2-⑦


[九月中頃]

 

 それから駆け足で春が過ぎていき、気がつけば夏も終盤に差し掛かる。あれほど耳をついてきた夏虫の声も威勢がなくなり、歩道には多くの蝉が蹲っているのを見かけるこの頃。


 亜椛は日差しを嫌うかのように物陰を歩き、出ている素肌も首元くらい。コンビニの看板が見えると早足で店の中へと入り、涼しさを全面で感じる。


 「いっらっしゃいませー」


 ある店員のぶっきらぼうな声が店内に響き、亜椛は何故か嬉しそうにレジへと向かった。手にはラムネ味の棒アイスが二つとペットボトル。変わらずに食べ続けているが、特に飽きる事もなくこれまでに数百本は平らげているだろう。


 三ヶ月ほど前からアルバイトとして働く洸吉がレジを打つ。髪の毛を切るのが面倒くさいと言う理由で伸び続け、後ろ髪は制服の襟元に被さるほど。


 「暇すぎて来てあげたよ」


 「来なくていいんだけど、亜椛であれ客は客だし」


 商品を袋に入れて手渡す瞬間「一個は洸吉のだから」と言ってアイスを一つ抜き取る。


 「休憩中にでも食べて、頑張ってね」と顔も合わせぬまま彼女は店を出ていき、レジ台に残されていたのはラムネ味の棒アイス。隣のレジで一連の流れを見ていたフリーターの中年男性は、微笑みながら「よく来るあの事は一体、どんな関係なのさ」と呟く。


 空き家が多く、駐車場も狭いこの店はあまり客が入って来ない。その為、勤務時間が重なれば嫌でも、別のアルバイトの方と話すことになる。洸吉よりも二回りも上の中年男性は顔に似合わず仕事が丁寧。油ぎった顔の割に綺麗好きな一面を持つ。


 洸吉にとっては初めてのアルバイトであり、優しく仕事を教えてくれた彼の名は本郷。


 本郷は一度精神病にかかり、勤めていた会社をやめてからはアルバイトで食い繋いでいると自己紹介で話していた。しかし私生活は充実していそうで、休みには必ず何処かへ出向くと言う。


 洸吉も徐々に素性を明かしていったが両親や社会の流れの件もあり、大人を信用できない性格ゆえに多少の距離は必ずとっている。それが何気ない会話の中でもわかりやすく現れ、時折、本郷を傷つけている事もあった。それでも優しく接してくれる彼を嫌いにはなれない。


 「いいよ、外でアイス食べてきて。休憩まだでしょ?」


 「そうします!」脱いだ制服を適当にカゴへ放り投げ、レジ台から洸吉は出ていく。


 彼にとっては家族、教師以外の大人と触れ合う唯一の時間。毛嫌いしていた節はあるものの、全員が嫌味な目つきをしている訳ではないと知った。人や物の印象は単純で、好きか嫌いかの二択しかない。嫌いだと思い込んでいても、自らに良い影響が期待できれば人は迷わず手にとる。それが洸吉にとっての大人だとして、あるいは〝詩〟であっても。



 そういった取捨選択の連続こそが経験値であり、皺となって表面に現れてくれれば良いのだろうと思ってみたり。大人に対して蔑む心を持っているのは変わらない。


 洸吉はコンビニの駐車場を横切り、一番端のフェンスに腰掛けた。唯一の日陰地で滅多に人が来ないと言う理由もあり、亜椛らと集まっていた公園に変わる新たな場所。数週間に一度は集まって話していたが、最近は夏虫や汗の理由もあって全く無い。


 その代わりに洸吉がバイト中に亜椛自らが赴いている。暇なのだろうか。


 アイスは棒だけが残り、すぐ近くの地面に突き刺す。最後に足先で踏んでしまえば、頭も出さずに地中深くまで隠れる。既にこの地一帯には、数十本のアイスの棒が突き刺してある。悪気なく店内へと戻り、彼は本郷に軽く会釈をしてレジ前へと戻っていった。

 

 「本郷さんは今の世の中の流れ方みたいなもの、どう見てるんですか?」

 客足が途絶えてから数分、沈黙を破って洸吉は先輩の本郷に問いかける。


 「まぁ、随分と酷いニュースばかりだよね。朝刊とかも見るのが辛い時だってたまにあるし、何でこうなちゃったのかなって」


 「どうすれば良いんでしょうかね、何か策でもあります?」


 「いや、もしここで答えがあったら、とっくに若者は死んでないよな。やっぱり俺にもわからないように、今でも国も迷ってるんだろ。こんな事、あっていい筈が無いしな」


 本郷はホット売り場にゆっくり移動し、廃棄時間を過ぎた揚げ物をゴミ箱へと無造作に捨てていく。「それによ、見た目とか暮らしも普通なのに突然、死にたくなって亡くなるって言うケースがほとんどなんだろ? 何かの記事で読んだけど」


 前に並んでいる揚げ物と何ら変わりない廃棄物。同じように艶よく衣が光り、トングで挟めば肉汁も溢れ出てくる。


 「だから気付くのも大変だし、気付いたとしてももう遅いしな。この揚げ物みたいに徹底的に時間とか状態を管理されていれば、そんな事はないんだろうけどさ」とは言いつつも、客に買われる事が無かった物らは全てゴミ箱へ。


 「僕もめちゃめちゃ自由っすもん。何も課せられた事はないし、どこでも行けるし」

 「だからこそ、悲しいもんとかって色々な所にあるだろ? 若いうちは自由に何でもやってみなさいって言う言葉がまるで、よくは思えなくなってきてるのよ」


 〝詩〟を多く残した若者らが死んで四年が既に経つが、彼らの自由奔放さに憧れを持って亡くなる若者も多い。


 「洸吉君はこれからの夢とかあるの? 就きたい仕事でもさ」本郷はホット売り場の廃棄作業を終え、付着した油汚れを拭きながら彼に問いかける。


 「あんまり考えてないんですけど、仲の良い家族とか持ってみたいとかはあります」

 

 それ聞いた本郷は静かに微笑みながら、視線を洸吉へと移す。


 「なんか手が届きそうで、実は難しい夢ランキング、トップな事だよね」


 「俺の周りに一人だけいるんですよ、優しい両親と家族を持った奴が」


 「じゃあ叶える姿も想像しやすいじゃん。頑張ってな、おっさんだけど応援してる」


 本郷はどんな時でも優しく、間接的に寄り添ってくれる。洸吉はその後、幸せな家庭を持つ亜椛の話を長々と続け、勤務時間を終えた。

 

だが、その二ヶ月後に洸吉は連絡も入れずにバイトをやめ、生活は前と同じように大半を家の中で過ごす。

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