1-④

 数日後、世間は自動車三台が絡む事故に視線を向けていた。軽自動車に乗っていた十九歳の男女三人と、別の軽自動車に乗っていた二十一歳の男女が二人。三車線からなる高速道路の上、事故後の調査でスピード過多の追突と判断された。


 前を走る軽自動車にすぐに追いつき、減速しようとするも間に合わず。それぞれ運転していた二人と後方に座っていた女性らは今、安置所で音も無く眠っている。自殺だと言う声も少なくはない。そう言われてしまうほど世の中には流れがあった。そんなニュースに洸吉と蓮司は意見を交わす。


 数週間後に迫る引っ越しの準備、部屋の掃除の合間に。洸吉は物が密集しているベッドの下へと腕を伸ばしながら話す。


 「どう見ても調子に乗ったせいだよな? 免許取り立ての」


 「交通事故にも自殺を絡めるとか、ほんとクソばっかだよな」


 「完全にイコールが全てそっち方向に結びついちゃうんだろ」


 「本当にメディアの奴らは馬鹿ばっかりで------」と洸吉が愚痴を吐き出している途中、ふわっと壁とベッドの隙間から灰色の煙が上がる。


 「ちょっと待て!」と急に叫び出した蓮司は、宙を待った埃を嫌うかのよう勢いよくベランダに飛び出していった。


 「何を取り出そうとした? すごい埃だったけど……」


 洸吉がベッドの下から引き摺り出してきたのは、段ボールに敷き詰められていた本。霜のように背表紙に乗った灰色の塊、そして鼻先を過ぎる微粒の塵。空気の通り道を開通させたようで、祝杯にと壁際から煙が上がった。

 洸吉は意味なく拍手をし始めた。

 だが、そんな動きですら埃は舞い上がる。


 「分かんないけど雑に積まれてる漫画、奥にも汚れすごいよ」


 漏れ日がスポットライトのように宙を浮遊する埃を照らしているが、その中心に座る洸吉は何の害も感じずに作業を続ける。ベッドの下には多くの紙類と丸められた洋服、まるで隠してあったかのように次々に出てきた。


 「全部ゴミ袋に入れちゃってもいいだろ」と、洸吉は中身も見ずに突っ込む。


 「写真とかは別に分けて置いてな」


 「普通写真とかはファイルに入れるもんだろ」


 「……とにかく捨てずにどっかにまとめて置いてくれ」


 ベランダにいる蓮司は一旦ガラス窓を閉め切り、新鮮な空気を身体中に流そうとはするも鼻中にこびり付いたものは中々無くなりはしない。部屋の中で作業している洸吉の耳には、ベランダで大袈裟に咳き込みをする音が入っていた。


 蓮司が言っていたよう、湿気で角が反った写真はいくつも出てきた。昔から体は大きかったようで一目でどこにいるか分かる。手を止めはしないものの、その後も写真をいくつか見ながら作業を進めていった。


 「なぁ」と声を挙げてベランダにいる蓮司を呼び戻し、ベッド下の掃除完了を伝える。


 残るは壁際の棚と机周り。一度休憩を挟み、その後の蓮司は新たに二重のマスクをしての再開となった。


 「そういやさっき、亜椛がクソガキの時の写真出てきたぞ」と言って洸吉はベッドの上に重ねられた写真の束を指差す。


 「可愛かったか?」


 「いいや、全く。中学の時の記憶なんて全く無いしな」と無感情に洸吉は返し、並ぶ漫画を一気に掴んで箱に入れていく。


 「正直なのか強がりなのかわからん、けど本人には伝えておくわ」


 「蓮司はずっと亜椛のこと好きだもんな。あんなんどこが良いんだ。うるせえし」


 「言葉にできない」


 「だせえこと言うな、そんな即答で。好きの二文字で完結するようなことに」


 中学時代に洸吉と蓮司が仲良くなったきっかけは今、目の前にある膨大な量の漫画。人物や叫ぶ技名を熱く語るのではなく、言い回しや心情描写を当時の二人は話し込んでいた。


 好きな台詞が一致した事や、偶然近所に住んでいたこともあり同じ時間を多く過ごしている。やがてその輪に亜椛が加わり、今に繋がっていた。


 一方の亜椛は特に漫画が好きというわけでも無く、洸吉の性格が気に入ったと。誰に対しても的確に捉え、世論や多数派に流されない、現代人にはあまりない頑固さに。「変わってるね」を前向きに、分解しただけの言葉でも当時の洸吉にはたまらなく嬉しかったことを今でも忘れずにいる。


 片付けは終盤、カーペットを丸めて床や窓の掃除。新居へ持っていく服や数十冊の漫画は萎びた段ボールへと雑に詰めた。


 蓮司は缶ジュースを洸吉に手渡し、積み上げられた段ボールの上に座って息をこぼす。


 「世の中ずっと暗い話題だけど、これから俺は一人なんだぜ?」


 二人は同時に前髪をかき上げ、壁にもたれ掛かる。


 「もし駄目になりそうだったら呼べ。蓮司の性格じゃ心配なさそうだけど」


 「……。」普段と何ら変わりない会話の中、急に蓮司の返答が途切れた。洸吉は数秒俯いたまま待っていたが不思議に思い、視線を向ける。


 「そう見えて……俺の古い友人が今、結構危ないから。何があるかなんて分からん」


 蓮司は携帯を開き、その〝危ない〟という友人のSNSのアカウントを見せる。数十文字程度の冷酷な書き込み、対自分と思わせるような悲観的な傷文。そして中には、死んでいった三人の若者が残した〝詩〟をそのまま引用したものもある。


 「確かに、最近ニュースで見るような感じになってるな」


 洸吉は目を細めながらも画面をスクロールし、状況を理解していった。


 「騒がれている割に身近には感じなかったけど、よく見たら少し先にいたんだよ」


 「死ぬ事が一貫して悪い事っていう風になっていないのが、また怖い事だよな」


 「変な世の中になったと思うよ、俺らもその変な部分の一部なんだけど」


 「本当に十九とか二十歳とかは苦労しかないしな」


 「馬鹿な大人のせいって言ううんだろ?」


 「それ以外似合う言葉があるかよ」


 網戸を抜ける心地のいい風とは裏腹に、重たく味の無い話を続ける。手に持っているのは理性を溶かす酒でもなく、甘い炭酸飲料。大人になる一歩手前の不完全さ。

 

 それから数時間後。日が落ち始めたくらいに洸吉は蓮司と別れた。片付けを手伝ってくれたお礼にと千円札を貰ったが、帰りに寄ったコンビニで油っぽい惣菜に変わる。


 蓮司の友人の件は気の毒に思うが、何も生まない動作は絶対にない。誰かが動けば、良くも悪くも事態は進んでしまう。


 洸吉ですら過去に何度も経験してきた。楽観な生き方をしようと大声を荒げ笑っていても、出し続けた声が次第に枯れれば楽観には見えない。そういった変化こそが人を揺さぶるのだろうと、考えながら彼は帰路をゆっくりと進む。


 少し重たい物を持ちすぎて疲れた。

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