48
ジャカが一階に降りて行くと、一階は花の匂いに満ちていた。花と、焼き菓子の香りだ。
竜日とマールが談笑している。
マールは竜日に対して敵意しかなかったはずだが。一体なにがどうしてこうなったのか、さっぱりわからない。
恐る恐る近付いていくと、竜日が気付いて「ジャカさん」と呼ぶ。見たことがないくらい楽しそうだ。ぎりぎりと胸が痛むが気が付かなかったことにして笑う。
「えっと、マール様? 今日はどういったご用件で?」
「座って下さらない? リューカさん、お茶を新しく淹れてもらってもいいかしら」
「うん」
「いやリューカさんはそんなことしなくても」
「あら、あなたの部下にこのお茶を美味しく淹れられる方がいらして?」
「大丈夫だよ。ジャカさん。座ってて」
「はい……」
一体何故こんなことに。竜日が持って来たお茶は確かにうまく作られていて、苦みや渋みを一切感じないものだった。花の香りと植物的な柔らかい甘味が抜けていく。
「美味いっすねえ」
「茶葉がいいから」
「あら、流石よくおわかりねリューカさん」
マールが一通りの茶葉を紹介し終えると、一つ咳払いをした。竜日がにこにこ笑いながら聞いているので調子に乗って話すぎたのだろう。話し過ぎていることは、ジャカの顔をみて思い出したと思われる。
「失礼。わたくし、お茶をしに来たわけではなくってよ」
竜日の様子は明らかにおかしくて、マールがなにか話す度に手を叩き出さんばかりに喜んでいる。
「……この間は聞かなかったけれど、貴方がジャカさんね。リューカさんと婚約しているのでしょ」
「へい、リューカさんとは運命共同体ってやつで」
「リューカさんも婚約を解消するつもりはないのよね?」
「ないよ」
よどみのない「ないよ」という返答にギャラリーがどよめいている。一時的に目的を忘れることはあるが、その約束は忘れられたことがない。マールは「そう」とカップの表面を見る。夕日色の液体が揺れていた。
意を決したように顔を上げ、竜日を見る。
「リューカさん」
「うん?」
竜日の声は、ちょっと妬けるくらいに優しい。運命共同体である。そうは言ったが、心臓を炙られているような痛みがある。なにがそんなに許せないのか、後で考えることにして、ひとまずは、これは歓迎すべきことだ、と、言い聞かせておいた。
「……いいえ」
マールの表情は途端に暗い。竜日はずっと心配している。これが見たくなくて、トーリにサヒ市への同行を任せたところもある。元々そんなに器の大きい男ではないと自負している。見えないところにいる分には、いくらか冷静でいられるのは知っていた。
「ごめんなさい。明日また来るわ」
マールが席を立ち、事務所から出て行った。竜日もすかさず立ち上がり「送って来る」と言って後を追おうとした。つい、腕を掴んで止めてしまった。
「リューカさん、やけに彼女を気に掛けますね?」
竜日は恥ずかしそうに笑って答える。竜日にとっての最優先事項。それを叶える為であれば、自分の身柄や未来さえも、知らない男に委ねられるほどに、大切なひとがいると、ジャカは知っていた。
「あの子、桃香ちゃんに似てるんだ」
「そうですか」
「うん。行ってくる」
これはきっと、追体験している。確かに取られたように感じるし、最人の気持ちがよくわかってしまった。
ジャカは竜日の背中を見つめて溜息を吐く。
「カッコ悪ィ」
行かないでほしい、と言わないでいるのが精一杯だった。
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