1-⑦

 大学の授業が終わり、上面な友人との遊びを断って亜椛は蓮司の家に訪れていた。

大きな荷物はすでに新居に運び終わり、後は細々したものを持って家族と向かうだけ。と言う直前に会う約束に漕ぎ着けた亜椛だったが、話すことも特になく、用意された座布団に座っている。


 部屋をぐるっと見回すも、貼ってあったポスターもカビが生えていたカーテンも無い。二人の距離は数センチ離れている程度、置かれた座布団の位置のせいにでもしようか。


 「結構捨てるものあった?」


 「さぁ、ほとんど洸吉がやってくれたから」


 「捨てちゃまずいものとかあったんじゃないの?」


 「あっても、忘れるようなものだし平気だと思う。汚い部屋だったし」蓮司は手持ち無沙汰からか充電器のコードをゆっくりと結び、亜椛に視線を向ける。


 「一人で暮らしたら親とも早く仲直りしなよ? 何でも一人は大変だし」


 「どうなるかね、親が嫌で離れて行ったって向こうも思ってるだろうし」


 表向きの理由は通学の為だったが、実際両親との不仲が理由の大半を占めている。


 「一年くらい離れたら、何かに気づくんじゃないの?」


 「何かって、親の有り難さとか?」


 「まぁ、そんなところ」


 「もう小学生以来で優しくされた事ないしな。失望ばかりさせてたから」


 話は続いているも寂しさは露骨に態度に現れ、二人の口調に抑揚はなくなる。


 「蓮司は気が弱いし、周りに流されやすいんだから関わる人は選びなよ? どこへ行っても誰かに無下に扱われるんだから」


 「急に刺さるようなこと言うな、言い返してくれる洸吉もいない時に」


 亜椛は床に付着した汚れを見つめたまま、すぐ横にいる蓮司の肩にもたれかかる。肩の位置が高いからか、乗せたというより寄りそうと言うべきだろうか。


 「いきなり……」近くに亜椛の頭が寄ってきても蓮司は落ち着いていた。 

   

 「今は洸吉がいないから」と亜椛の言葉を聞くと、蓮司はゆっくりと微笑む。この時も、置かれた座布団の位置のせいにでもしようか。なんて事を浮かばせる。


 それから数分間はこうしたまま。その後に蓮司は初めて寂しさを口にし、両親が乗る車で街を出て行った。手を振るのも親の前では恥ずかしいのか、小さい会釈を亜椛に返す。


 見送りを終え、亜椛はそのままの寂しい感情を丁寧に持って帰宅。

 一人が離れていったと言っても、彼女には二人のうち一人。片道二時間は簡単には会いに行ける距離ではない、そんな陰気な思考で食べる夕食や風呂は良いものでは無かった。

 

 

 ある日のトップニュースに上がったのは、とある政治家のSNS上の発言。


 その男はいち早く若者の未来を守ろうと多額の税金を使い、対策していこうと言う話題を呼びかける。細かくは言及されてはいないが、若年層の自殺者の増加及び、十年単位先の未来を不安視したものであった。


 誰もが目を背けたくなるような凄惨な事案を、率先して取り組もうと言う姿勢を示したが議会はそれを嘲笑い、全く受け入れる事はせずに流したという暴露までも出ている。若者を守ろうとする声は日に日に大きくなりつつあり、そんな中での上に立つ者の裏切りとも呼べる行為。すでに不信感は拭えない政府へ、さらに不安視を向ける国民。


 だが、時期がまだ早いという真っ当な意見も多数見られた。


 数字だけで言えば半年で二千人ほどが増えている事になるが、大きな影響はないと言う判断を下す専門家も多く、後手にならない程度の見極めが必要となると意見を述べる。


 国は若者より、声の大きい老人らの為に必死に働く。その理由は単純で、最も重要視する支持や票に大きく影響を及ぼすからであった。

 

[四月下旬]

 

 新たな家に来て早くも五日が経ち、蓮司は相応に街並みを理解し始めた。二人とはメールは続いているものの、心配を含んだ不安気な内容ばかり。


 何処の街も世間の声というのは変わらず、若者を煙たがる老人すらもいたりする。


 二人に話していた危ない友人が住む家とも近く、家事や孤独も初めての事で多くに気を張って生活を続けていた。暇が無く好きな漫画も箱にしまったまま、大学で使う教材のみを棚に置いて放置している。


 蓮司は数日後に渦中の友人宅へと訪れ、共にゲームをして和んでいた。幼い頃は外で走り回っていたが、今や友人を外には連れ出せない。コントローラーを掴む瞬間に見える袖口付近の切り傷。ニュースでよく見る自傷行為だろうか。


 テレビに相対してソファに座っている二人は数時間続いたゲームを終え、凝り固まった体をのけぞらせる。風呂の第一声のよう、うめき声をあげているのは友人の雅史。


 「ずっとこんな生活をしてたのか?」


 「ずっとな」と誇らしげに返す雅史は冷蔵庫を開け、カフェインを多く含んだ飲料を取り出すとテーブルの上に置いた。「------さぁ、続けようか」


 蓮司は驚きで目を見開きながら「は?」と声を上げる。「もう三時間も続けてたじゃんかよ」


 雅史は嬉しげな表情で「今日は久しぶりに調子がいいんだ」と言ってコントローラーを拾い上げる。そんな彼の横顔を蓮司は見つめ、仕方がなく缶の蓋を持ち上げ流し込む。


 「好きなだけゲームしてればストレス溜まんないしな」


 「まぁ、出来ない時間とのギャップでストレスって溜まるって言うしな」


 久しぶりに飲んだ飲料だったからか、美味しく感じられず一口飲んで置く。


 「俺はもう自分の事ダメなやつだって分かっているから、好きな〝詩〟通りに生きてみようと思ってんのよ」


 ダメなやつだと思っているからこそか、部屋の中には飲み掛けのペットボトルが投げ捨てられていたり、糖で膨らんだでっぷりと乗る腹肉も気にしないまま。


 「お母さんが毎週来てくれてるんだろ? そんな事言っちゃ可哀想じゃん」


 「昔じゃ考えられないくらい、急に優しくなりやがってよ」


 「でも優しくなっただけ良い事だろ? 俺なんて全く変わらずだぜ」


 「そう思ってるからこそ、どうにも出来ない自分が嫌いになっていくんだよ」


 ラインもゴールも無い空き地でサッカーをした数十年前の記憶、夏場は涼しさを求め浅瀬の川ではしゃいで回っていた。そこでは誰よりも目を配っていた蓮司の両親。


 「俺は逆だけどな、嫌われているからこそ家を出てきた。多分自分から帰らないと、俺の場合は来てくれる筈ないし……」


 「蓮司の両親、俺も嫌いだから。時間、ルールに厳しくていつもむかついてたわ」


 今思えばその縛りがあったからこそ、安全に街を走り回れたのだと理解している。そんな思いは感謝の言葉には姿を変えず、こうして無視したまま家を出てきたのだろうけど。


 その後もゲームを一時間ほど続け、雅史の心身が安定した事を確認してその日は解散。ドアが閉まる時に見えた彼の笑顔は、数週間をも安心に浸されるほどのものであった。

 

 線路を挟んで反対側に蓮司の家があり走れば十分、歩けば二十分。その日は気分がやけに良い気がして、普段はしないだろうに走って帰った。

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