3

朝から降った春の淡雪が夕方にはみぞれに変わり、それでいて妙に生温かい風が吹き荒れる雛祭りの宵だった。

・・・神田明神下で殺しだと浮多郎は呼び出された。

駆けつけると、険しい顔の岡埜同心が玄関から首だけ出して手招きした。

岡埜の傍らに控える獰猛な番犬のような黒門町の甚吉親分がこっちをにらんでいた。

・・・日本橋で端切れと古着を商う大黒屋の主の徳兵衛の屋敷の離れで、十字架に褌ひとつの男が逆さに縛りつけられていた。

離れをのぞくと、天井の高い正面の壁に打ちつけられた白木の十字架は、横棒が下目についている逆さ十字架だった。

左右の燭台が赤々と燃え、逆さ十字架に逆さに張りつけられた裸の男の首はすっぱりと斬り取られ、切り口から流れ出た血が十畳間ほどの木の床をぐっしょりと濡らしていた。

甚吉親分と浮多郎と小者の三人で、足を血で滑らせながら十字架から首のない裸の男を下ろし、血の海の座敷の中央に横たえ、岡埜が燭台の灯芯を明るくして死体を改めた。

たくましいからだではあったが、腹のまわりのわずかなぜい肉が中年であることを教えていた。

「おい、ここを見ろ」

切り取られた首のあとを見ていた岡埜が声をあげた。

「首がきれいに切り落とされている。犯人は侍か・・・」

殺してから首を切り落としたのか生きながら切り落としたのかは、わからない。

「首はどこに?」

浮多郎がたずねると、

「そいつを黒門町と手前でさがすんだ!」

岡埜がどやしつけた。

「その前に、ちょいとよろしいですか?・・・この首なし死体ってこの屋敷の主の大黒屋徳兵衛さんで?」

と浮多郎がたずねると、

「そんなことは聞くまでもねえ。この花クルスの刺青は徳兵衛の烙印のようなものだと十年から仕えた姥桜の女中が太鼓判を押したぜ」

といいながら、岡埜は首なし男の左の内腿を十手で指した。

・・・そこには、小指大の先端が花弁のかたちの十字架の刺青があった。

「これって逆さ十字架じゃないですか!」

思わず浮多郎が叫ぶと、

「逆さ十字架だと」

岡埜は死体に顔を寄せて覗き込んだ。

「横棒が下目ですぜ」

そういいながら、浮多郎が懐から先日●人部落の墓場で拾った逆さ十字架のクルスを取り出して目の前に突き出すと、

「これは・・・」

といいかけた岡埜は、野犬のようなうなり声をあげた。


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