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思い川に架かる泪橋たもとの小間物屋の雨戸を激しく叩く音がした。

浮多郎が木戸を開けて表に出ると、●人部落の頭の捨吉が暗闇の中で、

「墓地でひとが燃えている」

と叫んだ。

吉原土手を駆けた先の玉姫稲荷の裏の墓地で十字架が燃えていた。

それもふつうの十字架ではなく、横木が下で地面すれすれについた逆さ十字架が・・・。

燻る腐肉と油の匂いが地表に漂っていた。

燃えているのは十字架だけではなく、五寸釘ででも打ちつけられたのか、逆さの男が十字架と一体となって土饅頭の上で燃えていた。

やがて燃え尽きた逆さ十字架が横倒しになった。

・・・わずかな月明かりですかし見ると、焼死体は肩までの胴体だけで、その先の首がなかった。

「この墓って・・・」

浮多郎がつぶやくと、

「ああ、去年の十二月朔日に小塚原で処刑された切支丹の墓だ」

横に立つ捨吉が答えた。

小塚原で処刑の手伝いをさせられた●人の捨吉たちは、下げ渡された遺体をこの墓地に埋葬した。

・・・だが、墓に墓標や卒塔婆を立てることは許されない。

道理で、墓地とはいえ墓石も卒塔婆は見当たらず、あちこちに土饅頭のふくらみだけが点在していた。

「この墓って?」

「たしか昨年十二月朔日に磔になった切支丹の浪人の墓だ」

「埋葬したとき首はあった?」

鼻をつまむようにして十字架をのぞきこんだ捨吉は、

「あったはずだ。いや、まちがいなくあった」

と首をひねった。

農具を収納する掘っ建て小屋から鍬を取ってきた捨吉が、土饅頭の中を掘り返した。

「首はない」

何者かが遺体を掘り起こして首を切り落とし、持ちこんだ逆さ十字架にくくりつけて土饅頭に立てて火を放ち、首を持ち去ったのだろうと捨吉は見立てを口にした。

それを聞いた浮多郎は、たしかに昨十二月朔日に、切支丹の首領とかいう浪人が小塚原で磔にされたのを思い出した。

それが、無残に処刑された罪人を画帳に写していた画狂人・東洲斎との二度目の出会いだった。

たしか、はじめて会ったのは、谷中の隠居老人が媚薬を呑みすぎて腹上死した検死のときだった。

そうした危ない絵を描くのが仕事だと東洲斎は自らを嘲った。

三度目は、吉原大門前で妻の仇と狙う同輩にわざと斬られようとした東洲斎を救ったときだ。

・・・その場で知り合ったのが東都一の版元の蔦屋重三郎だった。

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逆さ十字架の謎~寛政捕物夜話3~ 藤英二 @fujieiji_2020

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