第6話 雲の上の人、いとあやし

「これは、何を差し上げてましょうかと訳しますーーー」


 不思議な体験をした次の日は、いつもの日常に戻るらしい。

 俺は眠い目を擦りながら、六時限目の古典の授業を受けていた。


 授業内容は『更級日記さらしなにっき』。

 菅原孝標女すがわらのたかすえのむすめが書いた回想録作品だ。


 正直言って、興味がない。

 作者が何を経験したかなんて知ったこっちゃないし、第一に女性の気持ちなんて理解できない。

 俺はうとうとしていた。


「この助動詞“なり”の意味は何でしょうか。

 では、高槻君」


 そのせいで、問題を全く聞いてなかった。

 古典を教えてる岸和田先生が俺を笑顔で見てくる。


 俺は堂々と答えた。


「分かりません」

「眠いと思うけど、授業はちゃんと聞いておこうね。

 じゃ、申し訳ないけど、鉄池かないけさん」


 はいと行儀よく返事をして、隣の女子が席から立ち上がる。


「断定の意味の助動詞です」

「はい、その通りです。

 なので、この文の意味はーーー」


 真面目に聞こうかと思ったけど、再び襲いかかる強烈な睡魔に抵抗できず、俺は教科書を盾に寝ることにした。

 

 後でクラスの男子にノート見せてもらおう。






「高槻君、ちょっと」


 清掃が終わると、隣人である鉄池晏奈かないけあんなに声をかけられた。

 目が怒りの色を示している。


「何?」

「何で授業真面目に聴かなかったの」


 さっきの古典の授業の態度に怒ってるようだ。

 早く終わらせたいので、俺は謝ることにした。


「鉄池さんに迷惑かけてごめん」

「私よりも授業をしてくださった岸和田先生に謝るべきだと思うけど。

 先生に失礼だから、二度と授業で寝るなんてことはしないで」

「後で岸和田先生にも謝っとくよ」

「謝っとくよじゃない。

 次からは真面目受けようって、高槻君は本当に反省してる?」


 あんまり反省してない。

 授業真面目に受けようが俺の勝手だし、受けなかったら俺の成績が下がるだけだから。

 

 碧海さんの言う通り、俺は嘘が上手らしい。


「反省してるよ。

 次回から集中して授業を受けるようにする」

「言っとくけど、古典の授業だけじゃないから。

 他の授業も真面目に受けるって分かってる?」

「分かってますよ。

 もしかしてだけど、全ての授業監視するつもりか?」

「監視って言い方は正しくない。

 クラスのみんなが真面目に授業を受けてるかどうか、目で確認するだけ。

 高槻君は今日特に酷かったから、こうして呼び出して注意した」

「やってることが、サッカーの監督みたいだな。

 そんなことして疲れないか?」

「クラスの学級委員である以上、クラスを良くするために私が動くのは当たり前。

 疲れる訳ないし、疲れても私は動き続けるよ」


 晏奈は俺の目を正面から見て言い放った。

 晏奈の瞳は一切の曇りなく輝いていた。


「そんな高い志を持つ人に学級委員をしてもらえて、このクラスは幸せだな。

 いっそのこと、生徒会長でもやったら?」

「一年の後期に生徒会役員を務めたけど、生徒会はやっぱり最高だった。

 もちろん、七月の始まる会長選挙に立候補するつもりだよ」

「どうぞ頑張ってください」


 晏奈の会長立候補の話なんてどうでもいいので、早く話を切り上げようとした。

 だが、一つ聞きたいことを思いついた。


「鉄池さんは碧海硝子って知ってる?」

「知ってるよ。

 美術部で唯一コンクールで賞受賞してる人でしょ」

「碧海さんのことどう思う?」

「どう思うって……」


 晏奈は顎に手を当てて考え始めた。

 

「絵が上手くて、すごい人だと思う……。

 でも、それ以上に不思議な雰囲気がある」

「不思議な雰囲気?」

「一人だけ別の世界にいるような、そんな雰囲気をまとってる。

 碧海さん、誰ともあまり話さないって聞くし。

 話しかけにくい人って感じがするよ」


 晏奈の意見に納得する。

 碧海硝子は話しかけにくい、雲の上のような人間だと思う。

 この世界を拒絶するような、そんな空気だ。


「ありがとう。参考になった」

「参考になったなら良かったけど……。

 とにかく、授業は真面目に受けて」


 さようならと律儀に挨拶をすると、晏奈はバスケットシューズを持って去っていった。

 俺もスマートフォンを見ながら、逆方向に歩き始める。


「とりあえず、岸和田先生には部活後謝るか」


 俺はやや急ぎ目に、考察部の部室へ向かった。


 



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