2-③

 蓮司と距離が生まれてからの亜椛は何処となく抜けがあり、勢いづいた言葉もあまり出なくなった。落ち着きを得て大人へ近づいたのだと思えば心配する事もないが、普段の彼女で無いと隣にいても面白味がない。


 多少の会話を挟みつつ駅のホームへと上がり、そこで初めて目的地を決めた。夏服の物色も兼ねたいと言う理由を汲み、向かっているのは大型ショッピングモール。休日に行くなどインドアな洸吉は後ろ構え、力が抜けた体を電車は大きく揺さぶる。


 「ちょっと前に、蓮司が飛び降りたって言う夢を見たって電話してきたじゃん?」


 「そういえばそんな事あったな」


 「その時の私があの若者の〝詩〟を言ってたんでしょ?」

 

 「長々とな、ずっと呟いてた気がする」


 他人の夢の中とはいえ、苦手な言葉らを口にした自分が嫌なよう。どんな事を呟いていたかまでは、洸吉もあまり覚えてはいない。


 「蓮司の友人の件の後だったからって言うのもあるけど、いよいよ私達の周りにもどうしようも無い流行りが来ちゃった感じがするね」


 亜椛は携帯の画面の指紋を袖で拭き取りながら、そう寂しげに話す。


 「気付かないだけって言うか、気に掛け始めると飲まれちゃう気がしてな……」


 「絶対に縁が無いって思ってた蓮司だもん、私は友人とか五人もいないけどさ」


 「あいつはこれから遠くで頑張るって言ってたし、見守るしかできないや」


 電車は小休憩をいくつか挟み、三十分もすれば都会へと入っていく。当初よりはだいぶ車内も慌ただしくて騒がしい、休日感を雑に表していた。



 夢で見たと言う話はいつの間にか終わっていて、二人は個々に携帯に視線を落とす。

 


 ようやく電車を下り、駅隣に併設された大型ショッピングモールに向かう。空腹感は常にあったが、車内の圧迫感を抜け出せただけでも気分の良さが表情に出る。亜椛は両腕をぐっと伸ばし、吹く向かい風に後ろ髪を靡かす。


 「あぁー、超混んでたね。通学以外にあんな電車乗りたくないわ」


 駅のホームから続く二列の人で作られた曲線、皆向かう先は同じ。


 「これじゃ、どこの店も入れないんじゃねーか? まだ一時とかだし」


 「奥にある和食屋さんとかなら予約できるよ、てかそこ以外食べる気ないし」


 「育ちが良過ぎると、わがままになるんだな」そして洸吉は亜椛の後をついて店へと向かったのだが、二時間待ちの列が二人を構える。 


 「二時間か、ぎりぎり許容範囲でよかった」亜椛は気にせず最後尾へと並び、そんな傲慢さを少し離れたところから見つめる洸吉。

 

 結局、和食屋が空くまで時間を潰すことになった二人は、数分待ち程度のカフェに入った。二時間くらい待てると豪語していた亜椛だったが、途中で直立に耐え切れず何度もしゃがむ姿勢を繰り返している。


 そんな状態に見兼ねた洸吉が無理矢理に腕を引き、ようやく椅子に座れた。言葉もなく亜椛は背もたれに寄りかかったまま動かず、注文を受けにきた店員は顔を渋らせたまま。


 「------なぁ、亜椛。何飲むか決まったって言ってただろ?」


 そう話しかけると口元は微笑みながらも、急に目を閉じ始めた。困惑した洸吉はすぐに女性店員へ頭を下げ、眠った亜椛を揺らす。


 「別に起こさなくてもいいですよ、うるさいだけですし……」


 「えっ?」


 後から聞けば女性店員は亜椛と前のバイト先で知り合った友人。横柄な態度をとっても許されるために目を瞑ったと彼女は説明をした。


 「なんか今日、やけに亜椛に振り回されてばかり、イライラするわ」本来であれば、亜椛に振り回されるのは蓮司。


テーブル上にはサンドイッチが二つと野菜ジュースが置かれ、亜椛の友人だという店員は不的な笑みを作ってカウンターへと戻っていった。


 「何あの顔、なんか変なもんでも入れられてない?」


 「女子の友達とかいたんだな、初めて見たわ」

 まじまじと多方向からサンドイッチを見つめ、大口を開けた亜椛は齧り付く。


 「あぁ、ただ美味いだけだった。あいつなら入れかねないから……」


 それから二人は軽食をあっさりと食べ終わり、飲み物を息継ぎに何の気なく話続ける。


 「そういえば、なんで亜椛だけ家に残されてたの? うるさいから?」


 「どうしてこうも周りは私のこと、うるさい物扱いするのかしら」と亜椛は上品に小指の先は細やかにピンと伸ばしながら話す。


 「そのまんまの意味だろ、理解しろよ脳天気」


 「……詳しくは知らないけど、誰かのお見舞いとかって言ってた気がする」


 「じゃあ、うるさいのはお断りだよな」


 「妹の友人らしくて、私は会ったこともないしね。多分そっち系の暗―い感じ」

 グラスの氷が無機質な音を鳴らす頃、話は洸吉の家族の話へと移っていった。彼と蓮司とは中学の頃に出会ってはいたが、亜椛と話すようになったのは高校在学中。


 それ以前の事は聞かなきゃ知れるはずもなく、何となく仲の悪い家族と一括りにしていた節が亜椛にはある。


 洸吉はそんな印象を持たれていた事に驚きもせず、「何となくじゃなくて本当に腐った家族だった」と無表情で返した。


 「でもお父さんが家に帰ってくるのは、何回も無かったんでしょ?」


 「今は毎日帰ってくるけど、小さい頃は年に四回とか」


 「それでお母さんとも仲悪かったんでしょ? よくその中で過ごせてたね」


 洸吉の我慢を表すには、それに適した壮大さを持つ言葉がない。当たり障りのない言葉を使っている亜椛だが、真意はどんな過去を過ごしていたかを知ること。


 「仕方なく過ごしてたけど、料理も言葉もそれが無かったら覚えてなかったしね」


 「ふーん」と亜椛は頷き、話の続きを口先で促す。


 「何が聞きたいの? 俺の家族のこと?」


 「ちょっと待ってね」と、突然に亜椛は立ち上がり、新たな飲み物を注文しに席から離れていった。しっかり話を聞いてくるのだろうと、洸吉自身も模索しながら身構える。


 奥の注文口に視線を向けると、亜椛とその友人の店員が談笑中。昼時をとっくに過ぎている影響か、客足もようやく疎になってきた。


 洸吉のグラスの中にはアイスコーヒーが七割ほど。入店して二十分ほど経っているが、さほど減っていないのは緊張していない証拠なのかと考えているうちに亜椛は席へと戻ってきた。前よりも大きいサイズのグラスを持って。


 「よし、準備できたから昔とか家族の話、聞かせて」


 何故こうも、家族を嫌うのかと言う数年間の疑問。亜椛も外見はおおよそ理解しているが、内なる部分を何も知らない。出会った頃から誰よりも大人びていた洸吉を、不思議に思いつつも心にしまってあった。


 「どんなお母さんだったの?」俯いた洸吉は「あいつは軽度の鬱だった」と口を開き、今まで亜椛に話す事はなかった家族の話をし始める。何年間も濁してきた結果、呼び名がいつの間にか〝あいつ〟に成り果てた。


 記憶は薄れていくも、憎悪は年々色味を増していく。亜椛はテーブルに両肘を寝かせ、その上に顎を乗せて聞く姿勢をとった。



 洸吉の父親は家庭よりも趣味と仕事、二人で何処かへ出かけたはほとんど記憶も無い。その代わりに多くの時間を過ごしたのが、暴言を躾と見做すたった一人の母親。一日に何錠も薬を喉へと通し、苦い表情でいた事を覚えている。体が弱いことは知っていたが、病名まではなくなった後も知らされないまま。


 今更知りたいとも思わないが、多少なりとも洸吉には引っかかるところが多くあった。



語り出しは十歳の頃から。

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