1-③

 「なんか宗教信者みたいなこと言ってんな、たった四年でここまでとは」


 「でも死ねる理由になるほどの言葉を残したって、あの事件やっぱ特別だよね」


 少し嫌気がさした洸吉は動画を止め、携帯をポケットへとしまった。


 「でも急に、こんな動画見せてきて何がしたかったの?」


 長い間屈んだ姿勢をリセットするべく、亜椛はグイッと背筋を伸ばす。「なんか、死ぬって言う感覚がよく分からなくて、いや……まぁ、そんなところで」


 亜椛は立ち上がると、足を進めながらも「何よそれ」と言い残し、暇そうに鉄棒の上に座る蓮司と元へと向かっていく。

 これより先の話をしようとすると毎回、亜椛はその場から動こうとする。


 洸吉は四年ほど前、母親を病気で亡くしていた。そのせいか、死を扱うものは特に神経を張り、事あるごとに思い出して沈んだ表情をする。気を遣ってか、それとも単に避けたいだけか、一人になったその後はいつも深いため息だけが残されていた。強く瞬きをし、表情を繕うと洸吉は遠くに視線を移す。


 奥の鉄棒付近では二人が話していて、こちらを嘲るように見ている。蓮司は体が大きく、身振り手振りも大げさ。亜椛に何かを頼んでいるよう、手のひらを合わせて腰低くしている。大が小に屈する姿は無様で見ていられない。洸吉はニヤリと企む表情で二人を見つめる。

 

 「ごめんって……すっかり頭の中から薄れちゃっていて」


 蓮司は頼み事をしているのではなく、ただ亜椛に謝っていた。


 「普通分かるでしょ? 今日が洸吉のお母さんが亡くなってから四年くらいだから、話聞いたり、側にいてあげようって思わないわけ?」


 「いつもの癖で……じっと出来なくて」と蓮司は眉頭を寄せ、何度も頭を下げる。


 「何、変なことをその歳にもなって言ってんの?」


 「次は無いようにするから」


 「同じ事を去年も言っていたでしょ?」


 そんな光景を遠くで見ていた洸吉は、優しさが生んだ不手際だとも知らず、揶揄いの意を込め彼は遠くから叫ぶ。「夜の公園! 馬鹿二人! 気を遣って俺は先に帰ってやろうかっ!」

 慢心に声を張った洸吉だったが、そんな言葉を受け取った二人は呆然と立ち尽くす。

 「気を遣っているのは私達だけど……何馬鹿みたいに叫んでんの? 夜中なのに」


 「相手が亜椛じゃなかったら、あんな言葉でも嬉しかったのに」


 「やっぱり今日、洸吉に優しくするのやめよう。なんかイライラするわ」


 亜椛はこめかみ辺りに皺を集中させ、蓮司の肩に爪を立てて掴む。女々しい声を発する彼には耳を貸さず、二人は洸吉のいるベンチへと早足で戻った。


 その後に掛けた言葉は普段と何ら変わりない。変に考えて接するのは、三人の仲では無意味なもの。強張った身体を和らぐ亜椛の暴言と暴力、三人はこの後も公園に留まり、日付が切り替わる前に解散をした。

 

 一人真逆を向いて帰路を進む洸吉はイヤホンをつけ、止めてあったニュース動画をおもむろに再生する。先程の若者がマイクを向けられ、つらつらと話し終わると画面にはいくつもの文章が映った。


 死んでいった三人が残した〝詩〟と言う説明の後、アナウンサーが声にし始める。

 

【保存の効かない人生。

 だから、失った後に友人や家族は必死に覚えていようとする。

 ただそれもまた、期限ある時間の中に過ぎない。短くとも長かろうとも。

 天国も地獄も輪廻もないんだろう。だからこの場所に作った。

 理想や夢、明日とか未来みたいな綺麗な言葉を借りて。

 馬鹿らしいが、案外楽しそうにも見えるだろう?】

 

 ついた句読点をも読み上げているよう、アナウンサーは静かに声を畳んでいく。浮かぶ文章の意味を理解するのに数秒を要したが、何となく分かる気がした。

洸吉は動画を止めて、外したイヤホンを首へと掛ける。


 死んでいった三人の若者が夢として選んだのは、四階にあるコンビニで好きなだけ飲み食いをする事だったと言うわけだ。彼は俯きながらもそんな思いにふけ、足を進める。二人の前では悪ぶって足音を執拗に出して歩いてみたりもしたが、一人になれば音すら湧かないほどに静かに歩いていく。死んでいる幽霊みたいに、とぼとぼと。

 

 洸吉と別れた後の二人はコンビニへと立ち寄り、偶然にも同じ棒アイスを手に取る。「お、手が重なった」


 「何、わざと合わせてきたの? 蓮司はいつもこっち買ってるでしょ」と亜椛は気に入らなそうに蓮司の手にある棒アイスを元の場所へと戻し、代わりに箱アイスを手に乗せた。


 「いつもそれ食べるから、どんなのか気になってて……」と蓮司はずうたいの割に小さな箱アイスを寂しそうに掴み、肩を窄めて縮こまる。複雑そうな心境の表情の亜椛は困り果て、もう一度アイスを交換した。パッケージにあるのはラムネと炭酸のイラスト。


 「不味かったら私にちょうだいね、これなら三つは軽くいけるから」

 「そうか、心強いよ」


 蓮司が亜椛へ抱く日頃からの鬱憤は小さな反抗へと変わり、コンビニを出た後に持っていたのは棒アイスの袋が三つ。それも全て同じ味。腰ほどの高さのフェンスを見つけて二人は座り、封を切って先っぽの方を齧る。


 「……何で三つ買ったの? 洸吉は先に帰ったのに」


 「えっ、ああそうか」三つはいけると豪語した亜椛へ向けて悪戯心の行動だったが。優しさに捉えられていたよう。今更痛く冷ややかな真実を打ち明ける事はできなかった。


 「届けるんなら蓮司が行ってよ、私の親がうるさくなり始める時間だし」


 「まだ親に言われてんのか、相変わらず愛されてんな」


 「愛されてるっていうか、ただ心配性なだけでしょ。面倒臭いくらいに」


 蓮司が先にアイスを食べ終わり、視界の端で亜椛を写す。単調な会話は続いていたが、特に微笑みが生まれるわけでもない。無言の気まずさを埋めるためだけに、興味も無い将来の夢の話をした。秘なる部分、深い話はあまりした事がない。


 亜椛は端麗なわりに男勝りな性格で、中高校時代も同性と過ごす事が少なかった。代わりといったところか、洸吉や蓮司といつも一緒に過ごし今に繋がる。


 蓮司に将来の夢を聞かれた亜椛はスッと口を閉ざし、舌先に残るラムネ味を嗜むように俯く。ゆっくり考えているのか、それとも話したくないだけか。彼はどっちとも取れない反応に気まずさを感じ、「急にこんな話ごめん」と場を繋ぐ。


 亜椛は顔を上げ、痩せ細ったアイスに大口を開けて齧り取る。器用に口の中に全てを押し込むと、恥ずかしそうに反対側を向いてしまった。


 「ん? 急になんかあったのか?」


 全て飲み込んだ素振りを見せた後、亜椛は振り返り「そうゆう話を今日、洸吉と一緒にしようって思ってたのっ!」と強く吐き散らす。皺の寄った目元、どうやら一気に食べた影響で頭の奥を痛めているよう。


 「ポジションがあんじゃん、俺はあの場に居ると静かに話ができる気がしない」


 「今日くらいは我慢できたでしょ?」


 唸る頭痛は止む事なく、亜椛は大きく左手を振りかぶって蓮司の頭へぶつける。

 それから数十秒後には頭の痛みは消え、さらっと亜椛は将来の夢を答えた。思っていたのと大きく外れていたからか、蓮司は返す言葉も反応も生まない。単に言葉数が少ないからとも理由は作れるが、冷え切ったのは舌先と空気感。


 亜椛は両親共に幸せでいるのなら、何でもいいと答えた。


 「別に相手がいるわけでも無いけど何か残すって考えると結婚かそれ」


 「なんか亜椛が結婚とか言う言葉を使うの、意外っていうか普通に気持ち悪いわ」


 言葉を失った直後の蓮司だったが、咄嗟に思い出したのは失礼なものばかり。


 「あんまりそう言う事を言わないようにしているからね。洸吉の件もあるしさ」


 「確かにな、急すぎて気持ち悪いとかって言ってごめん」


 横目で睨みつける亜椛は「洸吉に上げる用のアイスくれるなら今回は許してあげる」と条件を呈し、蓮司の前に手のひらを差し出す。元より亜椛に食べてもらうはずだった為、何の躊躇もなく手に乗せた。


 少し溶けているのか、包装には列を成して水滴が並びじんわりと指先が浸る。


 「------で? 蓮司が答える番でしょ? 普段滅多に言わないんだから」

 蓮司の中で答えは出ていたが、少しの間悩んでいる振りをして過ごす。

 

 「まだ?」と催促をかける亜椛は、休む事なくアイスを齧っていた。二人が座っているフェンスの外は二車線の道路。時計の両針が上を向く時間帯のせいもあって、数分おきに一台が走り去っていくくらい。


 目に留めておける対象物がないこの場所、蓮司は仕方なく亜椛に視線をずらす。


 「何……いつにも増して変な顔して」


 「いや、夢とか急に聞かれても、答えとして合ってるか分からなくて」


 「間違いも正解もあるもん? なら私の答えなんて人によっちゃ間違いじゃない?」


  亜椛が手に持つアイスは残り三分の一。


 「まぁ、仲の良い家族を持つ事、欲を言えばどこか遠くで誰にも頼らず」


 「将来に就きたい職業とかじゃないってのが、私達らしいのかもね」


 二人がフェンスから下りて数分後、先に家前に着いたのは亜椛。

 玄関の前で手を振る蓮司は、玄関が閉まると絡まったままのイヤホンをつけて来た道を戻っていく。


こうして亜椛を家まで送り届けられるのも、あと少し。

 

 蓮司は一ヶ月後、通学時間短縮のために引っ越すことになっている。ほんの触りだけを少し前に二人には話しているが、あまり大袈裟に考えていないようで話題に上がることもない。

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