八・再開 その弐
第9話
朝八時、勤務開始。運ばれてきた箱いっぱいの歯車を受け取ると、夏はニス塗りを始めた。
朝十時、運ばれてきた箱いっぱいの歯車を受け取ると、夏はニス塗りを始めた。
お昼休みがおわって、運ばれてきた箱いっぱいの歯車を受け取ると、夏はニス塗りを始めた。
勤務終了の一時間前、十六時。運ばれてきた箱いっぱいの歯車を受け取ると、夏はニス塗りを始めた。
十七時。勤務終了。ニス塗りの道具を片付けて、夏は仕事場を上がった。
「なんてことだ!」
春、夏、雪の父、太陽は、ショックで床にひれ伏した。
「夏はもっとこう、明るくていつもせかせかしているやつだ。なのに、今はどうだ? 朝から夕方までニス塗りニス塗り……。あの子は、だんだんと自我を失い始めているんだ!」
秋は腰に手を当てて、ため息をついた。
「だからって、あなたになにかできるというの? 私に頼まれてついてきただけのくせに」
「で、でもね秋! 娘たちが自分たちの好きなことをがまんして、仕事ばかりしているのを見てられないんだよ僕は!」
「そうかっかしないで
「いや、そんなことして、もし父さんだとバレたら、元も子もないだろ?」
「はあ……」
秋は、メガネをかけたことがない太陽のことだから、とりあえずかけさせればバレないだろうと思った。だけど、それが間違いだった。彼は、変なところにまじめになってしまったのだ。
「秋。これからどうするんだい? 僕は泣く泣くついてきただけだ。君にかかっていると思うよ?」
秋はムッとして、
「わかってるわよ!」
と、答えた。
「なっちゃんと雪ちゃんはピンチだけど、春ちゃんはさすが剣豪ね。目の色変えたみたい」
「春は無事なのか。ああ、いつになったらこんな生活が終わるんだ……」
頭をかいた。
ろうかを歩いている春と空。
「あ、ねえねえ見てみてはるる! あたい、今日かんざし着けてみたの。似合う?」
見せつけているが、それをスルーした春。
「むむむ〜! ちょっと! 無視はないんじゃないの無視は。社長よあたい? ずいぶんなご身分ね!」
春は後ろを振り返り、言い返した。
「私ははるるじゃないんで。社長のくせに、名前を間違えないでくださいよ」
「はあ? 別に気さくに呼んでるだけでしょ?」
「ふーん。気さくねえ……」
「な、なによ? 別にいやならいいんだけど?」
春はなにも言わずに去っていった。結局文句を付けられただけに思えた空は、
「ムキーッ! あいつ腹立つ〜!」
怒った。
巨大からくり貴公子は、徐々に完成の一途をたどっていた。外装部はほとんどできていた。あとは、内装部だけらしい。
夏は今日もニス塗りに明け暮れていた。顔色を変えることなく、ただ運ばれてくる箱いっぱいの歯車に、筆を下ろすだけだった。
そんな夏の姿を、太陽は見ていられなかった。
(夏よ。お前はもっと活動的なはずだ!)
夏は寺子屋時代、不良だった。教室にいないで、外で走り回っていた。
「こらあ!!」
手習い師匠が注意しても、
「べーっ!」
木登りをして、あかんべーをしていた。
家に帰ってくると、太陽は夏をきつく叱った。
「夏! また手習いをサボったのか?」
「サボってないよ?」
「しらばっくれるな! 全身泥だらけなのが証拠だよ」
「いいじゃないの。子どもは遊んでなんぼよ?」
秋は、勉強をしない夏を、いつもかばうのだった。
「秋! 君はくノ一だからそんなことが言えるんだ。この子はくノ一じゃないし、勉強は大事だろ?」
呆れている太陽。しかし、秋は笑って言った。
「勉強したって、大人になればいかにうまく生きていくかが重要になるのよ。ね、なっちゃん。あんたはかしこい女になりな!」
頭をなでた。
「うん!」
夏はうなずいた。六歳の頃だった。
十歳の時に、夏に転機が起きた。
「はあ!!」
家の庭で、春が剣道の素振りをしていた。
「お姉ちゃん剣道あきないね」
縁側に座っている夏。
「まあな。あ、そうだ夏。今から町に行かないか?」
「町?」
「そう」
町に来た。いろいろなところで安売りをしており、にぎやかだ。
「きゃーどろぼうー!!」
どこかでおばあさんの悲鳴が聞こえた。
いかつい顔をした男が、財布を手に、走っていた。
「あいつ、泥棒か!」
春はその泥棒を追った。
「ちょっとお姉ちゃん!」
あわてる夏。
逃げながら、男は振り向いた。
「待てっ!」
男の肩をつかむが、振り払われてしまった。
「このっ!」
男が樽を投げつけてきた。春はそれにつまずいてしまった。
「だっさ!」
と、夏。
「うっせーわ!」
怒る春。そこへ。
何者かが、すばやい足取りで、こちらにやってきたではないか。そしてそいつは高く足を上げると。
「うわあああっ!!」
男の顔面に、かかと落としをくらわした。
男は倒れた。
「はいおばあさん」
かかと落としをした女は、財布を返した。おばあさんは喜んで受け取った。
「わあ……」
呆然としている夏。
「さっ、夏行くぞ?」
立ち上がった春。
「あたしもなにかやりたい……」
「え?」
「空手! 空手やる!」
これが、夏十歳の空手との出会いだった。
夏は毎日空手の稽古に励んだ。サボりたいと思った時もあった。しかし、町で見たあの女のかかと落としを思い出すと、怠惰な気持ちも薄れていく。サボりたいと思った時は、町で見たかかと落としを思い出した。
(あたしも、早くできるようになりたい!)
空手に夢中になっているのを感心して見ている、太陽と秋。
「どういう風の吹き回し?」
首を傾げる秋。
「さ、さあ?」
肩をすくめる太陽。
そして、十五歳。
「たあーっ!!」
家の屋根から、優雅に飛び蹴りをする夏の姿あり。
「念願のかかと落としはできるようになったのか?」
春が聞いた。
「もちろんよ。ちょっと瓦貸して」
瓦を十枚用意した。
「はあーっ!!」
十枚とも真っ二つにされた。
「うちはとうとう戦闘民族になってしまった……」
途方に暮れる太陽だった。
しかし、今となってはどうだろう。家族はバラバラになり、寮と職場を往復する毎日。秋と春は託児所に、夏はニス塗りしかしない無感情な女に、雪の行方は知らず。これがずっと続くのかと思うと、息がつまる思いになるのだった。
「ダメだ。いつまでも考え込んでちゃいけない」
そうしてたら、また妻に呆れられてしまう。
「俺から救えばいい。夏のことを!」
太陽は、変装用のメガネを外した。
「夏!」
ニス塗り中の夏は、顔を上げた。
「夏、父さんだ。わかるか?」
夏は少し太陽を見つめて、またニス塗りに取りかかった。
「ダメだ夏。そんなことしてちゃダメだお前は。もっとこう、お前は明るくて、活動的な……」
と、問いかけている途中。
「あの、静かにしてほしいんですけど?」
夏のとなりの社員が注意した。太陽はあわてて夏から離れた。
(お昼休みだ。お昼休みに話そう……)
そう決心した。
お昼休み。夏は食堂で、一人でご飯を食べていた。
「夏、いいかな?」
目の前に、太陽が座ってきた。
「久しぶりだな。ごめんな、だますつもりはなかったんだ。ただ、その……。母さんに潜入を頼まれていてね」
「……」
「だけど、漁師の俺には、なんの手がかりなんて掴めるわけないんだけどな。はははっ!」
「……」
夏は、話を聞いているのか聞いていないのかわからない状態だった。太陽に目も向けず、ずっと食事に箸を進めているからだ。
「夏。ずっとニス塗りをしていて、いろいろしんどかったろう。でも、続けてきていいところがあるんだ。それは、お前は落ち着きがないだろう? それが身に付いたじゃないか。まったく、光栄だよ」
「……」
太陽は、箸を置いた。そして、寺子屋時代の不良だった頃の夏、空手に夢中の夏、バイトを始めて、いろいろな話をする夏を思い出した。なんでも話してくれる彼女は、もうここにはいない。父親の話より、目の前の食事を摂ることが優先事項のようだ。そう、目の前の出来事が……。
「まったく! やり方がおざなりよ!」
太陽の後ろから、秋が肩に手をドスッと置いてきた。
「あ、秋? は、春も!?」
「夏は父さんが思うように無感情になってはいないよ。これはすべて演技さ」
「え!?」
夏は箸を止めて、ウインクした。太陽は力が抜けたのか、イスから転げ落ちそうになった。後ろで秋が支えてくれた。
その日の夜、秋の寮に集まった。
「そもそも、あたしはニス塗に来てしばらくしてから、お父さんだって気づいてたの」
と、夏。
「私もだ。託児所に来た時に、すぐに母さんだと気づいた」
「じ、じゃあもっと早く言ってくれれば……」
と言う太陽に、
「潜入は時間をかけて行わないとね」
秋が答えた。
「でも、春ちゃんは気づいてなかったわよね?」
「え?」
春の顔を見る夏と太陽。
「あ、あれは演技だよ。ほら、園の外で空が見てたらまずいだろ?」
「あっはっはっ!」
秋と夏が笑った。
「刀を取り返したら覚えてろよっ?」
赤っ恥の春だった。
「まあそう怒りなさんな。もう二ヶ月と半分でしょここ来て。だから、精神的にまいっちゃうのも無理ないわ」
「そうか。お姉ちゃん、二ヶ月間ずーっとお仕事してたから、ほんとにお母さんなのか、疑わしくなっちゃったんだね」
「うっさい」
「あたしもかも」
「え?」
「あたしはお姉ちゃんと違って仕事したことあるから、多少のことは平気だけど、毎日ニス塗りニス塗りで、おかしくなりそうだったもん」
「働いたことないは余計だ……」
ジト目をする春。
「と、とにかく。こうしてみんなそろうことができてよかったよ」
太陽がほほ笑んだ。
「でも、雪ちゃんがいないでしょ?」
「そうだよ。雪ちゃんがいないよ!」
秋に続き、夏も声を上げた。
「雪はまだ十歳だけど、どこでなにをしているんだろうな」
春はあごに手を付けて考えた。
「もしかしてお姉ちゃん、助けに行こうって思ってる? なら、それは無理だと思うよ?」
「なぜだ?」
「雪ちゃんは、最近食堂でも見かけないものね」
秋の言葉に、ハッとする三人。
「まさか、脱走したんじゃ?」
と、春。
「まさか。大門も塀も巨大なのよ? 越えるのは無理よ」
と、夏。
「母さんたちが働いているのとは別の託児所にいるとか?」
と、秋。
「いやいや。雪は託児所に入る年齢じゃないぞ?」
と、太陽。
四人は額に手を当てて考えた。
「手っ取り早い方法があるわ」
夏が言った。
「社長に聞くのよ。聞くだけなら、大丈夫でしょ」
四人は社長室に出向き、空と鉢合わせた。
「雪ちゃん? ああ。あの子は地下の牢屋にいるわ」
孫の手で背中をかきながら答えた。
「ど、どういうことよ!!」
秋が、社長デスクをドンと叩いた。
「あの子脱走したのよ。こうき君といっしょにね」
「こうき?」
と、夏。
「そいつと牢屋にいるのか?」
春が聞いた。
「うんいるよ。こうき君は腕っぷしのいい陰陽師見習いでね。その子がなんか術を使って、見事警備員たちを突破したってわけよ」
「なにを言ってるのこの人?」
空に指をさす夏。
「まあ、なにをしようと、脱走した人は、必ず見つけ出すけどね。三日間脱走していたので、つかまった日から三ヶ月間、牢屋に入れているのよ」
空の話を聞いた四人は、呆然としていた。末っ子である雪が、地下の牢屋に、今日まで二ヶ月も入っている。さぞ怖い気持ちであろう。
「三食昼寝付きよ? 過去に、楽がしたいって理由でわざと脱走した人いるけど、そんなやつすぐ解雇してやったわ」
「なんてやつだ! 雪はまだ幼いんだぞ?」
太陽が怒った。
「わかったわ。地下の牢屋にね。三食昼寝付きとは、ありがたい話ね」
と言って、秋は社長室を出た。続けて、春と夏、太陽も出た。
「なによあいつら……。一家そろって……」
戸の向こうをにらむ空だった。
「どうするんだいこれから?」
太陽は聞いた。
「決まってるでしょ? 雪ちゃんを助けに行くのよ」
秋は答えた。
「し、しかし地下の牢屋なんてどこにあるかわからないじゃないか! どうやって探すんだい?」
「確かに」
「もうあと一ヶ月待ってもいいんじゃないかな?」
と、夏。しかし、秋は余裕の笑みを浮かべでいた。
「一日三食食べさせてあげてるんでしょ? そこを狙うのよ」
からくり工場の食堂の一日は、まずお米やその他食材が運ばれてくるところから始まる。運ばれてきた食材たちは、倉庫に積まれていく。それから、朝ご飯を作る。あらかじめ作っておいた一ヶ月間の献立を元に、作る。工場にはたくさんの社員がいるわけだから、時間との勝負になる。だいたい食事する一時間前には完成できるようにしている。遅くとも、三十分前にはおわらせる。
「あの、できたご飯牢屋に持っていきますね?」
一人の食堂係が、お盆を持っている。
「あーはいはい持ってって」
じゃがいもの皮をめくりながら、適当に答える食堂係。お盆を持った食堂係は、急ぎ足で食堂を出た。
お盆を持った食堂係についてくる食堂係が、一人、二人。
食堂係三人は、ろうかの行き止まりに来た。そこの床に、牢屋と記されている。
「別の人に聞いたのよ。ここにあるってね」
食堂係が三角巾を取った。その人は、食堂係に変装した、秋だった。
あと二人の食堂係も三角巾を脱いだ。春と夏だ。
「よっこいせ!」
秋は、重い牢屋の床扉を開けた。中には、下に続く階段があった。
「行こう」
と、夏が言った。秋を先頭に、階段を降りていった。次に、夏が降りた。
「私が食事を持つんかい!」
お盆にのせた食事を持って、春はゆっくりと階段を降りていった。
階段は、わりと段数があった。ゆっくり降りていった。
しばらくして、明かりが見えてきた。ランプの明かりだ。
「雪ちゃーん」
秋が呼んだ。
「何者だ!」
牢屋の中の誰かが叫んだ。こうきだ。こうきが地下に来た三人を、警戒している。
「君がこうき君ね!」
感心する秋。
「雪!」
「雪ちゃん!」
春と夏がかけつけた。
「お姉……ちゃん?」
お山座りをしていた雪は、そっと顔を上げて、そっと後ろを振り返った。
柵の越しに、自分を覗いている、お姉ちゃんたちがいた!
「お姉ちゃん……。お姉ちゃん!!」
雪はバッとかけ寄った。
「えっ?」
驚くこうき。
「雪ちゃん!」
夏が涙を流している。
「お姉ちゃん! 春お姉ちゃ〜ん!」
泣きながら、お姉ちゃんたちを呼ぶ雪。
「なんだ。元気じゃんか」
ホッとしている春。
「うえ〜ん!」
泣いていて、言いたいことが整理できない雪。
「待ってて。今開けてあげるからね」
秋が、くないをカギ穴に入れた。
「お、お母さん……」
雪は、全身から力が抜けていくのを感じた。
「あ、あのあなたたちは?」
呆然としているこうき。
「はいはい。話は牢屋から出てからね」
一分後、牢屋のカギが開いた。雪とこうきは、牢屋を出た。ニヶ月ぶりだ。自由になった。
「夢じゃないんだよね? 夢じゃ……ないんだよね!」
声を上げるこうき。
「お母さんお姉ちゃーん!!」
「雪ちゃーん!!」
雪は、春と夏に抱きしめられた。もうずっと離れたくないと思った。春も夏もいっしょだった。
「はいはい静かに!」
と、秋が号令。みんな静かになった。
「なによお母さん。再会を喜んでいたのに」
ぶーぶー言う夏と雪。と、春も少し。
「ここはどこだと思う? からくり工場よ。叫ぶなら、工場を出てからにして」
秋は、雪の肩と、こうきの肩に手を置いた。
「でもまずは、二人とも無事でよかったわ!」
ほほ笑んだ。
「お母さん。雪ね、毎日お山座りして、下見てばっかりだったの」
「そうなの? じゃあ、運動不足解消しないとね」
秋は、ウインクした。
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