57

 しばらく、角のある子供の隣にいた。

 かけるべき言葉もわからなかったし、なんなら言葉が伝わっていたかどうかもわからない。一緒に途方に暮れていると。


「あ――!」


 後ろから、吐息のような声がした。

 振り返ると、別の誰かが歩いて来ていた。

 つるりと美しい髪が特徴的な女の子だ。見慣れた制服姿ではなく、品のある白いブラウスと、革のタイトスカートをはいている。お互いが、お互いの姿を視界に入れると、目を丸くする。

 竜日は立ち上がり、真っ直ぐに立った。


「竜日!」


 桃香は竜日に向かって走っていた。ヒールの高い靴で走ったせいでバランスを崩したが、視線が竜日から外れない。竜日は応えるように身体を支えた。


「竜日! あなた竜日でしょう!」

「桃香ちゃん」

「よかった。もしかしたら、海で心中でもさせられたんじゃないかと……」


 桃香は改めて自分が今いる場所を確認する。赤くなった頬が一気に青くなる。


「海で心中でもさせられたんじゃないの!?」

「させられてないし、私たち別に死んでないよ」

「そう? ならどうなってるの?」

「生きてる」

「それはわか……!」


 桃香は呆れたように笑って、しっかりと自身の両足で立った。ヒールのおかげでいつもよりも顔が近い。


「そうね。それが一番大切なことだわ」


 振り返ると、先ほどの子どもはいなくなってしまっていた。何もないので仕方なく、その場に二人で座り込み、今までのことを話す。

 元の世界ではやはり大問題となっており、竜日は國立家の後継者を誘拐したとして、指名手配されているそうだ。


「身内がいなくてよかったな」

「そのブラックジョーク面白くないわよ」


 桃香は溜息をついてヒールを脱いでいた。


「相変わらず貴女の言うことはよくわからないけど、わかったわ。なら、最人も一緒なのね」

「最人だけでも、なんとしてでも返すから」


 当たり前だ、と言われると思っていた。しかし桃香はぎゅっと自身の膝を抱いて、背中を丸めて言う。


「ねえ、竜日」


 竜日が見ると、桃香はさっきの子どもがしていたように膝に額を当てていた。


「一体誰のために最人を帰す必要があるの?」

「え?」


 顔を上げて、まっすぐに竜日と目を合わせる。


「彼の家の人達? それとも私?」


 桃香が。と、最人の前では言えたけれど、桃香を前にすると言えなくなった。


「私はね」


 心臓が早くなる。周りの白が異常に滲む。竜日は桃香を見つめ返す。桃香は、竜日の動揺を丸ごと無視して続ける。


「全部承知で、あなたたちを行かせたのよ」

「でも、桃香ちゃんは」

「二人で関係ない世界に行って、二人で生きてハッピーエンドよ。そうでしょう?」

「そんなこと……」


 桃香が竜日の肩に手を置いた。竜日は痛いくらいに食い込む桃香の指先に覚悟を感じる。


「ねえ、最人と生きてあげて」


 息が荒くなる。焦っているし、今までにないくらい困っている。


「あなたならいいわ。しかたない。ずっと思ってた」


 考える時間が無い。


「最人を幸せにできるのは、あなたしかいない」


 桃香は。どこからどうみても本気だった。竜日は桃香の右手に、自分の右手を重ねる。


「それ、が、桃香ちゃんの望み?」

「そうよ。もういいわ。あんな男はいなくても。竜日が一緒にいてあげて。そうじゃなきゃ迷惑よ。なんの為に色々仕込んであげたと思ってるの?」

「なに……?」

「テーブルマナー! レディの歩き方! 一般教養! 美味しいお茶の淹れ方! とうとう、料理は上達しなかったけど」


 桃香は竜日の右手を両手で包む。竜日は、空いている左手で胸を押さえた。


「私のことなら、気にしないで」


 意識して呼吸をしなければ、苦しくて堪らない。桃香は最人と生きろと言う。最人も竜日と生きたいと言う。それならそうしたらいい。桃香が望むなら。最人が望むなら。


「竜日……?」


 分厚い布地の服の上に、涙が落ちた。ぱた、と音がする。二人の願いを叶えたい。しかし、もしも、ここで最人を帰らせることを諦めてしまったら。


『きっと、なんとかなります』


 桃香は眉間に皺を寄せて、心配そうに竜日を見る。


「あなた一体、誰のことを考えているの?」

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