レポート0

 あー、あー。きちんと録れてるのこれ。録音中は確認できないのが不便ね。ボタンの手触りもなんだか、ザ・機械って感じで好みじゃない。

 まあいいや。

 私はミレーナ・クラーク。二十五歳、女性。八月生まれ。出身は××。兄弟はなし、ママは二年前に死んだ。ママと離婚したパパは、この穴に来て知ったけれどいつの間にか死んでいた。

 生まれたときから目が不自由。不自由っていったって自由である状態がどんなものか知らないけれどね。だから私にとっての本当のものは、視覚以外のもの。音と匂いと味、そして感触。普段は行政と民間と地域の皆さまの支援を受けまくりだけど、なるべく自分のことは自分でこなすように心がけてる。

 今はしょくじんの調査のために××××の山奥にいる。しょくじんって言ったって、人を食べるじゃなくて、触れる人で蝕人ね。

 ネッシー、スカイフィッシュ、ビッグフット、世界には存在を確認できていない生物の噂が数多くある。でも、どれもこれも眉唾物って感じ。そりゃそう。だって、誰も触ったことがないんだから。遠くから見かけた、とかそんなのばかり。

 でも世の中には、本当にそういう存在がいる。つい最近になってそれを知った。混乱が起きないように伏せられているだけ。本当に危険な存在なら、誰にも周知せずに処分してしまった方が苦労しないもの。世間に知られた生物を駆除しようとすれば、その有害性がどれだけ高くても反発が生まれる。有無を言わせない方法として実に合理的。

 だから日常の裏側で暗躍している人間がいる。それが、生き物係。

 なんて、これは私をスカウトしてきた奴の受け売りね。間抜けな名前なのは外で話していても疑われないようにらしいけど、そもそも外でこんな話題出さないようにしなさいよ。

 もちろん最初は信じなかった。けれど、失踪した父親のことを知りたくないか、なんて言われたら心が揺れるに決まってた。両親の離婚やパパの蒸発なんて、調べればすぐに分かる。誰でも関心を惹くための嘘がつける。それでも私が決断したのは、間違いなくその言葉があったから。

 生き物係の連中は蝕人についての知識を丁寧に教えてくれた。彼らも以前の研究チームから報告があった分だけのものしか持っていないそうだけれど、それでもそこそこ膨大な量だった。私としては、特に重要なことは二つだと考えている。

 一つは、そのコミュニケーションの形態。そもそも蝕人たちは地球ではなく、別の星から来た可能性が高い。そのためなのか目にあたる器官を持っていなかった。すごく親近感。だから主なコミュニケーション手段は声。加えて視覚を補うためなのか、それらがあるから視覚が不要だったのかは分からないけれど、彼らは音波と電波の両方を送受信できる身体をしていた。周囲の蝕人の状態や環境はそれで把握している。かなり高性能で、身体の線や首から上の形は分かるし、脳や臓器の電気信号も察知できるから息があるかどうかなんてのも多少距離があっても判断できる。ソナーかつアンテナという感じ。視覚に頼りすぎる人間よりも、観察や状況判断に優れているところさえある。

 うーん、蝕人に人に人間ってややこしいか。いやでも、いちいち使い分けるのも。いいや、聞き返すのは私だけの想定だし。文脈判断にしよう。

 それでええと、重要なことのもう一つか。触覚の役割ね。彼らは睡眠も食事もするから生態としては人間と近しい。けれど、手足の数ははっきり異なっている。私たちは四本で、彼らは九本持っている。ほかの見た目も人間離れしているそうだ。私には確認のすべがないのだけれど。目のある場所に何もない、顔の輪郭は人間より丸みがある。胴体は短くて足が長い、蛸に近いといえば近い。肌の色は青がかった緑。研究者たちの意見はこんなところ。

 九本のうちの八本は手足と同じ役割をしている様子だそう。つまり、一本だけ特殊な奴があるってこと。その一本は何かというと、端的に言えば感情の発信機。悲しみを伝えたいときに触れば言葉や動作以上に悲しみが伝わる。怒りや楽しさ愛情なんかもかな。そういうものがダイレクトに身体の中に飛び込んでくる。人間同士は目で語るなんて言葉があるけれど、彼らは腕で語るわけね。

 それから研究者たちは知らないけど、この機能、いや臓器かな、とにかくこれにはもう一つとても重要で特殊な効果がある。

 人間の場合はこのダイレクトすぎる感情の伝達をうまくいなすことができない。そのために、過剰に相手へ同調してしまう。

 分かりにくいだろうから例を挙げておこう。パパの受け売りだけど。

 たとえば夏が楽しいと思っている人がいるとする。人間に腕をとおしてその感情を伝達すると、受け手まで夏が楽しいと思い始める。それまでは親の仇なのかってレベルで大嫌いだったとしてもその認識が強引に曲げられてしまう。

 もう一つ。自殺志願者から腕を通して、その希死念慮を人間へ伝達するとする。そうするとポジティブ一辺倒で毎日楽しければなんでもオッケーみたいな人種でも、いとも簡単に自殺志願者に転向できる。

 これが彼らの持つ腕の力。彼ら同士では起こらないから無自覚だけれど、ある意味で人間を自分の思いどおりに操ることができるというわけ。この話は研究者たちには知らせないつもり。彼と、イレノルと過ごしていくためにはこのチーム自体を瓦解させる必要があるから。

 彼らを生き物係が補足したのは十五年ほど前のこと。そのときも調査隊を派遣した。でも半年で参加メンバーが全員行方不明になってしまった。

 そこにパパは参加していた。

 ここに来るまでは完全には信じきれていなかった。今はもう百パーセント信じている。間違いなくパパの声が入ったボイスレコーダーを拾ったから。

 ここの人たちは、私が自由に動き回れないと思っている。それは勘違いだ。私がどうしてこのチームに呼ばれたのかを正確に把握できていない。

 私の大学での研究テーマは触覚だ。人間のものもそれ以外の生物のものも調べている。パパの話は釣りの餌でしかなくて、本来生き物係が必要としたのはこちらだった。蝕人の調査にはこれ以上なくぴったり。自分でも因縁を感じてしまう。

 そもそもどうして触覚を研究しようと思ったのか。それは、自分自身が鋭敏だからだ。それこそ触れた相手の感情すら感じ取ってしまう。自分に対して好感を持っているか嫌悪感を持っているかも分かる。まだ学生だからサンプルが足りていないけれど、視覚が制限されていることで、手汗、震え、脈、そういった要素を掴む能力が発露しているんじゃないかって考えている。

 さらに私は空間がなんとなく分かる。壁との距離、勾配の開始地点、他人や物体の動き、そういうものが声を上げてくるから。おそらくこの穴の人たちほどではないにしても、電波や音波を発している特異体質なのだと推測している。事実、捕獲用として用意されたジャミング装置と超音波の攪乱装置が使われると、人間に無害なはずなのに私は感覚が狂って転びやすくなるし、ひどい頭痛に襲われる。

 装置自体はどちらもボタン一つ押せば始動する。誰でも扱えるものだった。私も使い方を把握している。さっき言ったとおり、デメリット塗れだから基本的に使うつもりはないけれど。

 ジャミング装置はそこまで範囲が広くない。だからターゲットの近くまで寄って使う必要がある。それでもバスケットボール場の客席全体を覆えるくらいではあるそうだ。

 一方で超音波の方は相手に返る音波の妨害だから、相手の感知下であればどれだけ遠くても効果がある。その装置のある方向だけ世界が遮断されているみたいな感覚になってなかなかこれも気持ち悪い。

 研究者たちの基本方針としては、最下層のエレベーターホールを隠す岩壁の内側に隠れながら機会をうかがって、近距離短時間での捕獲を挑む、という方向性になりそうだ。それこそ狩りみたい。

 理屈が蝕人たちと近しいのなら、当然私は好き勝手に動き回ることができる。壁との距離も分かるし、外に出ることもできるし、崖から落ちないようにルートを取ることもできる。これもまた研究者たちには伏せている。

 今日はとにかくたくさんのことを吹き込まないといけない。私はノートにメモなんてできないから、こういう音の記録と自分の記憶だけが頼りだ。協力を仰ぐなら点字のコンピューターくらい用意してほしかったけれど仕方がない。

 施設には山の上にある入り口と、崖の中腹二か所と研究所のメイン階層、それから穴の最深部の五か所をエレベーターでつないでいた。前回の調査隊が本格的な活動を始める前に、もともとあった人工的な空洞を利用して用意したものだった。村の人々からかつて蕃神と呼ばれていた人間が作った可能性が高いものらしい。

 私が外の探索に出たのは気まぐれだった。パパがかつていた場所、その空気感を少しだけでも感じたかった。だから最下層の一つ上の階から外へ出た。研究者たちは誰も気がついていなかった。そもそも視力のない私がそんなことができると考えていないのだから当然だった。

 外との出入り口はすべて岩肌で偽装してあった。村人たちも視覚を持たないのなら不要なのではと夫婦で参加している研究者へ尋ねてみたら、彼らは凹凸さえ感じ取れるみたいだから念入りにやったみたいだね、とここへ来てから発見した以前の調査隊の研究ノートを読み上げてくれた。それを踏まえて外から確認してみると、確かに自分にも凹凸がなんとなく分かった。

 それから気ままに足を動かした。躓いてあらぬ方向へ倒れればあっという間にお陀仏、あるいは木や草がクッションになっても骨折は避けられない、そんな環境下でも不思議と恐怖はなかった。それよりも不思議な予感があった。神様のささやきとでも言うのか。私の運命を大きく変える何かが待ち受けている、何かがそう告げていた。この穴へ来ることを決めたとき以上にその予感は大きなうねりを持っていた。

 でたらめに歩いている最中、雨が降り始めた。傘を持っていなかった私はたまたま雨に濡れないスペースに出くわして入り込んだ。雨脚は強くなかった。急いで帰ればひどくなる前に帰れるかも、そんな皮算用をしているとき不意に気がついた。

 背後の岩から風の音が漏れていた。それは空洞があることを示していた。

 研究所の施設は外側から岩を開くとき、ナンバーロックを解錠する必要がある。加えてそのナンバーロックの端末自体も岩の一部に隠されていた。そこも同じような仕掛けかもしれないと思って、私はとにかく壁を調べに調べた。

 想像どおり仕掛けがあった。とてもシンプルなもので、壁に隠されたボタンを一つ押せば開閉できるものだった。ただ、研究所に残っていた資料にはまったくなんの記録もない地点のはずだった。

 中に村の人の気配も人間の気配もなかった。ここでもためらいや不安は生じなかった。思い返してみれば不思議だった。中に何が待っているのか何も知らなかったのに。研究所では白骨遺体が出てきていたし、穴の血なまぐさい歴史も事前に耳にしていた。それでも足取りはずいぶんと軽かった。もしかすると鋭敏に育った私の触覚は運命すら無意識に知覚していたのかもしれない。

 最奥にはとても広い空間が広がっていた。郊外に建てた一軒家、だとちょっと大きすぎるかもしれないけれど、規模感としてはニアリーイコールというところだった。一応お邪魔しますと言ってみて、返事がないのを確かめた。安心して端から左回りで探索を始めた。

 テーブル、棚、水がめ、とどうも穴の文化ではなく私たち側のものが多くあった。やはり以前の調査隊が使用していたところなのか。でも、それならどうして過去の報告や研究所の資料に記載がないのか。クエスチョンマークを浮かべながらあちこち触り回っていると、ベッドに出くわした。

 そのうえにあるものが何か、触ってみても最初は分からなかった。固いけれど軽く、ざらざらとした表面、これまでに出くわした記憶のないものだった。

 続けて枕のあたりを探ってみると手のひら大の機械があった。

 そちらの触り心地には覚えがあった。即座に思い出せたわけじゃない。水が頭から足まで流れていくと筋は重なっていくように記憶同士が連鎖していって、かつての温もりと一緒に蘇った。

 ありえなくはなかった。だってパパは調査隊にいたという話なんだから。

 一応話しておくと、子どもの頃に父の書斎で見つけたものだった。夕方のオレンジ色の光が窓から注いでいたのを覚えている。椅子に座っているところへ飛び込んで、膝の上にいさせてもらった。そのとき机の上にそれはあった。これは何、と私が尋ねると父は生真面目に教えてくれた。

 ボイスレコーダー。その名のとおり、声を、話を、感情を記憶する機械だった。

 手が震えた。スイッチを探ってみれば音がきちんと流れ始めた。ざざと雑音が聞こえて、それから声がした。

 きちんと録れているといいが。

 その一言だけで十分だった。パパは確かにこの穴にやってきて、そして。そしてどうしたのだろう。その時点での私はまだ分かっていなかった。

 何をしているの。

 続けて入ってきた女性の声にも私は愕然とした。そこにこもっているものを肌が感じとった。

 この人はパパが好きだ。

 記録さ。

 続けてパパが応じた。私の中の混乱は深まるばかりだったけれど、こちらも肌に飛び込んできた。

 パパもこの人が好きだ。

 そうだとするなら、この空間は。

 彼が現れたのはそのときだった。

 いつ入ってきたのか私は分からなかった。今まさにそこへ生まれ出でたように気がついたらそこに彼がいた。村の人なのか人間なのかも分からなかった。

 肌が強烈に惹きつけられた。重力の中心が彼に移ってしまったような引力。まだ触れてもいなかったのに、私と彼の存在は密着した。

 自分がこの穴を訪れた理由はその瞬間、書き換わった。

 あなたは誰、そう尋ねた。

 返ってきたのは、手だった。

 今までにない感触をどう言い表せばいいものやら。湿り気があった。でも手汗とかああいう類とは違って、ゼリーに手を突っ込んだときと近かった。背筋が震える一方で心臓が興奮で高鳴る、二律背反みたいな感情の渦。

 それが第九の腕。胃に水が落ちてくるような勢いで、彼の戸惑いが流れ込んできた。私はそのとき蝕人の腕の能力を実感した。こちらの容器に何が入っていようと、あればその中身を押し出して別のもので満たしきる。感情の奔流だった。

 掴まれた手と逆の手を、彼の手に重ねた。瞬間、彼の緊張がいくらかほぐれたのが伝わってきた。私は自分の名前を名乗って、彼に名前を尋ねた。

 イレノル、と彼は口にした。決して大きな声ではなかったのに、全身が震えるほど響いた。あんたはなんだ、そう続いたところで言語が通じることに気がついた。想像だにしていなかった僥倖だった。話がしたくて仕方がなかった。

 私は自分が外の者であることを告げた。それを皮切りにできるかぎりの情報交換を試みた。分かったのは、レコーダーから聞こえてきた女性の声は彼の叔母であるらしいこと、あのベッドの上にあったのは二人分の遺体で固い何かは骨であったこと、片方は彼の叔母で片方は村の住人ではないこと。それ以上を短い時間で交わすのは無理があった。

 考えてみれば二人ともずいぶんと無警戒だったと思う。片や生活習慣すら断片的な情報しかない知的生命体、片や突然外の世界からやってきたという知れない来訪者。恐怖に支配されて凶行に及んでもおかしくなかった。

 それなのに私たちはむしろ。

 まだまだ時間が足りない。だから彼とまた待ち合わせることにした。

 パパと例の声の主の女性とが横たわる、あの場所で。

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