37

 竜日が一歩踏み出すのと同時にアンジュがぐっと身構える。闘技場の主の構えではない。まずしなければならないと思ったことは防御であった。身体を丸めて脇を締め、両こぶしで顎を守る。まだ、竜日はなにもしていない。

 その一歩で、竜日の間合いに入ったのだろう。次の瞬間、なにが起きてもおかしくない、という気がしていた。どころか。さっきまでのらりくらりと話していた人間とは別人になっている。なんなら、闘技場で戦った時も、ここまでの威圧感は感じなかった。

 試合を見て、武術の心得があるのだとは思っていた。実際に対峙しても、勝てるイメージはあった。それなのに。今は。

 雲が月光を隠し、途端に闇が迫って来る。影と一緒に竜日が向かって来た。来た、と思った時には見失って、後ろだと思った時には背後から後頭部を掴まれていた。頭が動かせない。


「はい」


 声を出されるまで、なにか、得体のしれない巨大なものに頭を掴まれている感覚があった。竜日が正面に回ると同時に嫌な気配は霧散した。「ほ、」実力の差は明確であった。スィスの計画を実行するには、竜日を勝たせる必要がある、と感じたが、とんでもないことであった。努力しなければならないのは自分の方。観客が飽きないように、全力で向かう必要がある、の間違いだ。


「本気を出せと言っただろう!」

「え、はい」

「もう一回だ!」

「う、うん」


 完全に負け惜しみであったのだけれど、竜日はやはり、サヒ市最強程度の実力では本気を出せないようであった。考え得る最高に圧倒的な方法で毎回、致命的な隙を突かれてしまう。


「まだ本気じゃないな!? いい加減にしろ!」

「ええ~……?」


 本気だよ。とは言わないところがひたすらに悔しい。トーリとスィスは飽きもせず眺めていて、スィスは見たことがないくらい楽しそうにしていた。


「ははっ! 兄貴楽しそー!」

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