2-⑩

 その数日後の昼間に洸吉は一人、政治家の上松の演説を聞きに電車に乗っていた。

既に亜椛や蓮司から来る連絡を無視し続けて一ヶ月。伸び切った髪は結われていて、指には銀色のリングが嵌められている。〝自分は何をするべきなのか〟と言う難題を自らに課し、今日はその模索の一環で演説を聞きにきた。



 大きな乗換駅の中心にある広場に上松は立つ。既に多くの観衆が待機していて、時間に遅れた洸吉は全く姿が見えない端の方で登壇を待っていた。周りを囲むのは皺の寄った大人ばかりで、見渡す限り若者は見つからない。


 中心辺りのスピーカーを通して聞こえてくるのは短絡的な意思表明。過去の汚職や拙い数字を用いて、盲目的な観衆を相手に必死に自らを強調している。まるで若者らの死が彼の支持率の材になっているかのよう、幾度となく問題に被せては持論を放つ。

 

 「無関心が許されるのは今日まで。明日からは意思を持って、国民の一人として常に変革を求めていかなければならない。戦後約七十年、焼け野原がこんなにも緑豊かに、建物が上へ上へと登っていけたのは、そうした平和心や政治に関心があったからだ。ストライキやデモ活動、聞こえは悪いが最も有効的な意思表示に過ぎない。


 多くの税を使って行う事は、いつも絞り取られるだけの我々の意見に耳を塞いだまま。そう、長年の無関心がもたらした結果がこの様である」

 

 真下のマイクへ向けて流暢に語る上松に、観衆は拍手を送る。果たしてその拍手は賞賛だろうか、共感だろうか。曖昧な意思表示を変わらず続ける大人を蔑むように洸吉は見つめる。数週間振りの外出だったが、人間はこんなにもアホばかりだったのかと思うばかり。上松はその後も続ける。

 

 「現状、二十歳以下の若者の多くの命が次々と静かに眠っている。メディアでも目に耳にした人は多い事だろう。しかしそれは、より良い国作りの失敗が主な原因であり、我々大人の責任でもある。しかしそこで、さらに国は失敗を重ねるような動きを見せているのは知っているだろうか、それは数日前に発表された抑止政策。


 メインとなるのは十代から二十代で、国内人口の約20%にも満たない。元より基礎勉学の簡略化や少年法の一部改正、ネット利用の著しい低年齢化など、そうした政策がもたらしたのが現状の日本である。意志が弱く、幻想を抱くばかり。こんな失敗をまた繰り返そうとする国を野放しにはできないと、私が立ち上がった」

 

 彼は強く言葉を放ち、前よりも高らかに鳴り響く拍手を受け取る。「どうか私と、私たちとより良い国作りのために意思を持って戦っては頂けないだろうか。一緒に国を守り、変えていこうではないかと」上松はそう言い放ち、真下で餌を待つ鯉のように見上げる観衆を見つめ、誇らしげに汗を拭う。


 多少の野次や罵倒も、遠くからではあったが数人見受けられた。小さなコミュニティ間で繰り広げられる死生観のぶつかり合い、国の対応への不満。洸吉よりも数十年以上長く生きた人らがこうも愚かで蚊虻ばかりだと、それらを束ねる政府に同情が渡る。


 その後も上松は必死に訴えを続けたが、得られるのは好意的な馬鹿の視線と不出来な支持者。洸吉は彼に、国内に溢れる無能かつ量産議員に成り果てる姿を想像した。

そして隆盛を再び狙う大人に打ち勝つ、多くの若者の姿も同時に。

 

 洸吉は何かを携帯のメモアプリに書き残し、騒がしい広場から離れていった。

 

 その後もニュースのトップに上がるのは上松の動向。嫌味に垂れ下がった目元を世間に向け、主に老人らから圧倒的な信頼を数ヶ月で得た。よく通るその声と自信家の面を巧みに使い、若者を救う政策に対して反発を続けている。


 

[十一月中旬]

 


 その日、亜椛が予定もなくソファに寝転がっている時に一本の電話が届いた。


 画面に映るのは〝蓮司〟と言う名前。最後に連絡を取ったのは春中頃、半年ほど経過していた。すぐにソファへと座り直し、応答をしたが声も物音も聞こえない。何度か亜椛も声を掛けたが、一方通行で何も返ってはこない。


 そして、電話は切れた。「何? 携帯でも落としたの?」そう一人事を漏らす亜椛は妙に嬉しそうで、心音は触れずとも高鳴っているのが分かった。すぐに彼女は掛け直し、そっと耳元、そして赤らめた頬元へと近づける。「------蓮司?」


 電話の向こう側、それとも数百キロ先なのか、何かの物音と線路の擦れ音が聞こえる。


 「なんで話さないのよ、何のための電話?」


 そして、半年ぶりの蓮司の声が届く。「なんか急に恥ずかしくなっちゃって……」


 「それで一回目は切ったの? 口で言えばいいじゃん」


 「言葉とかより先になんか体が動いちゃって……気づいたら切ってた」


 互いの表情は想像上、それは穏やかでいて、同じ量の恥ずかしさ。何も変わらぬ言葉の欠如ゆえの行動の速さ。蓮司はおかしくも面白くもある。


 「------で、何かあったの? 急に何でもない時に掛けてくるなんて」

 亜椛の母親はキッチン奥から不思議そうに様子を伺う。


 「来月かその先くらいに、そっちに一回帰ろうと思ってて」


 「って……ことは十二月の前くらいって事? 随分と急だね」

 「なんか書類関係をやらないといけなくて、あるか分からないけど成人式もあるし」


 数ヶ月前に亜椛の家にも一通の封筒が届いていた。中身は二十九歳以下への特別優待券の案内や一連の案内、一読はしたものの結局何もせずに机の上に放置されたまま。関心がない訳ではないが、特に心身が蝕まれている事も一切ない。


 「亜椛はもうやった?」


 「なんかよく分からないから、多分ずっとやらないかも」それから数十分、二人は他愛もない会話を満たされるまで続け、「また来月」と言葉で締めた。


 終始、キッチン奥から会話と亜椛の表情を気にしていた母親は揶揄い混じりの言葉を投げかける。それに対し過剰に反論をする彼女だったが、こうした自然体でいられる親子の関係が最も望ましいと配られた〝標〟には書かれていた。

 

 取り巻く環境や付き合う友人など万人不一致の条件下で、こうして心から笑うことが出来る亜椛は幸運そのもの。日は沈み、家族と夕食を囲む。そして何の気なしにベッドへと入り、明日のアラームを掛けて眠りにつく。


 蓮司が一度実家に戻る本当の理由は、角目立つ親子関係の解消のため。友人の雅史が亡くなった事は両親にも渡っていて、最後まで側にいた事も知っている。「何かあったら帰って来な」のメール一つが届いただけで、何を思って今回の件を見ているかは分からない。


 何をしても凡庸だった蓮司はあの日、本気で友人を救おうとした。その事は決して揺らぐ事がない事実であって、今さら誰かの死よりも恐れるものは無い。最後に頼るべき両親を一度は捨て、一時は〝詩〟に縋っていた時もあったが、最終的に家族を選んだ。


 真正面で本音をぶつけ合い、長年溜め込んでいた感謝を口に出すだけ。良好でなくてもいい。少しでも微笑み合える関係を得る為、蓮司は実家へと戻る計画を立てた。

 


[十二月上旬]

 


 危ぶむ状況下でも時は一定に流れ、冬も中頃に差し掛かった。


 その日、私欲が混じり合うSNS上に、新たな〝詩〟が一枚の写真と共に投稿される。予期せぬ事態に多くの国民が選択に迷うも、五年ぶりともなる更新は明るいニュースに属す。

 


 ただ、既に投稿をしていた三人の若者は死んでいた。夢物語を嬉々として話す若者もいたりする。空から希望が降ってきたとでも言うのだろうかと。

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