2-⑥

 ある日の夕飯時。テーブルを囲む生姜の香り。真正面のテレビから聞こえてくる、覚えたての愛とやらをメロディーに乗せて歌う若者の声。 


 箸を止めずともその日の洸吉は、話ができるタイミングを伺っていた。


 ちょうど歌謡曲の番組もエンディングに入り、洸吉はようやく話題を切り出す。

 

 「------お母さんは最期、何か残していったりした? 俺に向けたやつとか……」

 父親はすぐに口角を上げ、取り皿の上に箸を揃えて置く。だが、洸吉を見つめるだけで言葉は特にない。


 「別に無いならないでいい。でも二十歳になる前にお母さんの事は整理しておきたい」


 「前にも言ったろ? 俺も最期には立ち会えなかったって。メールくらいしか」

 不自然に細めた目、父親はこの場で必死に笑顔を作っているのが洸吉には分かる。

 「そういう表情も、今は見ていられないから普通にしてて」


 そう告げると父親の頬元の皺は内側に収縮していき、表情は強張っていく。グラスの半分ほど入ったお茶を一気に飲み干し、テレビを消した。


 「今まで隠してきたわけじゃ無いが、実は一つだけあったりするんだ」


 洸吉は内心で驚きはしたものの表情には出さず、真っ直ぐに見つめたまま。


 「洸吉が二十歳になった時に、渡してほしいって言う手紙があってな」


 「それはお母さんがいつ頃書いたやつなの?」


 「死んでしまう二、三ヶ月前くらいに預かった覚えがある」父親は席を立ち、仕事用のバッグを拾い上げるとそのまま内ポケットを漁り始め、引き抜いたのは一枚の白封筒。何年も入れっぱなしだったからか、端々が丸く欠けていて皺が寄っている。


 それを持って席へと戻り、テーブルの真ん中へと置いた。

 「中身は読んだの?」


 「読むわけない、二十歳になった日に洸吉が初めて読むんだから」


 洸吉は封筒を手に取り、開け口を触ってみると封がしっかりとしてあった。厚みもおそらく三つ折りの紙が一枚、父親が好んで食べているミント味のガムの香りが鼻を掠めていく。言っている通り、長年鞄の中に入れてあったと言う証拠なのだろうか。


 「これはもう、俺が預かちゃっていいの? それとも誕生日の日に?」


 「好きにしていいぞ、どうせ数ヶ月後には渡すつもりだったし」


 意外にも、あっさりと受け取った母親からの手紙。そんな会話はそう長くは続かず、父親は俯いていたり何かを懐かしんでいるのか時折、窓辺を向く。


 夕飯をひとしきり食べ終え、洸吉は封筒を持ってすぐに自分の部屋へと向かった。


 リビングに残された父親は静かに箸を動かし、洸吉が作った大皿の生姜焼きを口元へと運ぶ。母親に教えてもらったからか、思い出も相待ってその味は数年前と変わらない。


 父親はそんな事をぼんやりと思いながら噛み続ける。

 

 夜十時を過ぎた頃にはリビングの明かりが消え、二人は別々の部屋で目を瞑る。ずっと避けてきた母親関連の話は、たった数分するだけでも疲れが襲う。洸吉は封筒を本棚の隙間へと挟み、来たる誕生日を待つだけとなった。


 今更読み返す気にもならないが、隠すようにして書いてきた日記まがいのノートには当時がそのまま残されている。酷い言葉を浴びせられ、頬には平手が飛んでくる話を。


 あの日にカフェで亜椛へした過去の話は、誇張も含んでいたが偽りはない。話を終えた後、彼女の家族の事も少しだけ聞かされた。


 そして急に、寂しさが芽生えたことも心内にはある。

 

 亜椛には話さなかったが、母親が言っていた〝輪廻〟という都合のいい考えがあるのなら、今の人生を二度と望まない。仲の良い家族を僻む人生など。


 本来、褒めるべき行ないにも洸吉へ母親は何も言葉を掛けなかった。それなのに一丁前に手紙は残してある。何を思って書き連ねていたかは想像もつかないが、少なくとも最後の言葉くらいは温かなものであって欲しいと願うばかり。洸吉は寝返り、本棚に視線を向ける。


 ようやく暗闇にも慣れてきた頃、うっすらと挟まれている白い封筒が目に付く。


 「書けるなら、思っていたのなら、残せるなら、さっさとしてくれれば良かったのに」


 そう呟く洸吉はゆっくりと目を閉じ、ようやく眠りにつく。

 

 それが全てを語る上での言葉に過ぎない。

 


[七月下旬]

 


 茹だる暑さに力が抜けるのは、道行く人も野良猫も同じ。日陰地にある煉瓦作りの花壇で横たわる猫は、人の声がする方を向きながら眠りにつく。


 駅前の小スペースにて、この街の市議である上松の姿があった。市民であれば、選挙ポスター等で一度は目にしたことがある顔。人の下につくのが得意そうな垂れた目尻と、不自然な笑顔はどこか不安を感じさせる。


 ジャケットを脱ぐとスペースの真ん中へ移動し、花壇に設置された小さなカメラに向かって話し始めた。時期的に今は選挙期間でも何かのイベントがあるわけでもない。


 この街の中心に位置し、多くのショッピング施設が集う駅前。そんな場所で上松が語っているのは、選挙や投票の重要性と世の中の動き。これから先の創造される危機など。


 まずは若年層へ向け、政治への関心を持ってもらうべく活動を個人で始めた。



 撮っているのは三分ほどの短尺動画。



 ひたすらにレンズに向かって笑顔で話し続けるが、奥底に秘めたものは市民への怒り。何も始めようとしない老人議員に票を易々と渡す人らへ向けて。まずは知名度、そして若者からの長期的な支持を最終目的とし、上松はSNSで自らを売りに出しつつ政治への知見を広げていった。


 数週間で良い兆しを含む効果は見られたが、普遍的な政治の話題ではインパクトが欠けていた。顔が整っているわけでも過去に何かを成し遂げたわけでもない。


 街の人々が一斉に目を向ける話題、それは若者の自殺の件だった。


 勿論、こうして活動を始めた発端もある一つの相談からで、ゆくゆくは絡めて行けたらいいだろうと思っていた。だが、上松が若者の件に触れるまでには、そう時間は要すことは無い。政治の仕組みや受けられる恩恵など、市民の多くはあまり興味がない。皆が国や市に求めているのは完璧な過程と結果のみ。そして時代に合わせた柔軟な対応力だ。


 上松は発する内容を完全に路線変更し、常にトップニュースに上がる若者の自殺の件を扱うように。この時期はまだ扱う人が少数だったこともあり、すぐに人目を集めた。 


 そうした人気をよく思わない市議の上層部は注意を促すが、市民の声に応えている問い事実は揺らぐことはない。更には活動がSNS上だったために、市民以外からも多数の支援声をもらうことに。小さな街から国へ、その声は政府にも届いており、ようやく抑制案と言う議題が少しずつ上がることとなる。


 上松はいつしか、若者の未来を守る立役者の一人として名が世間に認知されるように。


 思わぬ躍進でかなりの疲労は溜まるが、何かを変えている気分は変え難く、数年後には皆が選挙へ出向く事を想像しながら一日を乗り切っていた。



 〝良い国づくり、街づくり〟実現の為、より多くの知名度を求めていく。盲目になりながらも、上松は夏空の下を駆け抜ける。

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