52

 マールを宿に送り届けた後、竜日は海沿いを散歩していた。

 頭上を飛ぶ海鳥。さらに向こうに龍が飛んでいくのが見えた。月の初めに必ず見える龍以外も、時々空を飛んでいる。流れ星のようだ。

 ふと、風に乗って。「あ」風の上を駆けるような音が聞こえた。


「龍線……?」


 音がする方へ足を向ける。海沿いから山に入ると、どんどん音が大きくなる。山側ではなく崖の方へ向かう獣道を見つけた。注意深く観察しなければわからないが、草木がその道を境に別れて茂っている。分け入って進む。すぐに林を抜けて、海が広がる。その手前に切り株があって、派手な柄シャツの男が、龍線を弾いていた。

 曲は続いている。

 風の上を跳ねまわるような旋律は、どこか浮世離れしていた。回る世界を俯瞰するような、哀れむような調子で進む。しばらくはただ遊んでいるという様子だったのに、不穏な音が混ざり始める。地面に足を取られるような。軽快な様子は見る影もない。なにかを、必死に探しているような。熱望しているような。明るい音は一つも聞こえなくなる。そのまま終わるのかと、細く小さくなっていく。しかし、突如現れた『それ』は風に乗るのではく、そこで空気を二分する。今までの旋律が混ざり合う。台風の中心のような。ぐるぐるまわって、回って、廻って。苦しいような、楽しいような。感情が追い付かないまま、曲が終わった。


「『彼ら』はそのあと、どうなったんだろう」

「おわあっ! びっくりした! リューカさんいつからいたんですか!」

「上手く世界を渡れていたあたりから」

「相変わらず的確なイメージ! 参りました!」

「それで『彼ら』は?」


 ジャカが誤魔化そうとしたが、竜日が許さなかった。ジャカは頭を掻いて、それから自身の龍線を見下ろす。


「わかりません。だからあの曲はあそこで終わりです」

「そう……」


 竜日は崖の下を覗き込む。断崖絶壁で、黒い岩に波がぶつかるのが見える。


「今のは、ジャカさんの曲だろうか」

「やっぱりわかっちまいますか」

「なにか、運命の出会いがあったんだね」

「そっちはわかりませんでしたか……」


 ジャカの方へ振り返る。ジャカは微かに笑って竜日の言葉を待っていた。


「なにか苦しい?」

「う、いや、最後は苦しいもありますけど、楽しいが九割で終わってましたでしょ」

「曲はそうだけれど、言い聞かせるようだと思って」

「だあああ嘘がつけねえなあ」


 声の音量があがった。思ったことを口に出し過ぎだったかもしれない。口元を軽く押さえる。


「ごめん。気付かなかったことにしようか」

「そうしてください」


 ジャカは立ち上がって、龍線を切り株の上に置くと、竜日の後ろに立つ。竜日の立っているところは大きくせり出しているが、隣に人が立てるようなスペースはない。竜日はなにも言わなくなってしまった。


「リューカさんこそ、なにかありましたか。マール様と」

「マールちゃんと、と言うか。最人は、王子様と関りを持つの、うまくいったみたい」

「と、言うと?」


 貰った手紙のことや、マールから聞いた最人の状況を伝える。最人はサヒ市の闘技場で、闘技場内にいた王子様に声をかけ、取り入ることに成功した。そのまま第三王子の居城に招かれ、第三王子の権威を借りてマールへおつかいを頼んだ。


「手段は選ばないって感じですねえ」

「私が、王都へ行ったらどうなると思う?」

「うーん。まあきっと第三王子はサイトくんを殺す気はあんまりなくて、今も、なんならお茶でも飲みながら待ってるんだとは思いますが、サイトくんはリューカさんを閉じ込めておきたいんでしょうからねえ。なんとかしてそういう方向に持って行くんじゃねえですか」

「なんとか」

「方法はなんでも。権力で押さえてもいいし、この港の人間を人質にしてもいいし、俺達だけではどうにもならない方法を取れば向こうは勝ちですからね。王族となればなにもかもスケールが違います」

「……ごめん」


 大きく溜息を吐く。


「リューカさん」


 竜日は答えない。じっと沖の方を見つめて黙っている。「ねえ、リューカさ」ぴき、と足元から音がした。「え」竜日の立っている一角が、突如、欠落した。咄嗟にできたことは、ジャカの方へ手を伸ばすことであった。「リューカさん!」ジャカは竜日の手を掴み、自身も大きく後ろへ下がりながら竜日を引き寄せる。

 ジャカは尻から着地して、竜日はジャカの腕の中に抱え込まれている。数秒後、岩が海面に落ちる、大きな音がした。

 ジャカは竜日の身体を強く抱きしめている。身体が大きく上下していた。息も荒く、ぴたりとくっついている胸の奥から絶間なく音がしている。「は」腕に、竜日を抱えているということを確かめるように、更に力が強くなる。「は、あ、よ、よかった……!」ジャカが竜日に手を伸ばした瞬間。ジャカの顔に浮かんでいたのは恐怖心であった。


「ありがとう」

「いや、きっとね!? リューカさんなら落ちてく岩をこう、うまいことして戻って来たんだろうとか、なんなら落ちてもけろっとしてたんでしょうけどね!」


 見たことがないくらいに動揺している。


「ジャカさん、あの、大丈夫」

「そう、大丈夫なんです!」

「う、うん。おかげさまで」


 ジャカの手に触れると、微かに震えていた。声も、出てはいるが掠れていて、音量もイントネーションも安定していない。


「さっきの話は! 俺達が女王様を味方につければ解決します!」

「女王様」

「ええ! いくら王子様とはいえ、現女王陛下に逆らうことはできませんとも!?」


 腕の力は強くなるばかりで、痛いくらいだ。苦しくなって、腕を叩くと、両肩を掴み直して額同士を突き合わせた。ほぼ頭突きであった。


「女王様つったら、どうしたら会えますかねえ!?」


 珍しく、上手く笑顔が作れていない。表面上はこれからの展開をワクワクしているという風だが、さっきの曲と同じ。言い聞かせているような。「――」竜日は一度口を開けて、閉じて、それから改めて口を開く。


「……まだ、なんとかなると思う?」

「いくらでもなんとかなります。大丈夫」

「そうかな」

「そうです」

「なんで?」

「なんとかなると思うからです」


 あまり、頼りになる言葉ではない。こんなものを、みんな信じてくれていたのか、と今更気付く。やっぱり自分は大した存在ではなくて、みんなのおかげで生きている。そう思うと、安心した。


「……なら、大丈夫だね」

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