第7話 枚方燐は考察する

 考察部に来ると、部室からコーヒーの香りが漂ってきた。

 俺は静かに扉を開ける。


「ごめん、遅くなった」

「そんなに気にしてないから大丈夫。

 コーヒー入れといたから勝手に飲んで」

「さんきゅ」


 俺は椅子に座ると、淹れられたばかりのコーヒーの香りを嗅いだ。

 芳醇な香りに脳がリラックスする。


「珪が遅れるなんて珍しいな。

 何かあったのか?」

「学級委員長の鉄池晏奈に怒られたんだよ。

 授業は真面目に受けましょうねって」

「鉄池晏奈……?

 誰だ、そいつ」


 知らない奴の名前は出すなと目で言っている。

 燐は基本、他人に興味がないのだ。


「ボブの髪型のキリッとした顔の女子。

 去年生徒会役員やってた人」

「あぁ、あの豹みたいな眼をした人か。

 それは、授業を真面目に受けてないお前が悪いな」

「だとしても、わざわざ注意するか?

 正義感が強すぎて、自分が余計なお世話してることに気づいてないんだよ」

「多分、そういう人のこと放っておけない性格なんだろうな。

 だから、リーダー的な職務についてるんだろ」


 俺はコンソメ味のポテチをつまむと口に入れた。


 聖人気質というか、困ってる人は全員助けます!みたいな。

 疲れそうな生き方だな。


「俺の恥を曝すのはここまででいいだろ。

 燐、見えない絵のことについて何か閃いたか?」

「全く。

 色々な仮説を立ててはいるけど、根拠がしっかりしてない。

 早くもお手上げ状態だ」

「枚方燐先生でも難しいか……。

 実は俺、昨日碧海さんに会いにいった」

「マジか」

「何なら、一緒に県立美術館に落書きしに行って、連絡先も貰った」

「……」


 燐は言葉を失うと、コンソメ味のポテチをコーヒーに漬けた。

 何故か眉根を寄せながらそれを食べる。


 絶対美味しくないだろ、それ。


「行動力の塊だな。

 色んな意味で尊敬してるよ、俺は」

「碧海さんの不思議な現象について、聞きたいことがあったからな。

 美術館に落書きしにいったのは、単なる成り行きだな」

「碧海さんと話してみて、何か分かったことはあるのか?」


 俺は昨日の会話を振り返った。

 振り返って、頭の中で整理する。


「碧海さんが言うには、絵は自分の目的を果たすための方法の一つらしい。

 グラフィティアートは異世界に行くという目的があるという風に。

 あと、異世界に行くには、三つのグラフィティアートを描かなくてはならないって言ってた」

「非常に興味深い話だな……。

 今回描いたグラフィティアートはどんな絵だった?」

「夜空が映った海に浸ってる学校とその海を歩いている少女の絵」

「その絵も、珪以外の人には見えなかった?」

「途中で職員の人が落書きの方を見たけど、見えなかったな。

 ってか、見えてたら今頃刑務所に居るわ」

「まぁ、そりゃそうだよな……」


 目をつむって熟考し始めた。

 俺は燐が見えていないのをいいことに、残りのポテチを全て食べ尽くした。


 罪悪感を感じながら食べるポテチは、実に美味しい。


「あと三つってことは、異世界行くためには五つの絵が必要なんだな。

 なんか、ポケモンのジムバッチみたいだな」

「燐、ポケモン知ってたんだ」

「舐めるなよ。

 こう見えても俺は小学校で無双していたからな。

 小学校はポケモンの強さでカーストが決まる世界だ」

「それが今はこうして部員二名の小さい部の部長か……。

 悲しい世界だな」


 この言葉は結構心の傷をえぐってしまったらしい。

 燐が少し落ち込んだ様子でコーヒーを飲んだ。


 こうかはばつぐんだ!


「昨日の会話で色々分かったんだな。

 異世界に行く理由については訊かなかったのか?」

「訊いたけど、答えたくないって言われた。

 理由については、あんまり深掘りしない方がいいかもしれない」

 

 俺としては、槇村先生がうっかり漏らしたと関わりがありそうだと睨んでるのだけど。

 俺たちは飽くまで、人に見えない絵と異世界に行く方法を考えるだけであって、他人のプライバシーを無視するような部活じゃない。

 最低限のモラルはあるつもりだ。


「あんまり他人のプライバシーに土足で踏み込むのは違うしな。

 しかし、昨日のうちに随分と仲良くなってんだな」

「仲良い友達ってよりは、ビジネスパートナー的な関係だ。

 碧海さんが異世界に行くのを手伝う契約してる」

「法に触れることをやってるって自覚持てよ。

 バレたら、喫茶店の店長は諦めろ」

「そこらへんは多分大丈夫だ」


 落書きが見えない限り、その心配は杞憂で終わるだろう。

 それに、何故だか分からないけど、異世界に行くまで碧海硝子の絵は俺以外には見えないって謎の自信がある。


「なぁ、絵が見えないことと異世界に行くことって絶対繋がってるよな」

「そう考えるのが妥当だろうな。

 異世界に行くって目的を果たす手段として、見えない絵……グラフィティアートを描いてるはずだから」

「俺は碧海さんが異世界に行くまで、あと少なくとも三回は絶対関わる。

 関わってくうちに、その不思議な現象も説明できるんじゃないか?」

「どうだろうな。俺の閃き次第だと思うけど。

 俺たちの興味本位で勝手に始めたことだし、ゆっくり気楽に考察していけばいい」


 燐はパソコンを開くと、早速活動記録を記入し始めた。

 俺はそのうちに帰る支度を始める。


「もう帰るのか?」

「今日は五時半から喫茶店でバイトがあるからな。

 帰らせていただきますよ」

「俺はまだ残るから、施錠しなくていい。

 珪のマグカップも俺が洗っとく」

「さんくす」


 俺は謝意を告げると、じゃあなと言って部室を出た。

 

「遅れないよう急ぐか」


 俺は全力で走った。

 


 

 

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