第24話

 二日間の入院を経て、ある程度は回復した体力を振り絞って帰宅したメラちゃんに、私は暫く学校もバイトも休むように進言した。


「でも、迷惑が――」

「どっちにしても無理でしょ。まだ万全じゃないんだから、勉強も仕事ももう少し様子見たほうがいいよ。周りも気、使っちゃうかもだし」


 透明感のある肌だった彼女の皮膚の色は、霞がかった、どこかぼやけた青白さを感じさせるものになり、目にも覇気がなくなった。


 虚ろな目で天井をぼんやり見詰めている彼女を見ているのは辛かったけれど、彼女をこんな風にしてしまった責任の一端は私にもあるので、介護というと大袈裟だが、できる限りで支えてあげようと思った。


 パルテールには、体調を崩していると私から伝えて、代わりの人が出れる時は出てもらい、私がいる日は私がひとりでこなし、葉柳さんの日は代わりに私が出勤したりと、仕事のフォローはほぼ完璧だった。


 当然だけれど、メラちゃんの自殺未遂に関しては、誰にも公言していない。


 彼女の両親には連絡すべきだろうかという考えも頭を過ぎったが、メラちゃんが嫌がるだろうと思い、結局していない。離れたところで奮起しているであろう娘が命を絶とうとしていたなんて知ったら、哀しいどころの話ではないし、心配させるだけなのだろうし。


 でもいっそ、心配した両親が彼女を迎えに来てくれたほうがいいのかもしれない。


 私以外に心を開ける人間がいない土地よりも、少なくとも二人は理解してくれる人間がいる地元に戻ったほうが、精神衛生上もきっといいだろう。


 しかし、彼女はこの案を即座に却下した。


「絶対に戻りません。両親には心配をかけたくないので」


 自殺しかけておいて何を言っているんだと思わなくもなかったけれど、今はとにかく、メラちゃんには全く余裕がないのだ。


 前後不覚どころか、立っていることすらままならない位にまで、方向感覚や平衡感覚が滅茶滅茶で、精神状態は輪をかけて不安定だし、放っておいたらいつ窓から飛び降りてしまうか気が気ではなくて、私は休日はほぼ二十四時間そばにいる。


 漸く、祖父の介護と父の機嫌取りから解放されたと思ったら、今度は愛らしくて愛おしいメラちゃんの保護観察をしているなんて、笑い話にすらならないけれど、僅かながらにメラちゃんの人間性というか、本性みたいなものを垣間見てしまった今、私の中に彼女を絶対視する気持ちはなくなっていて、これはきっと、アイドルはトイレに行かないという幻想と近いものを抱いていた私の目の前で、天使だと信じて疑わなかった少女が、人間臭さ全開の行為を見せてくれた結果、なんとも言えない感情が芽生えてしまったに過ぎなくて、別段嫌いになったわけでもなければ、鬱陶しいということもないのだけれど、とにかく、私の中のメラちゃんフィーバー的なお祭り騒ぎはこうして終わりを告げたのだった。




 私がメラちゃんという夢から覚めて九日目、メラちゃんが二度目の自殺を計る。


 その時はショックだとか哀しいだとかよりも、強い怒りが湧いた。


 構って欲しくてする自傷行為にこれ以上付き合うのが馬鹿らしくなったというのが一番の理由だけれど、メラちゃんの内面を見透かせるくらいに距離を縮めてしまったのが、怒りの原因なのかもしれない。


 しかし、私は彼女との距離を殊更開こうとはしなかった。


 住む家もない私を置いてくれている感謝の念もあって、面倒臭くなったから関係を切り捨てるだなんて薄情なことは私にはできないという建前は、懐事情に触れれば簡単にお為ごかしだと見破られてしまう、ちんけでお粗末な嘘でしかなくて、そんな出来損ないの嘘で自分を騙そうとする私は彼女のことを笑う資格も怒る資格も持ち合わせていない、ただの中年女に過ぎなかったという事実が、なんだかとても哀しかった。


 幸い、メラちゃんは三度目の自殺に手を出すことはなかった。


 その代わりというわけでもないが、彼女は頻繁に私と連絡を取りたがった。


 仕事中は流石に通話することはできなかったけれど、休憩時間など、仕事の合間を縫ってコールバックをすることが日常になり、その度益体やくたいのない話を数分間して、また後でねと終話する。


 これに関しては、それほど鬱陶しくは感じなかった。祖父の介護で、この手の些事に慣れが生じていたのか、適当な相槌を打ってさえいれば、相手は満足してくれるということを私は学んでいたので、苦でもなければ、むしろこんなことで鬱屈とした気分が転換されるのであれば、喜んでお相手しますよと、何なら私から連絡を催促したいくらいだった。


 ポケットの中でブーブー震える携帯を感じながらの接客にも慣れ始めた頃、いつものように休憩に入ったら折り返そうと、何となく話す内容を思い浮かべながら正午を迎え、粉雪舞う寒空の下、今日のお昼は何を食べようかと思案しながら着信履歴を見ると、複数回かかってきていたメラちゃんの番号の間に、見慣れぬ番号が挟まっていた。


「……見覚えもないな」


 七七七とラッキーセブンが揃った番号なら、何となく覚えていそうなものだけれど、そもそも名前が出てないのだから、アドレス帳には登録されていないのだろう。


「まぁ、かけ直さなくてもいいか」


 随分前に、英会話教材か何かを勧める変なところから電話がかかってきたことがあって、どうやって私の番号に辿り着いたのかそれとなく聞いてみると、どうやら私の知人の誰かが私の番号をそこの会社に伝えたらしい。なんだそれと批難がましい気持ちが湧いたけれど、電話口の相手には罪はなくて、でも全く興味のない教材を勧められても興味がないのでしか言えず、それじゃあ代わりに誰かお知り合いの番号を教えてくださいと言われたが、当然断った。


 その後もしつこく何度かかかってきては、「レッスンをしましょう」と言い、「レッスンワン。ンムームィラァ」とか、よく分からないことを言い出したので、そこで迷わず着信拒否をさせてもらった。


 それからは、知らない番号は出ないようにしていて、まして折り返すことなど絶対に避けている。アドレス外着信拒否設定をすればいいのだろうけれど、本当の知人や仕事関係の人からの電話も受けれないとなると不都合が生じるので、今は設定していない。


「あ、メラちゃん? 起きてた?」


 その日もやっぱり毒にも薬にもならない話で、つかの間ながらも彼女の心を癒す。


 ――癒せているのであれば、薬にはなっているのだろうか?

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