四・初めてのニス塗り

第5話

春の次女、夏は工場勤務を任された。さっそく、無愛想なメガネの班長に、自分が担当する場所へ案内してもらった。

「何度見てもすごいなあ。最先端を行ってるよね」

 案内中、工場内のしかけに感心した。休憩所には、腰掛けの代わりに回る湯飲み、上から下へ移動するためにできた、観覧車式の滑車。遠くから遠くへ移動するためにできた舟盛りバイキングなど、さすが、遊園地を真似た工夫が成されていることだけある。

「こちらが、あなたが担当していただく部署です」

 班長が、手で示した。

「どんなおもしろいしかけでお仕事するのかな?」

 夏は部署を見て、唖然とした。

 自分が担当する部署には、遊園地みたいなしかけはなかった。回る湯飲みも、舟盛りバイキングも、観覧車式滑車もなかった。目の前には、ただひたすらに歯車にペンキで透明な液体を塗ったくっている作業員だけだった。

「あ、えっと……」

 夏がしゃべる間もなく。

「こちらの部署では、歯車にニスを塗っていただきます」

「ニ、ニス?」

「こちらです。肌に触れると非常に危険なものですから、扱いだけは慎重にしてくださいね」

「は、はあ……。で、これを歯車に塗るんですか?」

「そうです」

「ペンキで?」

「そうです」

「あの、なんかのからくりで塗るとかじゃなく?」

「あなたの塗る場所はあちらです」

 奥に、空いている場所があった。

「休憩は基本、お昼の一時間のみ。では僕はこのへんで」

「え、あ、ちょっと!」

 班長は、ニス塗りが終わった分の歯車をチェックしていった。班長は、その役柄らしい。あとは、八人、自分たちの場所で、ひたすら歯車にニスを塗っていた。

「なるほど……」

 夏は、さっそく軍手を着けて、ニス塗りを始めた。

「おっ。案外楽しいじゃん」

 やってみると、そこまで悪くないと思った。からくりじかけがなかったのは惜しかったが、これはこれでやっていけるかもしれない。

「あっ。あたし今日からここで働くんで、よろしくお願いします!」

 隣の若い女性社員にあいさつした。

「ねえねえもしかして歳おんなじくらいかな? あたしまだ十五なんだよねえ。姉と妹がいてさ、二人もここで働いてんの。場所は違うけどね。ていうかさ、妹がまだ十歳で……」

「あの、静かにしてもらえます? 気が散るんですけど?」

 話しかけていた女性社員が怒った。夏はびっくりして、話を止めた。他の社員たちは、チラチラ夏を見ているだけで、なにも言わなかった。

「怖……」

 夏はニス塗りを始めた。


 正午のチャイムが鳴る。昼食の時間だ。

「ああ……」

 夏はもうふらふらだ。食堂のテーブルにうどんを置くと、すぐうつ伏せた。

「夏、大丈夫か?」

「夏お姉ちゃんしっかり!」

 春と雪が気にかけた。

「いやあ……。あたしもうここやめるかも……」

 目を両手で覆い、言う。

「はあ? 夏らしくないな。前の和菓子屋なんて、一生働いていくなんて言ってたじゃないか」

「お姉ちゃんいい? あたしが配属されたところは、工場よ? 託児所じゃないのよ?」

 顔を上げ、言った。

「よかったじゃないか。よくわからんからくりじかけが見放題だな」

「残念ながら、その工場の中で、あたしが任された部署は、からくりなんて存在しないのよ」

 肩をすくめた。

「どういうこと?」

 雪が聞いた。夏は、ムスッとして、答えた。

「ひたすらニス塗りをするのよ……」

「ニス?」

 顔を合わせる春と雪。


 一時間のお昼が終わり、業務開始。夕刻まで休憩を取らず、ひたすらニス塗りをする時間の始まりだ。

「ふわあ〜あ……」

 夏はあくびをした。仕事中、あくびをしたことなんてなかった。和菓子は、甘い香りとともに仕事をするため、眠気などしないのだ。

「だって甘いの好きだし」

 しかし、ここはニスと木の香りしかしない。いい香りとも言えない独特な雰囲気と、ひたすら歯車にペンキを下ろす単純作業が、眠気を誘う。

(はっ! ダメダメ! 二十万よ二十万。二十万のために、働かなくちゃ!)

 両親が出張で不在になり一年、自分たちだけでは生活が危うくなった時、バイトをしないかと、春に話を持ちかけた。しかし、春と来たら、自分の剣の腕前を知っている町の人たちに騒がれたら元も子もないと言い張り、それを拒否した。しかし、働いてお金を得ないことには、生活は成り立たないのだ。

 そこで、自分だけでもと、和菓子屋にやってきのだ。給料はそこそこよかった。でも、自分たちが食べていくのがやっとと言えるほどだった。

「でも、二十万もの大金が毎月入れば、お姉ちゃんも雪ちゃんも、あたしも生活していける!」

 どうせ求人広告には、具体的なことは書かれていなかったんだ。二十万もらえるのならば、なんだってする。

「よーし!」

 夏はやる気になった。

「静かにしてもらえます?」

 また隣の女性社員に注意された。

「すいません……」

 ちょっとへこんだ。


 翌朝八時。勤務開始。ベニヤ板が型に押し付けられて、歯車の完成。できた歯車を箱に詰めて、下にいる社員が、観覧車式滑車にのせる。この業務を行なう係が、型係。そして、上がってきた歯車を検品して、それを遠くにいる社員たちに、舟盛りバイキングで受け渡す。これは検品係。舟盛りバイキングで預かった歯車を運び、ニス塗り係に渡す、これは配達係。工場全体を、車輪付き下駄を履いて、せっせかせっせか動き回っている。

 ニス塗り係は、渡された歯車に、ひたすらニスを塗るだけ。塗り終わったら、専用のところで一晩乾かして、運搬係うんぱんがかりに渡す。

「歯車置いときまーす!」

 配達係が、箱いっぱいの歯車を置いた。

「まだあんなに!」

 夏は幻滅した。しかし、二十万のためだ。姉と妹のため、がんばらなくちゃいけないのだ。

 配達係が持ってくる箱は、どんどんどんどん積まれていく。塗っても塗っても、歯車のニス塗りは終わらない。終わるとしたら、お昼の時間か、勤務終了の夕刻だけだ。


 翌朝八時。勤務開始。型を押されできた歯車は、観覧車式滑車、舟盛りバイキング、配達係に運ばれて、ニス塗り係へ来た。

 朝八時十分。型を押されできた歯車は、観覧車式滑車、舟盛りバイキング、配達係に運ばれて、ニス塗り係へ来た。

 十一時ちょうど。型を押されできた歯車は、観覧車式滑車、舟盛りバイキング、配達係に運ばれて、ニス塗り係へ来た。

 お昼休憩がおわって十三時。型を押されできた歯車は、観覧車式滑車、舟盛りバイキング、配達係に運ばれて、ニス塗り係へ来た。

 翌朝八時、勤務開始。型を押されできた歯車は、観覧車式滑車、舟盛りバイキング、配達係に運ばれて、ニス塗り係へ来た。

 翌朝八時、勤務開始。型を押されできた歯車は、観覧車式滑車、舟盛りバイキング、配達係に運ばれて、ニス塗り係へ来た。

 翌朝八時、勤務開始。型を押されできた歯車は、観覧車式滑車、舟盛りバイキング、配達係に運ばれて、ニス塗り係へ来た。

 翌朝八時、勤務開始。型を押されできた歯車は、観覧車式滑車、舟盛りバイキング、配達係に運ばれて、ニス塗り係へ来た。

 翌朝八時、勤務開始。型を押されできた歯車は、観覧車式滑車、舟盛りバイキング、配達係に運ばれて、ニス塗り係へ来た。

「ああああっ!!」

 勤務中にもかかわらず、夏が叫び出した。

「あーっもうやってらんない! 毎日毎日同じことのくり返し!」

「静かにしてくれま……」

 女性社員をさえぎり、

「あんたこんなこと毎日してて楽しいの? 植物か!」

 怒りました。

「ちょっと! せめて十分くらい休ませるとか、話しながらやらせるとかさせてよ!」

 班長に文句を言った。

「勤務中です」

「はあ!? だから!」

「勤務中ですので、自分の持ち場に戻ってください」

 班長は顔色を変えず、ニス塗りされた歯車を検品しながら注意した。夏は、なにも言えず、あかんべーすると、そのまま自分の持ち場に戻っていった。


 夕刻。十七時。勤務終了。

「はあ……」

 夏の口からため息が出た。

「きゃっ!」

 夏の口からかわいい悲鳴が上がった。

「誰っ!?」

 おしりを押さえて、後ろに向きを変えた。そこには、同じニス塗り係の男性社員三人がいた。

「別に〜」

 ニヤニヤしながら、男性社員三人は、去っていった。

(あたしのおしり触ったな!)

 カッとした夏。

「おりゃあ!」

 夏は、後ろから一人、男性社員にかかと落としをお見舞いした。男性社員が倒れた。

「え!?」

 残った二人の男性社員が、驚いて、振り返った。

「あたしをなめんなよ? たあーっ!!」

 一人の男性社員には、ストレートパンチ、最後残った男性社員には、チョップをお見舞いした。

 男性社員三人は、倒れた。

「こう見えて、空手家なんで」

 手を払うと、伸びている三人をあとにした。


 夕食時、食事中の夏の元に、班長が来た。

「聞きたいことがあります」

「見てよお姉ちゃん、雪ちゃんも。この方が、無愛想でからくり人形みたいな、あたしの部長さんよ?」

「あなた、社員をなぐりましたね?」

「え?」

 と、夏。

「お、おい夏! どういうことなんだ?」

「夏お姉ちゃん人なぐったの?」

「ははっ! なんのことやらさっぱりですわ」

 と、しらを切る夏。

「話はお三方から聞きました。ケガをしていたのが、なによりの証拠です」

「うう……」

 なにも言えなくなる夏。呆然とする春と雪。

「人として最低限のモラルも守れないようでは、ここでは働いていけません」

「違う! あれは、あいつらがあたしにセクハラしたのがいけないのよ!」

 席を立ち、抗議した。

「あたしは空手家よ? 自分の身は自分で守れて当然だわ! なに? 体を触られたらがまんしてろって言うの? あんた変態? エッチ? それともそういう趣味?」

 ガンをつける夏。しかし、相手はひるむ様子を見せない。

「とにかく。勤務中いきなり大声を上げたことも、社員をなぐったことも、二度とやれば次はありませんので」

 と言って、去っていった。

「なによ! このメガネからくり人形! べーっだ!」

 春と雪は、顔を合わせて、唖然とした。


 翌日。いつものように、からくり工場は、営業している。

 さて、社長の空は、地下にある、現在発明中のからくりメカを眺めていた。だいぶできてきていた。

「ふふふ!」

 その様子を見て、笑った。

 そして、自分たちのからくりメカや、部品を製造している場内で。夏は、今日もニス塗りに明け暮れるのだった。

 ニス塗りをしている夏を見ながら、ニヤニヤしている男性社員三人。

「おーっと失礼!」

 男性社員の一人が、足をすべらせたのか、ますに入っているニスが、夏にかかってしまった。

「や、やば……。ニ、ニスがかかりました!」

 報告した。しかし、誰もかけつけてこなかった。

「あ、あの! ニスがかかったんですけど!」

 誰一人、班長さえも見向きもしなかった。

「え、ええ……」

 呆然とした。ニスをかけた男性社員が、徒党を組んでいる社員二人とくすくす笑っていた。

 ニスは、自分で水で流した。愛用している着物を中庭に干した。

「やれやれ。なによあそこの連中は。あたしが声を上げたら、なにしても反応してくれないっての?」

 私服で仕事をするため、とりあえず寝間着になるしかなかった。初めて勤務中に寝間着姿になった。

 部署に戻ると、男性社員三人に、笑われた。他の社員たちまでくすくすと笑っていた。夏は恥ずかしかった。でも、まだ勤務中だ。ここで帰るわけにはいかない。

(つーか、帰れないし! なんで制服とかないのよ!)

 江戸時代だから、制服なんてあるはずがない。

(あいつら〜! ずっと笑いやがって!)

 男性社員三人は、ずっと夏を見て、くすくす笑っている。

(セクハラといいニスぶっかけといい、いい度胸してるじゃないの……)

 にらみ返してやった。


 振り子時計が午後四時をさした頃。夏は、なんだか歯車の量が多い気がしてきた。

「いや、多いんだろうけど。でも、この時間にもなると、型抜き機やら舟盛りバイキングやらの清掃作業が始まるから、塗っても塗ってもなくならないことないはずなんだけど……」

 ふと、横を見た。

「あーっ!!」

 驚いた。男性社員たち三人が、自分たちの歯車を夏の箱に投げ渡していっているのだ。

「班長! 班長ーっ!」

 叫ぶと、

「ちょっと静かにしてもらえます?」

 隣の女性社員が文句を言った。

「あいつら、あたしにだけ自分たちの歯車を押し付けてきます! 班長! 班長ってば!」

 班長は、立ち上がると、こう言った。

「あなたは仕事をしているという実感がないのですか?」

「はあ?」

「わかりました。今日からもうクビです。仕事中いきなり声を上げて、キョロキョロしていて、ニスで服をぬらして、自己管理がなっていませんね」

 と言うと、またニスが塗られた歯車を検品し始めた。

「だから……」

 拳をふるえさせている夏。

 検品中の班長は、夏に胸ぐらを掴まれた。

「上等だこの! えっ? あたしがどんな思いでここで働いているか、あんたにはわからんだろうな!」

「なな、なんですか突然! クビにしますよほんとに!」

「したけりゃすればいいじゃないのよ!」

 胸ぐらを掴んだまま、ストレートパンチをお見舞いした。

 男性社員たち三人に、キッと振り向いた。

「ひい!」

 おびえた。

「やあーっ!!」

 三人まとめて、ひと蹴りしてやった。

「とりゃあ!」

 一人目の男性社員の腹に、ドロップキック。

 ジャンプして、

「おらあ!」

 二人目の男性社員にひざ落とし。

 三人目には。

「はあーっ!!」

 背負投げを食らわした。

「はあはあ……」

 息を切らしている夏。持ち場の台が壊れ、ニスがこぼれていた。他の社員たちも、おびえていた。

「ちょっと! 信じられないんですけど!」

 夏の隣にいた女性社員は、逃げていった。他の社員たちも逃げていった。

「こういう時だけ威勢よくなりやがって……。もう!」

 あふれてくる涙を、両手で押さえた。もう、ここでは働いていけないだろう。夏は、まさか自分がここまでしでかすなんて、思っていなかった。

「お姉ちゃん、雪ちゃん……。ごめんなさい!」

 泣きながら、中庭を歩いた。勤務終了のチャイムが聞こえる夕刻まで、歩いた。


 夕食時、春と雪といた夏の元に、空が来た。

「はいはいわかってるわよ。やめろって言いたいんでしょ?」

「は? なに言っちゃってんの? やめるなんてとんでもない」

「え?」

 夏は首を傾げた。

「き、聞いたでしょ今日のこと。あたしは確かに勤務中に社員たちに暴力を振るって……」

「なっちゃんはさ、じっと同じことをしているのは向いてないんだよ。あたい、面接して気づいてた。これは全部あたいの責任だよ。ああ、もっと早くに適職に配属させるべきだった」

「つ、つまり?」

「つまり! なっちゃんは明日から地下の工場で、からくりメカを作ってもらう!」

「え!?」

 春、夏、雪三人で驚いた。

「えーっ!?」

 三人の驚がくする声が、こだました。ちょうど夕日が沈み、夜になりそうな空模様だった。

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