2-⑧
[十一月中頃]
バイトを飛ぶ数日前に、洸吉は二十歳の誕生日を迎えた。
明け方五時過ぎに目が覚め、封筒を手に取りゆっくりと開いていく。背面に薄っすら筆圧痕が浮き上がり、長々と文章が書かれているのが一目で分かった。
そして、満を持して母親からの手紙を読んだ。手紙に書かれていたのは洸吉にとっての不意に消された記憶と、懐古すらも罪とする日々の数々。さらには母親が抱く未来の展望、過去の謝罪が一枚の紙に纏まっていた。
昔から回りくどさや小難しい言葉を使う事が好きな母親だったが、文章は至ってシンプル。本当に本人が書き残したのだろうかと疑ってしまうほど。
ただ、手紙を読んで感情が何も動かなかった訳ではない。
全てを読み終え、洸吉は無表情のままクローゼットを開けると奥底から大きな段ボール箱を取り出した。上面に隙間なく埃が被り、開き口は同色のテープで止められている。
次第に洸吉の息が荒くなり、中々取れないテープを乱雑に剥がし始めた。明け方ともあって家外の音も全くせず、始発もまだ出てはいない。ビリビリと剥がれる音だけが耳周りにはあって、思い出しているのは数年前の頃ばかり。髭など生えもしない、焦りなど気付きもしない。髪の毛だって今よりもずっと短い。
数年前の洸吉はS N Sに入り浸り、現実と大差ないほどの友人がネット内にはいた。
適当に年数を数えてみればその日は、今から五年ほど前になる。
段ボール箱の中から取り出したのは、まだ封が開いていない紙箱と白濁色の袋。さらに洸吉は前屈みになって中を覗き、一冊の萎びたノートを見つける。それから数週間、越冬する昆虫の如く部屋から出ることはなかった。元より長かった髪はさらに伸び続け、睡眠不足からくる意識の混濁は昼夜問わず洸吉を襲う。鼻下には疎な無精髭、顎先にも生えたまま。
充電が切れれば携帯を手放し、机に向かえば何かを書いては消すことを繰り返す。
何度か先輩の本郷からメールが来ていたが、無断でバイトを辞めた無責な申し訳なさで何も返せてはいない。
[十一月下旬]
そうして、何もしないまま日付が過ぎていった。
亜椛も事情を聞いて何度も洸吉の元を訪れたが、常に鍵が掛かっていて連絡手段も全て断たれてしまっている。何が起きたかすら知られないもどかしさは計り知れず、心配性な彼女も悶々とした日々を送っていた。
母親からの手紙を読んだ後から、まるで人が変わったかのように廃れた人格に成り果てている。一体何が書かれていたのかと、生活を共にする父親も探りを入れるが、特に明確な原因が見つかる事はなかった。
あれほど顔を合わせていた亜椛にさえ、何の事情の説明もなしに音信不通に。
そんな中、数週間前から突如として世の中に大きな動きが生じていた。
途切れぬ緊張の中過ごしていた若者は口角を持ち上げ、反対に大人は眉尻を下げて不満を放つ。現時点も六桁の数字が変動を続けている状況下、ようやく政府が表たって若者に手を差し伸べる。
それは〝詩〟を巡った皮肉な争いであり、若者が求む〝自由〟とは対角に存在する自我意識。
[十一月上旬]
午前八時五分を過ぎた頃、ある若者は新宿駅構内で奇声を発する。通勤通学の時間帯でありながら、やけに人通りが少なかった。
行き交う人は皆、携帯に視線を落としているも行動の意味を理解していた。
無表情の面を下げて歩く人らは、一心に携帯を見続けながら先を急ぐ。大したものが写っている訳でもなく、何かを見ようとしている訳でもない。駅中で叫び続ける若者を嘆くべく、必死に平静を装っているだけ。
内心、誰もが叫びたくなる程の事が昨日の未明に起こる。日本中で愛されていた元人気子役、現十七歳の俳優が死亡したと言うニュースが朝焼けの空を駆け巡り、日光と共に降り注がれた。それは暗い内容であったが、やけに明るく温かな光でもある。
速報で使われた写真の多くは、まだまだ幼さの残るふっくらした頬ではにかむ姿。数々の人気ドラマや映画で主役を飾り、直近では自動車のCMにも出演していた。そんな彼の身に何が起こっていたのか、偲ぶ声の中に混じる意味のない議論。
だが、何よりの証拠として上がったのが、彼がSNSで発信していたある言葉。亡くなる三日前、澄み切った青空を背景に撮った写真と共に載せられていたのが紛れもない〝詩〟であった事。
駅構内を行き交う人々は皆、彼を失った虚無を必死に隠しながら電車へと乗る。吊り革を掴むのは、揺れに耐えているのではなく、ある人は悲しみで真っ直ぐに立っていられないからだそう。普段より空いている車内には、悲嘆な空気がいつもよりも重く溜まる。
数分前に奇声を発した若者はその場で力つき、膝から崩れ落ちるとそのまま駅員に運ばれていった。皺の寄ったスーツとねじれたネクタイ、必死にここまで歩いてきたが、遂に壊れてしまったのだろう。目尻には涙を侍らせ、静かに建物の奥へと入っていった。
そんな事態が起こっていたのは新宿駅に限った話ではなく、公立学校では欠席が相次いで起こったそう。子を持つ親の心配は測る事もできず、ある家庭では思い切り抱きしめ、ある家庭では気分転換にと旅行へ出掛けた。
数年で大きく変わった、たった一つの命の価値、生き方の優劣。それは今や若者に限った話ではなく年齢層を徐々に拡大し続けている。どんな世界でも涙はついて回るが、こんな世界を誰が望んでいると言うのだろうかと、国民は敵を必死に探していた。多くを背負い死んでいった人々に向け、政府がついに公の場で〝詩〟についても触れる。
安泰な官職支えの老人より、若者を選ぶ選択をした。
さらには無視し続けた抑止案についても同時に開始されたが、世間は遅過ぎると苦言を呈すばかり。時期の見極めや一部の国民の意見を全て見誤った政府は、必死に良心を保ちながらもカメラに向かって頭を下げる。
リアルタイムで放送される事となった発表を国民は総じて注目し、駅前に設置された街頭ビジョンなどには大勢の観衆が足を止める。自殺者数が桁を増やしてから二年以上が経過し、ようやく事態を重く捉えた政府が出した政策は------
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます