終-下

[翌、一月中頃]

 


 国の政策で一年先延ばしになる街が多い中、亜椛らが住む街は例に反して開催され、駅横の市民ホールに人々は集う。街に溢れる晴れ着姿の若者。青臭さからの卒業、その先に案ずる社会の薄暗さを表しているのか、空はどんよりとした曇り。午後からは日が出て各地で晴れ間が出るだろうと、適当に願いもしない期待を空に放つ天気予報士。



 道ゆく若者の口角は揃って上がってはいるが、世間は変わらず暗い話題で持ちきり。それでも明るく気丈に振る舞う、そんな空笑いが数十年後に頬の皺へと変わっていく。



 父親が運転する車に乗っている振袖姿の亜椛、重要な表情は暗く寂しげ。握りしめている携帯は音も光もしないが、彼女は頻繁に確認をしては伏せるを繰り返していた。襟元や髪頭は派手に着飾っていて、それに対し父親は執拗に褒める。幼い頃からこのスタンスは変わらないが、今日だけは静かにして欲しいと願ってみたり。



 車は成人式の会場に到着し、亜椛は裾を気遣ってゆっくりと車を降りる。


 送り届けてくれた父親に一声掛けて直線道を進み始めると、聞き馴染みのある声が亜椛の名を呼び止めた。誰かが名前を呼ぼうにも、彼女にはあまり友人がいない。


 視界には多くの若者、思い当たるのは------たった二人だけ。大層な語り口だが本来は恥ずべきことだろう。それでも、家族や友人に恵まれた彼女の人生だった。


 その場で立ち止まり、声がした方をもう一度思い出す。



  その声がきっと、洸吉か蓮司だと信じて。

 





 

 ある若者は姿鏡の前に立ち、襟元に一本のネクタイを巻きつけ真下へと引っ張っていく。最後に見栄えよく三角に揃え、ジャケットを羽織ると鏡の前から移動した。階段を下っていくと、偶然廊下で鉢合わせたのは謹厳な顔をした若者の父親。



 スーツに着替えた彼をゆっくりと見下ろし、そっと肩についていた埃をつまみ取る。


 「随分とスーツが窮屈そうだな、蓮司。それじゃ一日過ごすの辛くないか?」



 「ちょっとジャケットがキツいかもしれん」と肩周りをごねさせながら蓮司はその場で回って見せた。背丈があるのは父親譲り、リビングの端から顔を覗かせる母親は、静かにグーサインを送る。


 「まぁ、そのくらい胸板あったほうが、他の奴らに舐められんだろ」


 父親は蓮司の肩をポンっと平手を置き、玄関先へと促した。そんな二人のやりとりを遠くで見ているだけの母親はゆっくりと口角をあげ、携帯のカメラに写す。


 「誰かと一緒に会場に行くのか? 暇だし送っていってやろうか?」


 「急に優しくされても、なんて返せばいいか分からんね」片足ずつ、蓮司は慣れない革靴をきつく縛っていく。


 「思った事をそのまま言えばいい……って何処かの誰かが言ってたぞ。知らんけど」


 「まぁ、遠くは無いし歩いていくよ。途中で誰かと会えるかもだし」


 何処か寂しそうな父親は「そうか」と言葉を返しながらも、靴箱からサンダルを取り出す。


 「……? 一人で行くって」


 「外まで見送るだけいいだろ、今日くらい……成人式くらい。なんかこういうイベントごと、小学生の時の野球の試合以来だろ?」


 「滑って転んだ時でしょ?」


 「そんで俺がグラウンドの中まで走って蓮司を抱えてな……」


 「まぁ、もうあん時みたいに弱いわけでは無いから」


 「いや……心配だし送ってやるよ」と父親は引き下がる事なく靴を先に履き終えた。蓮司は親心としつこさの違いが掴みきれずにいたが、決して嫌なわけではない。



 「行ってくる」そんな言葉を母親に掛け、二人は同時に玄関を出ていった。少しずつではあったが、真正面から本音を話した甲斐が大いに出ている。



 長年、言葉を交わさない生活をしていたが、お互いに寂しさは抱いていたよう。慣れない父親の優しさを実感し、ようやく家族が好きになれそうに思えたこの頃。

 

 




 何でも無い海沿の一角。多くのファンが資金を出し合い建てられた詩脾には、人々の心に残り続ける〝詩〟が細かく彫られていた。



 何かを成し遂げたわけでも、変えたわけでもないが、完成の翌日には大勢の参拝客が花を添えている。

 

 その中に一人、まるでおろし立てのように皺一つないスーツを着た若者が並んでいた。首元は綺麗に刈り上げられ、左腕には銀色の腕時計、右手には萎びた写真。やがてその若者の順番が回ってくると、手を合わせながらぶつぶつと何かを呟き始める。

死んだ三人を思って書いた新たな〝詩〟



 非情にも、目の前の石に何を言っても返ってはこない。その若者は写真を真正面に見せながらゆっくりと微笑み、「気がついたらみんなに歳が追いついてたわ」と囁く。


 後ろで順番を待つ女性二人は何かに気がついたのか、ゆっくりと横から覗く。それは海辺で楽しげに映る四人、つい先月に公開されたばかりの写真だった。




 「本当にあの頃は楽しかった。俺は幸せもんだよ、誰よりもさ。もう誰も悪く言わない人生にしようと思ってる、母親とも仲直りをしたよ」



 洸吉はそんな言葉を残し、詩碑の前から去っていった。



 

 飛び降りた際にできた頬の傷は、笑う時に口角を上げると皺に飲み込まれ、一時的にではあるが姿を消す。無理矢理にでも笑顔で暮らしていろと、母親からのメッセージかもしれないと思っている。


  洸吉がこれから向かうのは、よく似合う二人が待つ場所。




 詩碑に彫られていたのは、「幸太郎」が母親と暮らす中で書いた言葉。




 数十万人のファンが選ぶ最も人気であり、多くの共感を得た〝詩〟






 

【嘘に、幸せに、心に姿はない。

 

 それでも今朝、病弱な母の表情は妙に明るくて、何か嘘をついているように見えた。必死に幸せな姿を演じているように見えた。

 

 何故、そんな風に見えてしまったのだろうか、それらに姿はないのに。そこで私は、近くに心があった事に気がつく。

 

  私の周りには、こんな風に姿もなく目には見えない物だらけ。

 

 だから人は迷うし、見失うし、すぐ無くす。】




 詩皺  終わり

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