2-②

[六月下旬]

 

 そして話は四年後の現代へと戻る。


 春に属する六月だが、気温だけは焦らずともやってくる次季を模倣しているかのよう。早すぎる蝉の音にも耳は慣れ、側を駆け抜けていく幼子は携帯を握りしめて公園へと向かった。


 亜椛や洸吉がよく集まる公園に近頃、海外産の大きなクワガタが木に止まっていたという情報が流れているらしい。しかし周りが空き家続きだと言う事もあり、よく響く幼子の声も迷惑にはなっていない。


 その影響を全面に受けた結果、あれほど静まっていた夜の公園は姿を見せなくなり、二人は別の場所を探す羽目に。あれほどまで落ち着く場所もそう簡単には見つからない。


 蓮司が引っ越してから一ヶ月が経つが、連絡の行き交いは少なくなっていく一方。元より洸吉が話を振らなければ生まれない会話だったが、毎日都合よくあるわけでもない。とは言っても、今見えているのは真っ白な天井。次の予定も体の向きを変えるくらい。


 土曜日だと言う事もあって今日は洸吉の父親が奥の部屋にいた。


 午後にはバンドのライブに出かけると言っていた為、こうして寝転がっていれば必然と一人になれる。そんな曖昧模糊な考えの中、微かにロックな曲調の音楽が漏れて聞こえてきてやはり落ち着く事ができない。


 さっさと送り出した方がゆっくりとできると洸吉は咄嗟に算段を踏むと、ベッドから飛び起きて部屋を出ていった。向かう先は廊下に出てすぐのリビング。


 ソファに仰向けで寝そべり、携帯を胸の上に乗せて音楽を聴いている父親は夢心地。近づくも目を開ける事はなく、満足げな表情で爆音を体に浸す。胸の上にある携帯を手に取り、掻き鳴らすギターの途中で止めた。


 「うるさい、よくこんなの聴いたまま寝れるわ」


 父親は昼前に家を出ると話していたが、何も用意されている形跡がない。時計は間も無く予定の一時間前を迎えると言うのに。


 急に面倒くさくなり一度は無視して部屋へ戻るも、結局放っておけなかった洸吉は彼の肩を揺り起こした。


 父親をライブへ送り出し、家に一人となった洸吉。特にする事もなくソファで携帯をいじっていたが、別意識であったかのように突然腹が鳴り出した。スッと起き上がり、携帯をテーブルに置いたと同時に今度は着信音が鳴り始める。相手は亜椛。


 どうやら起きたら家族が出掛けていたらしく、昼食が用意されていないと言う話。自分で作ればいいと言う解決案は通用せず、即席麺も今は家に無いと説明を加えてきた。


 「じゃあ外に食べに行けよ、俺は今から作るから電話してらんない」


 何も考えず、実直に先の数十分を話したのが過ちに変わった。亜椛はそんな二つの意味で美味しい話に乗っかり、準備をして洸吉の家に向かうと言う。


 冷蔵庫を開けて作れるものを探す中、不意に思い出したのは友人を亡くしたばかりの蓮司。片道二時間を毎回掛けてでも側にいてやりたいが、彼にも大学や私生活がある。脳内では思っていても行動に移す手前、必要ないかもと後退りをしてしまう。


 メールもあまり返っては来ない。少しずつ元気になっている事でも確認できれば、毎日気を使ってメールする事も無くなる。単に洸吉が見た夢の中ではあったが、暗く深い場所にいなければいいと願うばかり。


 冷蔵庫を閉め、調理を始めようとした矢先に視界に映ったのは物で溢れたリビング。父親が慌てて用意をしていたせいもあり、服は脱ぎ捨てられ床に広がる。


 洸吉は億劫な表情を浮かべ、まずは片付け始めた。

 

 インターホンが鳴ったのは連絡が終えた十分後。エントランスを通らなければマンション内へ入れないが、亜椛はゴミ捨て場から通ずる裏道の存在を知っている。そのため音が鳴った時にはドアの前まで来ていると言うことだ。


 亜椛は構わずドアを開け、靴はあえて脱がずに洸吉を玄関で待つ。


 「来たよ」


 物音がするばかりで返答はない。招かれて来ていると勘違いをしている亜椛。「入るね」当然、家に上がるのに許可などは要らないはず。靴を揃えて廊下を進む。


 一方の洸吉はリビングの片付けに追われていた。せめてもの見栄で空き缶や食べ終えた食器をキッチンの奥へと隠し、床に脱ぎ捨てられた部屋着を物置へと投げる。一枚のドアを開ければすぐにリビングに繋がるため、亜椛の声が聞こえてからは数秒の猶予。


 まるで脳内には手足を急がせるアップテンポな音楽が流れているようだった。それほど部屋中は生活感と自堕落さが溢れている。洸吉が最後に手を掛けたのはカーテン、思い切り両端へと開いた。その瞬間、扉の奥から亜椛が顔を覗かせる。


 「いつも水しかないから買ってきたよ」と手には二リットルのお茶と棒アイス。


 「今日に限って用意してあるんだけどな」


 「ならお父さんと飲んで、重いから持ち帰りたくない」深々と被せていた帽子をソファへ投げ、亜椛はそのまま洸吉の母親の遺影が置かれている棚に向かうと「お邪魔します」と一声掛け、会釈程度に頭を下げる。


 「おい、育ちの良さをここでも出すな」とキッチンから見ていた洸吉は野次を飛ばす。


 「洸吉が嫌いでも、無視して素通りは良くないでしょ」


 写真の母親は真っ直ぐに微笑み、平面でも髪の艶色が鮮やかだと分かる。


 「さっきまで片付けしてたから何もまだ、作ってない」


 「だと思った、なんの匂いもしなかったし」


 「今から作るけど家にある食材で、だからね」


 昼食を食べに亜椛は洸吉の家に来たわけだが、窓外には涼感を思わせる水色の雲。更には暑苦しがない小春日和な今日。


 「なんか……家にいるの勿体無いくらいの天気じゃん」そんな亜椛の一声で急遽予定は変わり、二人は家を出て駅に向かって進んでいた。

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