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 最人は、半月ぶりにビレイ組の事務所にやってきた。

 隣の家に入ると誰も居なかったので、事務所に入った。


「おや、アレ―ン様。おひとりでどうしたんですか」


 ジャカ・ビレイは最人が来るのをわかっていたように笑っている。事務所の一階はバーのようになっていて、構成員が昼間から飲んでいたりする。

 今日はジャカが一人だけで、待ち構えていた、という感じが否めない。


「そこまではドッグも一緒でしたよ」


 外で待たせている。それというのも、目的はひとつしかないし、全く大した用事ではないからだ。


「……竜日は?」

「リューカさんは、サヒ市を観光しに行ってますよ。今日でそうだなあ、一週間くらい経つかな?」

「教えてよかったんですか」

「おや、随分うちの組員を舐めてくれますねえ?」


 伝言は正しく伝わっている。竜日一人なら、しばらくは混乱してくれそうな話だったのに。

 サヒ市ならば、闘技場だろうか。王族が出入りすることもあるという噂を聞いたのかもしれない。


「あなたこそ、竜日を過信しすぎじゃありませんか。彼女は誰かに取り入るなんて器用な真似できませんよ」


 ジャカは笑顔を崩さない。張り合うように最人も笑顔を維持する。


「あはは。変な事言いますね。それはあの人が一番得意なことでしょ」


 口の端がぴくりと引き攣る。


「身分が高かったり、他の人間とは違う能力とか、感性を持ってたり。あの人はそういう、一人でいる人が大好きなんです。いや、違うかな。無意識に声かけにいくんですよね。ふらふら近寄ってって世間話して帰ってくる。例えば、ロクミリ村ってのはね。職人ばっかの静かな村なんですけども。どうやらその村で気に入られてるみたいで、毎朝なにかしら貰ってくるんです。温泉だっていつでも入っていいって言われてるみたいだし。今朝もね。どうしてんだって聞きに来たヤツがいたくらいで。いやそれはもう他の港のやつらもそうなんだけれど。とにかく、あの人を自由にさせておけば、世界は平和なんじゃねえかなって割と本気で思ってて」

「なにが言いたいんですか」

「きっとそうやって、優秀で一人きりだったあなたの前に、リューカさんは現れたんでしょう? 今回も、というか、何処に行っても同じですよ」

「好意的な人間ばかりではないし、リューカの自由はちょっと押しつけがましいから、上手くいくかどうかは」

「ははあ。サイトくんはあの人が怖いんですねえ」


 得意気に話し続けている。まさかだった。まさか、世界を超えたその先に、こんな男がいるなんて。

 竜日を丸ごと肯定して「大丈夫」という呪いの言葉を使うのだ。「君ならできる」と劇薬を飲ませる。そんなことをしたら、彼女は。


「だからそうやって、限界を設けようとするんでしょう?」


 このくらいだとか、それはないとか。そういうことを言っておかないと、止められない。留めておけない。勝手にどこかへ行ってしまう。「たぶんですけど」必死だった。必死にしがみついていたのに。


「モモカさんは違ったんじゃないですか」


 つい、笑顔が崩れる。桃香。硝崎桃香。前の世界での劇薬だ。


「あなたになにが」

「わかります。だから、あなたはモモカさんに勝てねーんですよ」


 勝っていた。竜日にとって最人が一番だったタイミングも間違いなくあった。今だって決して圧倒的に負けているわけではないのだが、桃香の存在が重くのしかかる。

 意識して、息を吸って、吐く。


「竜日は随分、貴方にいろんなことを喋るんですね」

「聞けば大抵のことは教えてくれますよ。知らないんですかい?」

「今に手に負えなくなりますよ」

「へえ、日々全力で過ごさせてもらってやす」


 救世主の『リューカ』が、ジャカにどのように見えているのかはわからない。ただ、ジャカの言うことはよくわかる。竜日と一緒にいようと思ったら、暗示をかけて能力を制限しておくか、もしくは。

「あの人がいるだけで、毎日全力で生きられる。これってとんでもないことなんですよ」

「知ってますよ。誰よりもね」


 異次元の武力と直感を携えた彼女についていく。ただ眺めているだけではなく、彼女のやりたいことをやらせたいと思った時、最人や、桃香、もしくはジャカのような、広く全体を見ることができる人間が必要になる。竜日単体では、竜日が言うように、絶対に喧嘩に負けないだけの人間で、効力を最大限発揮するには少し足らない。それでもなんとかするのだけれど、彼女がこじ開けた道を舗装する人間は必要だ。

 婚約者ができるまでは、ずっと、最人がその役をしていた。


「……ただ、ずっと、隣に居て欲しかっただけなのに」


 たった一つ、ずっと一緒にいてくれると約束してくれるなら、どんなことでも協力するのに。ジャカはわざわざ、最人の言葉を拾って言う。


「だったらどうして、婚約者なんてものを」

「僕が望んだわけじゃない!」


 とうとう声を荒げてしまった。竜日の性格を知っていた。婚約者など、いてはいけないものだった。それでも存在しているのは、自分だけの力ではどうにもならなかったからだ。逃げるのならあの時だった。桃香と知り合うよりも前なら、竜日は協力してくれただろう。一緒に、逃げてくれただろう。


「……竜日がいないなら戻ります。僕は竜日に会いに来たんだから」


 友人として、挨拶をしに来ただけだった。


「そうですか」


 竜日が、もしこの空間に飛び込んで来たとしたら、一体どちらに「どうしたの?」と聞くだろうか。どちらにも、という可能性が高そうだが、どちらかを選ぶ必要があったらジャカを選ぶ気がした。もし、ジャカが下らない嘘をつくようなら最人にも聞きに来るだろうが、ジャカは竜日の性格と性質を大変によくわかっている。

 取り入る為、利用する為であればよかったのに。

 事務所から出ようとした瞬間、扉が勢いよく開き、派手なドレスが翻る。


「ごきげんよう! リューカさんはいらして!?」


 彼女は、アレ―ン・チバンの婚約者。この世界における國立最人の婚約者である。婚約を解消する方向で、領主と動いてはいるものの、一方的な婚約破棄は違法になるそうで、難航していた。


「マール」


 このマールがまた、桃香によく似ている。具体的には、本当はもっと落ち着いた色のドレスが好きであるくせに、竜日を威嚇する為だけに、強く見えるよう話し方や格好を工夫しているところだとか。声と胸を張って自身を大きくさせようとする動きだとか。

 流石に、マールの登場までは読めなかったらしい、ジャカがぎょっと目を丸くする。


「マール・マタリ様ですかい……!?」

「その通りよ! 貴女がここの責任者ね? リューカさんと言う方に会いたいのだけれど」

「もう、大人気だなああの人は」


 嬉しそうに言うことではない。マールは首を傾げている。


「サヒ市にいるそうだよ」

「あら、そうですの」


 一週間が経過した、とジャカは言った。一週間もあれば、もしかしたら。


「僕達も行こう。今頃闘技場は潰されてるかもしれない」

「一体どういう意味?」

「急ごう。急げば今日の夜には到着するだろう」

「なにをそんなに急いでいるのかしら。そんなにリューカさんに会いたいと?」

「冗談じゃなく、闘技場の覇権を握っている可能性があるんだ」

「闘技場は、アンジュという負けなしの男を雇っているのよ。本当に誰にも負けたことがなくって」


 駄目だ。嫌な予感しかしない。

 全員を一撃で動けなくして、客をドン引きさせる竜日の姿が見えるようだ。あっという間にその男のところへ辿りつく。茨の中でも、燃え盛る炎の中でも。ただ気になったという理由だけで。「元気?」とかなんとか、ただの挨拶をするのである。ただの挨拶だ。心の中にいる、自身の本体とでも呼べるような場所にまで入って来て、手を伸ばされるような感覚。


「……やっぱり、目を離したのは失敗だったかもしれない」

「さっきから、一体なんの話なの?」


 溜息を吐く。

 竜日は闘技場で、とっくにそのアンジュという男に会っているだろう。

 ジャカの言う通り、竜日は一人でいる人間を見ると、近付かずにはいられない。

 ――その残酷な性質に狂わされて、僕はここにいる。

 ジャカの言うことは、残念ながら全て正しい。

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