第3話 嫌らしい
入学式は何事もなく終わった。校長の話がCパートくらいに入ったところで夢の国へ旅立ったものの、教師陣にはバレずに済んだ。
教室へ戻り、登校時に取った席へ座る。
秋月も戻ってきたが、朝方と違うのは、周囲に着席したクラスメイトたちが、早くも彼女と仲良くなっていることだ。
彼ら彼女らはみんな違う高校、あるいは初対面らしい。それなのにもう友達っぽくなっている。恐ろしいコミュ力だ、と流れは舌を巻いた。早くもグループができつつあることを実感する。
彼も最初はお情け程度に会話に混ぜてもらっていたが、叩いても面白い反応ができなかったことがお気に召されなかったのか、彼抜きで話が盛り上がっている。いたたまれなくなった永礼は、イヤホンをして読書を始める。
この頃から彼はませた趣味を持ち始めており、その一つが純文学だった。
今読んでいるのは阿部公房の『けものたちは故郷をめざす』。終戦後の中国大陸で、故郷・日本への帰還のためにもがく主人公の少年と、彼の前に現れた国籍不明の男との二人での遁走劇は、鬼気迫る筆致も相まって読者の心をつかんで離さない。
何度読んでも面白い。
時間を忘れて読みふけっていると、やがて教室前方の木製扉をノックする音が、アニソン越しに聞こえてきた。そしてガラガラと音を立てて横へ開かれる。
本をしまい、イヤホンをリュックサックへ戻す。
教室に入って来たのは、長身でスタイル抜群の女性だった。大和撫子という言葉がピッタリの和風美人。
「みなさん、おはようございます」
少し高めの声が教室へ響くと同時に、先ほどまで教室を包んでいた喧騒が、嘘のように静まり返った。
「まずはご入学おめでとうございます。数ある学校からわが校を選び、受験勉強を頑張ってくださった皆様に、改めてお礼を申し上げます。私はこの1年A組のクラス担任を務める、
簡単に挨拶を済ませると、谷川先生はチョークを片手に黒板の方へ振り返り、名前を書いていく。ものすごい達筆だった。「えっ、字うまっ」という驚きの声が、どこかから漏れ聞こえた。
そして自分の名前を書き終えると、教卓の上に置いた紙束を持ち、生徒へ配り始める。
受け取ってみると、座席表だった。
エクセルで作成したのか、マス目のように配置された四角形の中に、生徒たちの名前が書いてある。
「今お配りしたのは座席表です。この通りに座りなおしてください。それから自己紹介をみなさんでしましょうか。ああ、席替えは定期的に実施しますので、その点はご心配なく」
そう先生が言い終えた後、ヌメヌメとした席替えが始まる。
永礼はとある理由から、自席がどこにあったか、はっきり覚えていた。
教室真ん中、前から2番目。
教師に一番見られやすい位置だが、勉強する分にはまったく問題ない。
そう、問題ない。
問題ないはずだった。
リュックサックを机の脇に下ろして座り、腕を組んで目を閉じる。やがて、隣の席からガタガタいう音が聞こえてきた。
目を開ける。
隣を見る。
そこには背の高い、彫刻のように美しい横顔の女の子が座っていた。濡羽色の長い黒髪が椅子の背もたれへ流れている様は、どこか近世ヨーロッパの肖像を思わせるくらい、現実離れしている。
――
一周目の世界で、女優として成功を収めた彼女は、彼のクラスメイトだった。時が経つにつれて、その事実が遠近法のようにぼんやりとしていっていたが、記憶のピントが合ったような気がした。
クラスメイトたちもチラチラと彼女の方を盗み見ている。
目に浮かんでいるのは――憧れ。
ここまで顔立ちが整っていると、嫉妬とか色欲とか、もはや感じられなくなるのが恐ろしい。
彼が横目で彼女を観察していると、目が合った。
「……見ないでくれるかしら? 嫌らしい」
ハイ罵倒いただきましたー! と永礼は心の中で叫んだ。ちなみに、まごうことなく彼らは初対面であり、これが最初の会話だった。
そう、彼女は大変口が悪い。
それは既に一周目で知っていたが、改めて聞くと心にクるものがあった。世が世なら犯罪になっていただろう。
「悪い」
「謝罪の言葉は要らないわ。虫唾が走るもの」
――キィ〜ムカつく〜!
この何やっても罵詈雑言をあびせられる感じ、反論して何とかなるものじゃない分余計にキツい。
彼はもう何も言わずに前を向いた。彼女とは関わるまい、と思った。勉学のうえで彼女がに抜きんでて優秀だった記憶はないし、付き合っても得られるものがないだろう。
やがて自己紹介が始まる。生徒一人ずつが教卓に立ち、名前と出身中学、部活動、高校時代頑張りたいことなどを喋っていく。県内では進学校で通している高校だからか、秋月みたいにオシャレした生徒はいるものの、ただの人間には興味ありませんとか言いそうなヤバい生徒はいない。
やがて彼の番が来たので、
「
と、簡素な自己紹介を済ませると、秋月が目を輝かせて拍手したのを皮切りに、海面で魚が跳ねたような拍手がピチピチと鳴った。
そして自己紹介が進み――隣の席の牧島の番になった。
「……牧島弓弦です。
言葉少なに済ませ、すまし顔で着席する。クラスメイトたちから拍手が上がったが……彼女、机の下で読書している。マイペースな少女である。
その後は谷川先生から一通りの高校についての説明を受け、教科書を受け取り、14時前には早くも解散となった。授業があるわけでもないし、初めての高校で疲れた生徒たちへの労いもあるのだろう。
「今日は早く帰り、明日から始まる授業に備えてくださいね」
と先生が退室間際に言い残す。
だが高校生は一番体力が有り余っている年頃だ。そんなアドバイスに従うわけもない。
「ねーねー今からみんなでどっか行かなーい?」
さっきまで秋月と絡んでいた女子生徒がそんなことを言い出すと、「いいねえ」「俺も行くわ」「これぞ高校生って感じだな」などと口々に言いながら、言い出しっぺの彼女に集合する。その中には秋月の姿もあって、ニコニコ笑いながら野球部っぽい男子生徒と談笑していた。
そんな中、ヤンチャそうな男子生徒が永礼を完全無視して牧島の席へ歩いて来て、机へ手をついた。
「なあなあ、牧島さんも来ねえ?」
「話しかけないでくれるかしら。私の鼓膜が腐ってしまうから」
「……え?」
「あら、腐ったのはあなたの脳の方だったかしら」
初対面の相手にいきなり斬りかかる牧島。鎌倉武士でもやらねえぞ、と永礼は心の中で舌打ちする。
牧島はスクールバッグを肩にかけ、周囲のクラスメイトたちが驚愕の目で見つめる中、悠々自適に教室から出て行った。
牧島の席に残されたヤンチャくんは……声を押し殺して泣いていた。心の中で合唱する。
――さてと。
彼も荷物をリュックサックにまとめて席を立ち、教室を出た。クラス会に行っても中身成人男性が楽しめるとも思わないし、行くわけがない。それよりも、代わりに行きたい場所があった。
図書室である。
自称進学校の有楽高校図書室には、進学校らしくテキストがずらりと並べている。特に赤本の数に至っては、書店も顔負けじゃないかと思うくらいだった。
「ちょっとちょっと!」
1階の図書室へ向けて階段を降りようとすると、後ろから秋月が追いかけてきて、待ったをかけられた。
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