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人形町に住む役者見習いの結之助は娘の那美のかっての許婚だという。

やり取りを黙って聞いていた岡埜はつと立ち上がると、玄関横の客間へ向かった。

あわてたお米が岡埜の先に立って廊下を案内した。

われわれのあとを那美がついてきた。

首を包帯でぐるぐる巻きにして血まみれの着流し姿で横たわる結之助の傍らの医者が岡埜を見ると、

「危ないですな」

といった。

「口はきけるか」

「まず無理でしょう」

これ以上は手の施しようがないという医者は帰り支度をはじめた。

「この男が主の徳兵衛の首を切って殺し、みずから喉を突いたのか?」

岡埜は結之助を片膝突いて見やってから医者にたずねると、

「この若者は両手で匕首を握って喉を突いたようですが、徳兵衛さんを殺したかどうかは言う立場にございません」

医者はまっとうな返事をした。

ふらふらと倒れそうになった那美をお米が支えた。

・・・浮多郎が泪橋の家へ帰ると、養父の政五郎が寝ずに待っていた。

大黒屋徳兵衛が首を刈られて逆さ十字架に磔にされた事件のあらましを語り、徳兵衛の左太腿に逆さ十字架の刺青があったと言うと、

「逆さ十字架の刺青だって!」

政五郎は驚きの声をあげた。

浮多郎は政五郎の反応は予期していた。

『このことはお新には決していうまい』

と、ふたりは目と目で語り合った。

ちょうどそこへ、夕方から吉原で三味線弾きをしていた当のお新が、

「浮さんお帰りかえ」

と店の木戸口を開けて入ってきた。






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