第25話
二月も終わりに近づいてきたある日、再び七並びの番号が着信履歴に残っているのに気づき、折り返したほうがいいのだろうかと迷う。
あの騒動から一月が経ち、メラちゃんは順調に回復していき、仕事にも復帰しているので、私の電話が震える回数は極端に減ったため、殆ど肌身離しており、誰からの連絡でも基本的に受話することができなかったのだけれど、その見知らぬ番号の主は、立て続けに三回もかけてきていたようだった。
「留守電残しておいて欲しいなぁ……」
そんなに用があるのならば、留守番電話に要件を吹き込んでおいてくれれば、そこに必要性を感じたなら、こちらから折り返すのに……。
社会人のマナー云々以前に、何度もかけるのは面倒じゃないのかしらと、メラちゃんからの着信履歴を見ていたら、手の中でブーブーと振動を始めた携帯は、まるで掴まれないよう必死に暴れるウナギを連想させた。
「……」
出ようか、出まいか。
別に出ても、変な相手だったらすぐに切って拒否設定すればいいだけなのだから、躊躇うこともないのは承知しているのだけれど、なぜか私の中の何かが二の足を踏ませた。
むしろ二の腕を掴まれたように動かなくなってしまっている私の指先を動かしたのは、「出ないんですか?」と不思議そうな顔でこちらを見ている小美野さんの一言だった。
「あ、うん」と返事をして、反射的に画面をフリック操作してしまう。
デジタルのカウンタが一秒一秒刻まれていく。
「……」
ええい、何を怖がることがあるんだと、思い切って耳に当て、若干険を孕んだ口調で応える。
「はい」
「あ、やっと出た。――久しぶり。元気にしてたか?」
僅かに野太い声の男性だったが、私の知っている人間にはいない声色だったので、素直に「ええと、どちら様でしょう」と訊くと、私の知っている名前が彼の口から飛び出す。
「あ、俺だよ、海保。ほら、高校の時――」
「……海保くん? ――て、えと、あれ? ほんとに?」
「はは、本当だよ。詐欺でもなければ騙りでもないって」
高校の同級生で、一時期はとても仲の良かった、あの海保篤が、なぜ突然――。
「ていうか、どうやって私の番号知ったの?」
「ああ、
理乃……ああ、そういえばそんな子いたな。確か夏休み明けにピアスだらけになってた女の子だ。苗字は
「
「でも私、その子と連絡取ってないけど」
「さぁ……俺もどういうルートで枝藤の番号に辿り着いたのかは知らないけど、人伝手で分かったらしいよ」
……まぁ、変な教材を売る会社に売られたわけでもないのだから、目くじらを立てるつもりもないが、個人情報はこうも簡単に世に出回ってしまうのねと、少し恐ろしく感じる。
「でも、ほんっと久しぶりだね。確か高校卒業してから一度も会ってないよね」
「そうだったかな。まぁでも、元気そうでよかったよ」
「うーん。そうだね。まぁ元気だよ。元気だけが取り柄みたいな私だからね」
「はは、含むような言い方だな」
乾いた笑い方も変わってない。こういう些細な癖で、ああやっぱり本人で間違いないんだなと、謀られているという疑念を払拭する。
「あれから二十年近く経つからなぁ。そりゃあ、お互いに色んな辛いこともあるだろうし、厄介な問題だって抱えてるだろうしな。元気がなくなるのも仕方ないよ」
「あはは、だから元気だって言ってんじゃん。何、そっちはどうなの?」
「んー、まぁ普通だよ。普通にサラリーマンやってるよ」
死語というか、あんまり使われない気がするけどな、サラリーマンて。相変わらず、どこか古めかしいというか、言葉のチョイスに若さがない人で、そこになぜだか安心してしまう。
「海保くんは変わってないなぁ」
「そうかな。自分では分かんないけどな。でも、枝藤が言うならそうなんだろうな」
「あはは、何その絶対の信頼。なんか重いよ」
「重くはないだろ。いや、仮に重くても受け止めてくれよ」
「無理無理。か弱いもん」
「
佑弥……あぁ、
「田南部くんとは連絡取ってるの?」
「いいや。全くだ。というか、地元の友達は誰一人連絡取ってないよ。理乃は偶々アドレス帳に入ってたから、お前の番号聞くためにかけてみただけ」
「ふーん。で、どうしたの? 何か伝えたいことでもあるの?」
「ああ。ま、電話でササッと伝えるのも味気ない気がするけどさ、俺結婚するからさ、来て欲しいんだよ、式に」
「…………結婚? ほんとに?」
「こんな虚しい嘘は吐かないよ。そんでさ、佑弥の番号って分かる? もし知ってたら後でメールで送っといて欲しいんだけど」
「あ、うん、分かるよ。……そっかぁ、海保くんが結婚かぁ」
「おう。予定では来月か、遅くても四月中にはって感じで話し合ってるんだけどさ。――意外か?」
「ううん。むしろもうとっくに結婚してるのかと思ってた。早く家庭持ってそうなイメージだったから」
はははと笑い、とりあえずまた詳細はメールででも送るよと、彼は電話を切った。
「……結婚、ねぇ」
通話が終了した後、私は携帯画面を見ながら呟く。
「いいなぁ、男の人は」
四十代からでも五十代からでも、結婚して幸せな老後を送ってる人はいっぱいいるだろうし、女性はこの歳になると結婚できないだなんて、同性差別みたいに聞こえてしまうけれど、やっぱり中年の男と女では結婚し易さというか、できる確率は差があるのだろうし、養われる側としては、容姿はもちろん、その他の部分で必要と思われる何かを持っていないと相手にされないどころか視界にすら入れてもらえないなんてことも聞くし、男の人も大変なんだろうけれど、もう……今の私には難しいんだろうなと現実を憂いてしまう。
結婚願望も元々あまりなくて、結婚自体を諦めているとはいえ、それでも身近な――身近だった人の結婚報告を聞くと、どうしても羨ましく感じてしまう。
「……ま、嫉んでても僻んでても仕方ないか」
これまでの人生、良いことなんて殆どなくて、嫌なことはてんこ盛りだった。さっさと生きること自体を諦めちゃったほうがどれだけ楽になるだろうと思いながらも、ここまで必死に生きてきたじゃないか。
「さて、帰ろうかな」
今の私には、私を必要としてくれる人がいて、私は男女交際に後ろ向きなのだ。
別に恋愛感情を抱いているとかではないけれど、とりあえずは慕ってくれるている可愛い後輩の行く末を見守りながら、この先は行き当たりばったりで人生を歩んで行こうではないかと自分に発破をかけ、彼女の待つ家へと足取り軽く駆け出した。
彼岸花を咲かせて 入月純 @sindri
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