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 ロアがステージの上に倒れ、動かなくなった。顎が割れたりはしていない。脳が揺らされ、意識が飛んだだけだ。倒れた時にも、変な風に頭を打ちつけてはいないように見えた。


『だ、だれが、だれが、誰が誰が! 誰がこの結果を予測できたでしょうか!? 無敗のまま引退したロア選手に初の黒星だーーッ! 一体、一体彼は何者だ!? まさに異次元の強さ! 驚くことに傷一つありません!』


 実況者はそう叫び、観客は歓声を上げているが、トロ―組の構成員たちは震えている。

 アンジュだけが、無表情でじっと竜日を見つめていた。竜日は待つ。スィスが立てた作戦通り、ダンガ一家の誰かが声をかけて来るのを。


「よう、アンタ。やってくれたな」


 声をかけて来たのは、竜日と同じくらいの身長の男であった。顔の右側に大きな傷があり、ロアよりもずっと地面に根を張った、大木のような印象を受ける。ロアと同じような短髪であるが、印象はまったく違っていた。老人、と言える年齢であろうが、肌や声から活力を感じる。


「ちょっと裏に来てくれや。アンジュ、トクロも一緒に来な」

「へい!」


 アンジュは静かに頷いて後に続き、トクロと呼ばれた男も慌てて着いて行った。闘技場を運営する構成員がトクロに近付く。


「ぼ、ボス!」

「お前らも部屋の外で待機してろ」

「けど、俺達じゃ、束になったって」

「泣き言言うんじゃねえ!」


 トクロと呼ばれた男がトロー組の頭のようだ。小柄で、横幅は竜日三人分くらいある。顔に大量の汗をかいていた。竜日はなにも聞こえなかったフリで、歩いて行った。

 通された部屋は客間のようになっていた。ソファが向かい合って二つ。中央にはテーブルが置かれている。顔に傷のある男はどっかりと座ると葉巻に火をつけ「アンタも座ってくれや」トクロが慌てて用意したグラスに自身が携帯していた酒を注ぐ。


「酒は?」

「飲めない」

「そうかい」


 男はぐっと酒を飲み干し「ああ」と、呻くような声を出した。トクロはだらだらと汗をかいていて、今にも倒れそうなくらい顔色が悪い。


「アンタみたいなのに暴れられちゃあ困っちまうわけだ」


 男の後ろにアンジュとトクロが立っている。アンジュも険しい顔である。


「この闘技場から手を引いてもらえねえか? 見たところ、金が欲しいわけじゃねえだろ」


 トロー組とは違う。対話を試みられている。竜日はじっと正面の男を見た。しっかりと間を取って、空気を重く重くしているが、それは、竜日にプレッシャーをかける為というよりは、ただ、ロアが負けるとは思っていなかった、という、予想外の結果に対する、思考時間のように思えた。


「なにが望みなんだ。それとも、この場所を破壊できれば満足かい?」


 竜日はゆっくり息を吸いこんで聞いた。


「あなたは?」

「てめえ! 質問してんのはダンガの親父だろうが!」

「トクロ、てめえは黙ってな」


 困惑、というよりは落胆、ショックを受けているようにも見える。葉巻を加えて、煙を吐き出す。


「俺はダンガだ。あんたはモモ、だったかい」

「――本当の名前は竜日。竜日伊瀬」


 ダンガ一家のダンガ。話をする相手としては一番だろう。もしかしたら、さっきのロアでも良かったのかもしれない。ダンガは片目を大きく開いて、改めて竜日を見る。


「リューカ? チバン港の救世主もそんな名前じゃなかったか」

「同一人物です。救世主かどうかはわからないけど」

「だな。どうにも迂闊で、こういう時は所属はあかさねえもんさ。もし俺達が、一味率いて港に押しよせたらどうすんだ?」


 アンジュはぎゅっと唇を引き締めて、トクロはにやりと笑っていた。素性がわかれば、大抵の場合大事にしているものもわかる。ただ、竜日には彼らが今すぐなにかをできるとは思えなかった。攻め入るにしても時間がかかるだろうし、トロー組は全員手負いだ。


「その一味って、ボスが殺されても小さな組一つ潰すことを優先するような人達?」

「ああ?」

「港が攻撃されることがあれば、あなたを人質に取って交渉しなきゃいけないな」

「そんなことができると思うのか?」


 もしくは、押し寄せて来る、とわかった時点で行動することもできそうだった。瞬間移動で街に来られるのなら困ってしまうが、海からであっても陸からであっても、徐々に近づくことにはなる。移動中を狙って数を減らす。

 竜日はこくりと頷いた。


「できる」

「何故そう思う?」

「できると思うから」


 そうなった場合、最人の協力を得ることができるか、というのは五分五分だろう。最人が彼らと利害関係を結んだ場合は一緒になってビレイ組を潰そうとするかもしれない。が、完全に潰してしまっては竜日が自由になってしまう。

 煙が満ちはじめた室内だが、思考も視界もクリアであった。竜日はダンガをただ見つめる。


「あなたはどう?」


 部屋には四人しかいない。部屋の外には組員が待機しているが、物の数ではない。トーリが捕まって人質に取られて、ということがあるとやや困るが、この人が、その手段を許すとは思えなかった。武力で勝負を仕掛けて、負けたのだから。


「私をここで押さえておくこと、できそう?」


 竜日はダンガから目を離すことはない。ダンガは大きく息を吐いて、酒をグラスに注ぐことなく身体に流し込んだ。


「……まったく、とんでもねえな」


 手のひらを額に当てて、やはり溜息を吐くしかない。


「無傷でロアをやっちまうしよお。正直打つ手がねえし、これ以上戦ってもお互いに利益がねえ」


 そのあと、ぱん、と勢いよく両手で両ひざを打った。


「――なあ、リューカさん。あんたの望みはなんだい?」


 ダンガの額には汗が浮かんでいた。竜日の望みは一つしかない。


「アンジュさんとの雇用契約の見直しをしてほしい。ここに迷惑をかけたことは申し訳ないと思ってる。稼いだお金は、だいぶ使っちゃったけど、残ってる分は返す。だからあの子たちが安心して暮らせる場所を返してあげて欲しい」


 トクロはばっとアンジュを見た。アンジュは静かに立っていて、ダンガはきょとんと竜日を見る。


「雇用契約……?」

「てめえなにを勝手な……! おかしいと思ったんだ! お前達グルでオレ達をコケにしてやがったのか! ええ!?」


 トクロがアンジュへ詰め寄って胸ぐらを掴む。アンジュはなにも答えなかった。


「お前聞いて、」

「口を挟むんじゃねえよ!」


 トクロの怒号もそれなりの音量だったが、ダンガのそれは部屋を揺らした。アンジュはトクロの腕を振り払うと、竜日の後ろに移動した。


「どういうこった?」


 竜日はアンジュをちらりと見る、ダンガもまたアンジュを見た。


「アンジュ、昨日のファイトマネーは?」

「ゼロでした。そこの、リューカに負けましたから」

「リューカがここに来る前は」

「一晩に何試合したとしても、百とちょっとくらいでした。客の入りによってはそれより少ないことも」

「日雇いで荷物運びしたってもうちょっとあるだろうに……」


 トクロは床に手を着いて息を荒くしている。ぼたぼたと汗が落ちて、身体も大きく震えていた。全てを察したダンガは立ち上がり、アンジュをぽんと叩いた後、トクロの前方にしゃがみ込んだ。


「随分きたねえことしてやがるな? 一体誰の指示だ?」

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