを見てきた。
「……なんでコウちゃんはなんともならないのよ」
「あんなからかいにイチイチ反応してる方が変だろ」
「コウちゃんのくせになんかムカつくぅ~。今思うとコウちゃんが女の子を自然に食事に誘うのもおかしかったし」
「食事っつったって……ラーメンだろ」
精神年齢26歳なもんだから、何の気恥ずかしさも感じない。むしろこの年で女性との食事に恥ずかしさを感じる方がむしろ危ない奴なのではないだろうか。
釈然としない顔を浮かべる鬼塚を横目にテレビを観ていると、やがておばちゃんが担々麺を運んできた。
「なにこれ、すごい美味しそう……」
「だろ? 食べようぜ」
かく言う彼も腹の虫が鳴って仕方がない。逸る気持ちを抑えて割りばしを割り、まずは麺をすする。
お久しぶりのご挨拶は、最高だった。
「ん~~~~~っ! おいし~~~~~!」
鬼塚が手を頬に当ててそう言うのもうなずけた。モチモチした麺に濃厚なスープが絡まり、天にも昇るような旨みが口内を席巻するのだ。そこにネギを入れれば爽やかな香味が鼻を抜けるし、味付きのひき肉を入れれば何か大事なものと引き替えに口福を掴んだような味がする。
「こんなとこにこんな美味しいラーメン屋があって知らなかったなあ」
「住宅街の中だしな。近所に住んでる人はともかく、そうじゃなければ来なさそうだよな」
「確かにね。でも帰り道にこんな店があってほんとよかった~」
それから鬼塚は無言でラーメンを食べ進める。本当に美味しそうに食べているのを見ると、紹介したこっちもなんだか嬉しくなってくる。
彼が半分も食べないうちに、鬼塚はスープまで完飲してしまったではないか。
「おいしかったあ」
「食うの、早いな」
「だって美味しかったんだもん。しょうがないじゃん」
美味しければしょうがないのだろうか。そんな疑問を持つが、確かにこんなに美味いラーメンであれば早食いも完飲もしょうがないのかもしれないなと思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます