支配者

三鹿ショート

支配者

 久方ぶりに目にした彼女は、痛々しい姿だった。

 片方の目には眼帯が装着され、頬には痣が目立ち、左手の人差し指と中指は固定され、右手の爪のほとんどは絆創膏でその姿を確認することができない。

 おそらく、衣服で隠れた部分にも、数多くの怪我が存在しているのだろう。

 だが、彼女は自身にそれだけの傷が存在しているにも関わらず、平然とした態度で私に接していた。

 おくびにも出さないということは、触れられることを望んでいないということなのだろう。

 彼女が私以外の人間との結婚を選んだことに落胆したために、疎遠になっていたのだが、現在の彼女の姿を見て、頻繁に連絡するべきだったと後悔した。

 彼女の手を取り、共に何処かへと逃亡すれば、彼女がこれ以上傷を負うこともないだろう。

 しかし、私がそのように行動することはできなかった。

 これほどまでに彼女のことを傷つける人間が逃亡した彼女を発見した際、怒りのあまりにどのような行動に及ぶのか、考えただけで恐ろしかったのである。

 ゆえに、私はしばらく彼女と雑談した後、別々の道を歩んでいったのだった。

 その後、私が彼女と再会したのは、歓楽街の一角に存在する店の中である。

 彼女と結婚することができなかった自分を慰めるために、彼女に似た人間を指名したのだが、本人が現われたことに、私は驚きを隠すことができなかった。

 客が私であることに気が付くと、彼女は苦笑していたが、それよりも私は、彼女の身体から目を離すことができなかった。

 想像していた通り、下着姿の彼女の身体には、多くの痣が存在していた。

 だが、以前と異なっていたのは、両手が無事であるということだった。

 おそらく、この店で働く際に不都合が生ずるために、彼女の夫が気を遣ったのだろう。

 しかし、彼女を道具のように扱っていることに、変わりはない。

 憐れみが含まれた私の視線から逃れるかのように、彼女は無言のまま、私の下半身に顔面を近づけていく。

 恥ずかしい話だが、夢にまで見ていた彼女との行為だったために、私は自分を止めることができなかった。

 その点では、私も彼女の夫と同類に違いない。

 だが、私は彼女に対して、暴力的な行為に及ぶことはなかった。

 それだけが、彼女に対する唯一の気遣いだったのである。


***


 店以外で彼女と会うことはなくなったが、会った際には、私は余分に料金を渡していた。

 私の財布にも優しくするべきなのだろうが、彼女の夫が彼女の稼ぎ高に満足すれば、彼女を蔑ろにすることはできないだろうと考えたためである。

 段々と彼女の身体の傷が少なくなっていくところを見ると、どうやら私の考えは間違っていないようだった。

 彼女の肉体から傷が消えることを願いながら、私は今日もまた、彼女と身体を重ねていく。


***


 自宅の呼び鈴が鳴ったために応ずると、扉の外には彼女が立っていた。

 突如として彼女が現われたこと以上に私が驚いたのは、彼女の姿である。

 顔面や衣服には大量の血液が付着しており、右手には、包丁を握っていた。

 何事かと問うと、彼女は荒い呼吸を繰り返しながら、夫の生命を奪ったと告げた。

 口元が緩み、目が爛々としているのは、おそらく過度の興奮によるものなのだろう。

 この場所に来るまでに通報された可能性を考え、私は急いで彼女を家の中に入れた。

 彼女を匿うべきか、然るべき機関に通報するべきなのかと迷っている私の肩を、不意に彼女が叩いた。

 振り返ると、何時の間にか彼女は、赤々とした衣服を脱いでいた。

 私が言葉を発するよりも先に、彼女は自身の唇で私のそれを塞いだ。

 そして、彼女はそのまま私を寝台に押し倒すと、歯を見せながら笑った。

 それから我々は、獣と化した。


***


 聞いた話によると、彼女の夫は一命を取り留めたらしい。

 しかし、私がそのことを知った数日後、何者かによってその生命を奪われたということだった。

 本人から聞いたわけではないが、おそらく、彼女の仕業だろう。

 現に、彼女は以前よりも明らかに生き生きとした様子を見せていたからだ。

 傷の無い顔面に笑みを貼り付けた彼女に対して、私もまた、笑顔を向ける。

 だが、私は以前のように彼女のことを愛することができなかった。

 それは、彼女が夫を傷つけたことが理由である。

 勿論、彼女の夫の行為は許されるものではなく、彼女が其処から逃げるためには夫を傷つけるという道を考えることしかできなかったということも考えられる。

 しかし、彼女の中に暴力的な彼女が隠れているということを知ってしまった今、彼女の機嫌を損ねるような行為に及んだ場合、同じように傷つけられてしまうのではないかと、私は恐れてしまっていたのだ。

 だからこそ、私は彼女を蝶よ花よと愛でることしかできなかった。

 今のところ、彼女が私に対して憎悪の感情を向けてきたことは無いが、今後も気を付ける必要がある。

 おそらく、彼女は自身が支配者側に立っていることに、気が付いていないだろう。

 何時の間にか彼女は夫と同じような人間と化しているのだが、そのことに気が付いたとき、どのような反応を見せるのだろうか。

 私は震えながら、そのようなことを考えた。

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支配者 三鹿ショート @mijikashort

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