3-①

 


[十一月中頃]

 

 話は洸吉が二十歳を迎えた、一ヶ月前に遡る。


 世間では多くの政策が一同に施行され、地域によってはカウンセリングのマニュアルである〝標〟が届いた家庭も出てきた。街の心療内科やカウンセリングルームは日夜を通して混み合い、いかに若者の親世代が世の流れを危険視していたかが伺える。


 この頃の洸吉はバイトを辞めておらず、一日中部屋に引きこもる事もない。誕生日を祝ってくれたのは父親と亜椛、そして電話で伝えてくれた蓮司の三人。 

 

 しかし、例年とは違うことが一つある。それは母親が生前に残した手紙の存在。

 

 明け方に見るのは内容が重く、読んだその日は一日中、何度も涙を流していた。


 幼かったの洸吉を思い、病棟で一人亡くなった母親が残した言葉------

 



 【洸吉へ。 二十歳の誕生日おめでとう。

 必死に生きてきた洸吉を尊敬している。

 

 まだ文章は書いていたりする? 私が難しい言葉ばかりを教えていたから、幼いながらも使いこなしていた事を今、思い出しています。


 実は洸吉が書いていた日記のこと、掃除の合間に見つけて読んじゃった事があります。


 検査結果が良くないと急に怒ってしまったり、帰るといって遅くなったり、良い成績も素直に褒められなかった。


 そんな事があるといつも洸吉は日記に、口には出さなかった鬱憤を書いていたこと。それを読んで私はいつもまた嫌われてしまった、と思っていました。


 それでも料理や言葉の勉強の時にはそっと近づき、笑いながら話す時間があったからこそ、早く病気を治そうと見えない所で頑張っていました。

 

 世界を救うとか、世界を変えるとか、そんな事は考えず、きっとお母さんよりも悪い人なんてこの世に絶対居ないから、安心して好きな事をしてほしい。

そう願っている。】

 



 洸吉が数年前に書いていた日記は今、クローゼットの中にある箱に入ったまま。当時、理不尽に怒る母親へ向けた、憎しみの籠った文章を毎日のように書いていた。誰にも見られていないと思っていたが、それは数年の時を経て宛てた本人が目にしていた事を知る。


 洸吉はどんな感情を持てば良いかも分からず、無表情で立ち尽くす。書いていたのは紛れもない自分、殴る蹴るの痛みを言葉へ変換したような穢らわしさ。読んでしまった母親の気持ちなどを考えたとしても、もう謝る事はできない。

 

 体が弱かったからこそ、強く言い返すことも反発もしなかった。

 しかし思春期ともなれば赤色の感情の捌け口は必要で、どうか奥底で留めようにもそれが出来ず、言葉にする事を選んだ。そして日記と銘打って書き続けた。


「全て母親が悪いと思って今までも暮らしていた。その反面、俺だって相当な数の悪口を吐いて見せた。どうしてその事を忘れていたのだろうか」と手紙に向かって囁く。

 



 ------母親の死と同時に消えていった、断片的な数年の記憶。

 



 人間は自らを守るために心身を危ぶむ経験や記憶をどこかへと隠す性質がある。決して消える事はないがふとした瞬間にその記憶は姿を表し、人を後悔の道へと引き摺り込む。


 晩年も変わらずに洸吉は母親を嫌っていたが、亡くなったと聞いた瞬間に嬉しさよりも虚無感が襲ってきた事をはっきり覚えている。元々、父親は家には滅多に帰らず、常に母親と二人で暮らしていた。そのせいか、まるで半身を失ってしまったかのように。


 楽観な記憶は全て黒色で塗り潰され、微かに残ったのは母親と過ごした何気ない日々。


 若年層によくある事で、母親の死と言う大方が経ていくものを早いうちに知った洸吉も例外では無かった。嫌い嫌われの関係だと自認していても、家に帰ってみれば思い出もそこら辺に転がっていて、濃く匂いも染み付いているはず。


 何を忘れていたかを数えはしないものの、日記に書き殴った言葉の大半は忘れていたよう、母親からの手紙を読んで全ての記憶を取り戻す感覚。------そして何より、今まで忘れていたある友人らのこと。

 

 洸吉は今、自分が何をするべきかを思い出したように急いで携帯を開き、とあるSNSのアカウントにログインをする。最終投稿の日付は今から五年ほど前。

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