1-⑩

 「……ねぇ?」


 「あ? なんだよこんな時に」


 「確認なんだけど、駅まではどれくらいなんだ? 信号はあんのか?」


 弱気な表情の蓮司に若者は蹴りを入れ、「黙ってしっかりと持て!」と喝をぶつける。一応は雅史も自分の足で進んでいるが、少しの段差でよろけてしまう現状。平日の半端な時間という事もあり、道を埋め尽くすようなほど通行人はいない。

 

 それから数十分後に三人は病院へ到着。傷は深いが数針縫えば問題ないらしく、飲んだ錠剤に関しても胃の中を洗浄すれば良い方向へ向かうと説明を受けた。


 雅史が治療している間、重苦しい雰囲気が漂う院内を二人は抜け出し、テラスに置いてある椅子に座る。気がつけば昼はとっくに過ぎていて、緊張からようやく解放され始めて腹が鳴り出した。


 古くからの友人を必死に介抱するのは不思議ではないが、偶然通りかかっただけの若者がここまで動けたのは、心に秘めた言葉が原動力だったと打ち明ける。その言葉とはここ最近、どこへ行っても付き纏う〝詩〟


 若者はようやく名前を名乗り、歳は蓮司よりも二つ上だと言うことも分かった。そんな言葉に影響され意識が死に向くのではなく、救う方面に言ったと誇らしげに話す。


 「ちなみに大事にしてる〝詩〟って……どんなやつ?」


 「幾つもあるけど、やっぱり初期の方に出した、母親への嘆きを書いたやつかな」


 「そんなのがあるのか、あんまりそこらへん知らなくて」残した言葉などはニュースによく流れているが、知ろうと思って調べたことはない。更に母親への嘆きと言うジャンルがあったのかと、彼と出会わなければ知らなかった事実。


 「俺の母親は事故で死んでてさ、死生観とかそう言うのは近寄りづらいけど、まぁそう言う家族愛みたいな類においては結構好きで見てる。何思って書いたかも分かるしな」


 若者は携帯を開き、残してあるメモを蓮司へ見せた。


 「なんか思ってたやつと違う、もっとキツーいポエムみたいなのが書いてあるのかとずっと思ってた。てか、その〝幇間〟ってなんだ?」


 「幇間っていうのは、要するに現代で言う〝媚び売り〟とか〝機嫌取り〟みたいな意味で、そう言うのって第三者から見れば気持ち悪いだろ?」


 「まぁ、友人からは嫌われるよな」


 「でも、そうならざる終えなかった人の生涯を短文にしたっぽいやつでさ」


 「人によく思われたい性格だったんだろうな、その人は」

 

 それから日が完全に日が落ち、二人は固い握手を交わして別れた。



 一方の雅史は夜中に線路へ侵入し、知らずに走り抜ける電車に撥ねられたそう。


 抜糸もする事なく、真っ白い包帯で巻かれたその腕には茶色い砂利が付着し、数分後に警察官によって拾い上げられた。そんな夜街の既成事実を助けた若者は何も知らず、人を救ったと言う話を誇らしげに母親の写真へ向けて話し続ける。


 蓮司に連絡が入ったのはそれから数時間後、精神の安定が見られずにその日は雅史の家に泊まっていたが、疲れでドアの音に気が付かず雅史の手を離してしまう。


 薄暗がりの表情を浮かべる蓮司はそのまま家に帰るが、咄嗟に思い出したのは若者が嬉しそうに話してくれたあの〝詩〟


 興味や共感もなかったが、今になってそれらは蓮司を強く抱きしめてくれる感覚があった。誰が何を思って書いたかも分からない、そんなものに縋り付いてまで彼は、必死に雅史の残像をかき消そうとする。


 携帯の画面には、洸吉と亜椛からのくだらないメールがぼんやりと浮かぶ。明日の午後にもこの家に来る約束になっているが、二人を持て成す準備さえできそうもない。


 荷解きも全く終えていないこの閑散とした部屋で、蓮司は初めて三人が残した〝詩〟を調べ始めた。ずらっと縦に並ぶ中で、「心に染みる詩十選」と銘打たれたサイトを開き、ぼーっと画面を見つめなら過ぎる時間。


 意外にもそれらは固まった蓮司の思考や体を動かし始める。窓外を眺め、何も成し遂げられることが無かった不手際な過去を、不本意ながらも思い返した。


 カーテンが揺れる先では、パラパラと小ぶりな雨がちらつき始める。


 それから程なくして、洸吉へ電話を掛ける。すんなりと繋がったが、話たいことを全て出し切れるまでは随分と時間を要した。

 

 全てを知った洸吉は酷く落ち込み、脱力しながらベッドに横たわる。


 そしてあの、誰かが飛び降りた奇妙で悍ましい夢を見始めた。



 朝方に目が覚めた頃、それは現実に近い夢であったと気づく。


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