六・脱獄

第7話

"こうき君が今つぶやいた人が、一番いたい場所なんだよ"


 ある日の勤務中。

脱獄だつごくしよう」

 こうきが突然そうつぶやいた。

「へ?」

 当然、首を傾げる雪。

「だから! ここから逃げようって言っているんだ!」

「それがなんで脱獄なの?」

「ここは生き地獄だからさ」

「生き地獄?」

「僕はようやく気づいた。自分たちの帰る場所へも行くことを許されず、休みもくれず、毎日毎日同じ時間同じ仕事を子どもから大人までさせられるこんな場所は、生き地獄なのだ」

「ほうー」

 声を上げる雪。

「な、なんだよ! 笑いたきゃ笑えよ!」

 照れるこうき。

「ううん。まさに、脱獄だね!」

 雪のほほ笑んだ顔を見て、ドキッとするこうき。

「わ、わかればいいんだ」

「でも、どうするの? 外出届けを出すの?」

「いや、そんなもの必要ないさ」

「ええ?」

「どうせ逃げるつもりなんだから、無断で抜け出すんだよ」

「えー?」

 唖然とした。

「君だって、こんなところにずっといたくないだろ? 寺子屋に行きたいだろ?」

「そりゃあ、そうだけど……」

 てなわけで、こうきが考えた脱獄作戦を聞くことになった。

「前に一度脱走した社員がいた話をしたね。あの後、警備が厳重になり、塀や門が人よりもうんと高くできたんだ。そして、朝昼晩と交代で、警備員が置かれた」

「問題は、これらをどう切り抜けるかってことだよね」

「そういうこと。そこで、大人な僕はこんな方法を思いついたんだ!」

「ふーん」

 ジトーっとした目をして、ちゃぶ台にほおづえをつく雪。

「大門のカギを盗むのさ」

「は?」

「入口の大門は、外からも中からもカギ穴しかなくて、だから、カギを盗んでしまえば、無事脱獄できるというわけさ」

「いやいやいや。そんなの雪たちだけでできるわけないじゃん。こうき君、頭はちゃんと使ったほうがいいよ?」

 バカにしたが。

「それができるんだよ。僕は陰陽師だぞ? 相手を洗脳し、あるがままにあやつることも可能なのだ!」

 ポカンとする雪。洗脳とはなんなのか、不思議だった。

「ちなみに、夜やったほうがいいと思うんだこの作戦は。夜は、外に警備員しかうろついていない。僕の洗脳も、人気が少ないほうが、やりやすいということさ」

「あ、一ついいかな?」

「なんでも」

「お姉ちゃんたちも脱獄できるの?」

「え?」

「雪、どうせここ抜け出すなら、お姉ちゃんたちとがいい」

「……」

 こうきだって、雪と同じ気持ちでした。工場で巨大からくりメカを開発している両親と抜け出して、また三人そろって神社で働きたいからです。

「それは……。彼らがどうするかによるね」

「どういうこと?」

「君のお姉さんも僕の両親も大人だ。僕ら子どもと違い、生活のためにせいいっぱいなんだ。だから、もしかしたら、帰りたくないと言うかもね」

「そんなのやだ! 家族なんだよ? 家族はみんなそろってこそなんだから!」

「だからって無理やり帰して、元のお金のない生活に戻ったらどうする!」

「そんなのいいもん!」

「大人はそうもいかないんだよ!」

 こうきに言われ、言葉をつまらせる雪。

「僕は陰陽師だ。なんとかやっていける。君がもし一人でなにもできないならしかたがない。僕の神社に案内してやるよ」

 雪はしかめっ面して言った。

「大人とか言ってたくせに、やっぱり子どもって言う人と暮らしたくないんだけど?」

「悪かったな!」

 こうきは怒った。


 お昼休み。雪は夏といっしょにお昼を取った。春は、託児所の子どもたちにつきっきりらしい。

「ぶーっ!!」

 雪の脱獄の話を聞いた夏が、お茶を吹いた。

「ゆ、雪ちゃん気は確か?」

「うん」

 ガクリとして、夏は言った。

「困ったなあ。帰りたくなっちゃったかあ……」

 頭をポリポリかいて、困った顔をする夏。

「ごめんなさい。でも、雪、家族はそろってこそだと思うの。だからね、春お姉ちゃんと夏お姉ちゃんと、雪。三人でお家に帰りたいって、思ってるんだ」

「雪ちゃん……」

 雪の言葉に感心した。

「わかったわ、ありがとう」

 夏は、雪の頭をポンポン軽くたたいた。

「でもごめん。ちょーっと厳しいかもしれないわね」

「ああ……」

 しょんぼりする雪だった。


 お昼休みがおわって、雪が相談室に向かっている時に、春が歩いてくるのが見えた。

「春お姉ちゃん!」

「雪!」

 春は、飛びついてきた雪を抱きしめた。

「久しぶりだな! 元気にしてたか?」

「もちろんだよ春お姉ちゃん! 最近会ってないけど、忙しいの?」

「ち、ちょっとな。託児所は大変なんだ」

「ねえ。脱獄しよ?」

「え?」

「ここを抜け出すの。いっしょに働いてる陰陽師の子がね、洗脳ってのして、大門のカギを開けてくれるんだって!」

「お、おおそうか」

「春お姉ちゃんもお家帰りたいでしょ? ねねっ?」

「ああ、もちろん帰りたいよ」

 ぴょんぴょん跳ねる雪の頭にやさしく手を置く春。

「でも、今は無理かもしれない……」

「春お姉ちゃんまで……」

「そうだ。雪、お前だけでも帰るんだ。ちょっと待ってろ」

 春は紙切れを取り出し、筆でなにかを書いた。

「これ、私と夏の銀行の口座番号だ。これを窓口に見せれば、ほしい分だけ手に入る。好きにしていいぞ? じゃあな!」

 立ち去ろうとした春のはかまの袖をつかむ雪。

「やだよ。家族はみんなそろってこそなんだから!」

「雪……。でも、今は夏も私も戻れない」

「なんで! 雪はみんなでいたいのに! お姉ちゃんたちだけ帰らないのはダメ!!」

「生活のためだからさ!!」

 春が大声を出すと、雪はだまり込んだ。

「江戸時代、二十万もくれるとこなんて早々ない。半年、一年経てば、もっともっと貯まるようになる。ここをやめたら、もう二十万もらえなくなる」

「そんなにお金が大事なの? 春お姉ちゃんは、刀さえあればなにもいらなかったんじゃないの?」

「!」

 春は、働く前、刀さえあればそれでいいと、刃をふきんでみがきながら言っていたことを思い出した。

「ごめん雪。大人になれば、好きなことより生活していくことが優先になるんだよ……」

 と言って、そのまま去っていった。雪は思った。

(生き地獄って、こういうことなのかな?)


 相談室に戻り、こうきに春と夏を脱獄に誘ったが、断られたことを話した。

「当然さ。大人は誰だってお金が大事だしね」

「どうして? お家はいやなの? 好きなことができなくていいの? 雪、わかんないよ!」

 むしゃくしゃしている様子の雪。こうきは、丁重に話した。

「大人ってさ、みんな働いてるじゃん? 働くって、人にものを売ったり、なにかを作って、それをどこかに提供したりすることだよね。こうやって、お金を得るんだよ。得たお金は、生活の足しにされるんだ。もちろん、自分の好きなことに使ってもいい。だけど、好きなことばかりに偏ってしまうと、生活ができなくなる。考えてごらん。わかるよね?」

「うーん……。うん」

 雪は少し考え、うなずいた。

「仕事っていうのは、いろいろなものがある。ただお金をもらうためだけに、好きでもない仕事を一生懸命がんばっている人もいる。好きなことを仕事にして、楽しい時も大変な時も味わっている人もいる。だけど、やっぱり働くって、生活するためにやることなんだよね。君のお姉さんや、僕の両親、その他ここで働く社員たちは、江戸時代じゃめずらしい、二十万という大金を手に入れて、今後の生活のためにがんばっている。やりたくないこともやるし、里帰りできなくても、みんな生活のためにがんばる。がんばっているんだ」

 話を聞いて、雪は少しだけ、春と夏を無理に帰そうとしないようにと思いました。彼女たちも彼女たちなりに、生活のためにがんばっているんだと、考えたのです。

「実は雪、春お姉ちゃんから銀行口座の控えもらってて……」

「雪……」

 こうきは、雪の肩に手を置いた。

「僕たちだけでも逃げるんだ。この、生き地獄から!」


 夜になった。時計は就寝消灯時刻の、十時を指していた。

 こうきと雪は、誰もいない中庭を、茂みや木に隠れながら、抜き足差し足で進んだ。そして、大門の近くの茂みに来て、そこに立っている警備員を見かけた。

「今から洗脳をする」

 こうきは、水晶玉を風呂敷から出して、目を閉じ、手を合わせた。精神を集中させて、陰陽師の力を発揮しようとしているのだ。

 水晶玉が青く光りだした。雪は、青く光る水晶玉をじっと見つめた。しかし、まぶしくて、目をすぼめた。

「ふわあ〜あ……」

 大門の前に立っている警備員があくびをした。

『そこのお前』

 警備員は驚いた。頭の中で、少年の声がした気がしたからだ。こうきが陰陽師の力で、警備員の心に問いかけていた。

『今からお前は、大門のカギを開ける。大門のカギを開けるのだ!』

「はい……」

 警備員は、大門のカギを開けた。

 すると、木の上や茂みの中、落とし穴の中に隠れていた警備員たちがやってきた。

「くせ者だ! 出会え出会えーっ!」

「あわわ〜!」

 雪はあわてた。こうきも、まさか警備員があんなに張り込んでいたとは、思わなかった。

「だが、今いるやつらまとめて洗脳すれば!」

 もう一度水晶玉に念じた。少し力むのか、額に汗が伝った。

『お前たち、全員大門のカギを開けよ!』

「はい……」

 現れたすべての警備員たちは、大門をふさがないように、道を開けた。

「よーし洗脳完了! 行くぞ、雪」

「な、なんかすごい……」

 感心している雪。

「ほら早く!」

 こうきは、雪の手を強く引っ張った。二人は無事に、からくり工場という名の生き地獄から、脱出したのだった。


 二人は、こうきの家が経営している神社に来た。町外れの小さな神社だった。拝殿と鳥居くらいしかない小さなところだけれど、夏になると、自ら屋台を開くなど、地域活性化に貢献している。

「初めて神社の小屋みたいなとこに入った!」

 拝殿の中をキョロキョロと見て回る雪。

「拝殿っていうのさ」

「いつもお賽銭入れる時に、中は神様がいるんだろうなって思ってた!」

「はっはっはっ! ご名答」

 こうきは、囲炉裏の火を焚き、お茶を沸かしてくれた。

「雪たち、これからどうなっちゃうの?」

 こうきはお茶をすすったあと、こう答えた。

「君、さっきお姉さんから銀行口座をメモしたのもらったんだろう? しばらくはそれで生活していくしかない」

「二人で?」

「別に一人でもかまわないさ。僕には神社があるからな。こんなとこでも、信仰心が強い人は、誰でも来てくれる」

「でも雪お金あるし、それに一人はさみしいから、いっしょでもいいよ?」

「ったく。だから君は子どもなんだよ」

「でもこうき君だって、内心雪がいてくれてホッとしてるんでしょ?」

「なに!?」

 照れた。

「えへへ!」

 雪は笑った。

「工場にいた時みたいに、あれこれ雑用を任してやる!」

「いやー!」

 こうきの言うとおり、毎日雑用を任された。神社のまわりの落ち葉掃き、拝殿の床みがき、食器洗い、ごはん炊き。特に掃除や食器洗い、洗濯ものは毎日やらされた。料理はこうきがやった。なぜなら、雪は料理ができないので、これは得意なほうがやるのがいいという彼の意向だった。料理をする時以外は、陰陽師になるための研究をしていた。雪にしては、水晶玉を見てるだけで、サボってるようにしか思えなかった。しかし、この研究は、神社を経営していくためには、必要なことなんだと、こうきは言い張った。研究の成果は、きちんと記録表にメモしていた。雪は記録表を見て、自分より字がきれいでうらやましいと思った。


 工場を抜け出して三日目の朝。

「いってきまーす!」

 雪は風呂敷きを持って、寺子屋へ向かった。

「えへへ! ここからだとわりと近いからラッキー!」

 くるくる回って鳥居を抜けていった。

「おい! 鳥居を抜ける時は二礼二拍手一礼だぞ!」

 こうきの注意など目にくれず、寺子屋へと向かっていった。

「ったく……」

 それはともかく、拝殿に戻ろうと、後ろを向いた。

「やっほー!」

 そこには、からくり工場の社長、空が手を振っていた。


「らんらんら〜ん♪」

 スキップをしながら寺子屋へ向かう道中だった。

「きゃー!!」

 雪は、三人のからくり工場の警備員につかまってしまった。

 からくり工場に追い返されてしまった雪とこうきは、二人で牢屋に閉じ込められてしまった。

「ここは社員寮の地下にある牢屋。三日も抜け出してたから、三ヶ月ここにいなくちゃね」

 空は、牢屋のカギをくるくる指で回しながら言った。

「くそっ!!」

 こうきが、牢屋の柵をなぐった。

「大丈夫よ。食事は天井から、からくりのしかけで送られてくるから。じゃあねー」

 空が出ていくと、二人がいる牢屋の天井から、井戸のつるべのようなもので、お盆にのせた食事が降りてきた。

「やっぱり、ほんとに警備員が探しに来るんだね……」

 と、雪。

「本当に、わずか一日だったね……」

「うるさい!!」

 こうきは、地面をなぐった。

「やっぱり、耐えるしかないんだ。僕たち子どもも大人になって、りっぱに耐えるしかないんだ!」

「そんな……。寺子屋、行きたいよ!」

 雪は涙を流した。

「久しぶりに行けるとこだったのに……。お姉ちゃんたちにも会いたいよ……。こうき君、なんとかしてよ……。こうき君……こうき君!」

 こうきはなにもしゃべらない。

「こんなのあんまりだよーっ!!」

 雪は泣きながら、こうきを叩いた。何回も何回もたたいた。こうきはだまってうつむいているだけだった。

 泣きべそをかき続けていると、こうきが突然抱きしめてきた。雪は驚いた。

「君ばかり泣くんじゃない! 僕だって、僕だって泣きたいんだ。でも、今はこの状況に目を向けるしか……方法がない!」

「こうき君……。どうしたらいいの?」

 すすり泣きながら、その答えを求める雪。こうきは答えた。

「僕がいる!」

 ほほ笑んで答えた。


 外は、大雨が降っていた。

 春が働いている託児所では、子どもたちが外で遊べないのでがっかりしていた。

「そうだ! はるる先生!」

「春先生な春先生!」

 春はツッコんだ。

「また刀やってよ!」

「やってやってー!」

 子どもたちがコールする。しかし。

「ごめん。あぶないからダメだ」

「えー?」

 子どもたちはさらにがっかりした。雨で外で遊べないのに、刀も見せてもらえないなんて。

「じゃあ晴れたら見せてくれるの?」

 最初あやとりを教えてあげた女の子が聞いた。

「いや、どっちにせよ刀はあぶないからダメなんだ。それよりみんな、そろそろ三時のおやつの時間だ。席に着いて待ってなよ」

 立ち上がり、おやつを取りに行った。

「最近はるる先生、おもしろくないな……」

 男の子がぼやいた。


 夏は、ニス塗りからメカ作りに移動し、今は釘を打つのに没頭していた

「ふう。あっ、あたし終わったんで、なにかやりましょうか?」

 隣の人の作業を手伝おうとした。

 しかし、その人はそそくさとどこかに行ってしまった。

「はあ? あ、やろうか?」

 他の社員に当たってみるも、その人もそそくさと行ってしまった。別の人も、そのまた別の人も。みんな夏が近づけば、離れていってしまう。

「やっぱり、ニス塗りの時、なぐったのがいけなかったのかな……」

 なんとなく、自分が避けられていることはわかっていた。ニス塗りの時に、同じチームの社員を、蹴ったりぶったり、派手にやらかしてしまった。そのことは、他の現場にも知れ渡っており、夏は狂犬扱いされていた。

「いいもん。仕事は仕事をするところだから!」

 夏は、自分で仕事を探した。

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