34
最人は、半月ぶりにビレイ組の事務所にやってきた。
隣の家に入ると誰も居なかったので、事務所に入った。
「おや、アレ―ン様。おひとりでどうしたんですか」
ジャカ・ビレイは最人が来るのをわかっていたように笑っている。事務所の一階はバーのようになっていて、構成員が昼間から飲んでいたりする。
今日はジャカが一人だけで、待ち構えていた、という感じが否めない。
「そこまではドッグも一緒でしたよ」
外で待たせている。それというのも、目的はひとつしかないし、全く大した用事ではないからだ。
「……竜日は?」
「リューカさんは、サヒ市を観光しに行ってますよ。今日でそうだなあ、一週間くらい経つかな?」
「教えてよかったんですか」
「おや、随分うちの組員を舐めてくれますねえ?」
伝言は正しく伝わっている。竜日一人なら、しばらくは混乱してくれそうな話だったのに。
サヒ市ならば、闘技場だろうか。王族が出入りすることもあるという噂を聞いたのかもしれない。
「あなたこそ、竜日を過信しすぎじゃありませんか。彼女は誰かに取り入るなんて器用な真似できませんよ」
ジャカは笑顔を崩さない。張り合うように最人も笑顔を維持する。
「あはは。変な事言いますね。それはあの人が一番得意なことでしょ」
口の端がぴくりと引き攣る。
「身分が高かったり、他の人間とは違う能力とか、感性を持ってたり。あの人はそういう、一人でいる人が大好きなんです。いや、違うかな。無意識に声かけにいくんですよね。ふらふら近寄ってって世間話して帰ってくる。例えば、ロクミリ村ってのはね。職人ばっかの静かな村なんですけども。どうやらその村で気に入られてるみたいで、毎朝なにかしら貰ってくるんです。温泉だっていつでも入っていいって言われてるみたいだし。今朝もね。どうしてんだって聞きに来たヤツがいたくらいで。いやそれはもう他の港のやつらもそうなんだけれど。とにかく、あの人を自由にさせておけば、世界は平和なんじゃねえかなって割と本気で思ってて」
「なにが言いたいんですか」
「きっとそうやって、優秀で一人きりだったあなたの前に、リューカさんは現れたんでしょう? 今回も、というか、何処に行っても同じですよ」
「好意的な人間ばかりではないし、リューカの自由はちょっと押しつけがましいから、上手くいくかどうかは」
「ははあ。サイトくんはあの人が怖いんですねえ」
得意気に話し続けている。まさかだった。まさか、世界を超えたその先に、こんな男がいるなんて。
竜日を丸ごと肯定して「大丈夫」という呪いの言葉を使うのだ。「君ならできる」と劇薬を飲ませる。そんなことをしたら、彼女は。
「だからそうやって、限界を設けようとするんでしょう?」
このくらいだとか、それはないとか。そういうことを言っておかないと、止められない。留めておけない。勝手にどこかへ行ってしまう。「たぶんですけど」必死だった。必死にしがみついていたのに。
「モモカさんは違ったんじゃないですか」
つい、笑顔が崩れる。桃香。硝崎桃香。前の世界での劇薬だ。
「あなたになにが」
「わかります。だから、あなたはモモカさんに勝てねーんですよ」
勝っていた。竜日にとって最人が一番だったタイミングも間違いなくあった。今だって決して圧倒的に負けているわけではないのだが、桃香の存在が重くのしかかる。
意識して、息を吸って、吐く。
「竜日は随分、貴方にいろんなことを喋るんですね」
「聞けば大抵のことは教えてくれますよ。知らないんですかい?」
「今に手に負えなくなりますよ」
「へえ、日々全力で過ごさせてもらってやす」
救世主の『リューカ』が、ジャカにどのように見えているのかはわからない。ただ、ジャカの言うことはよくわかる。竜日と一緒にいようと思ったら、暗示をかけて能力を制限しておくか、もしくは。
「あの人がいるだけで、毎日全力で生きられる。これってとんでもないことなんですよ」
「知ってますよ。誰よりもね」
異次元の武力と直感を携えた彼女についていく。ただ眺めているだけではなく、彼女のやりたいことをやらせたいと思った時、最人や、桃香、もしくはジャカのような、広く全体を見ることができる人間が必要になる。竜日単体では、竜日が言うように、絶対に喧嘩に負けないだけの人間で、効力を最大限発揮するには少し足らない。それでもなんとかするのだけれど、彼女がこじ開けた道を舗装する人間は必要だ。
婚約者ができるまでは、ずっと、最人がその役をしていた。
「……ただ、ずっと、隣に居て欲しかっただけなのに」
たった一つ、ずっと一緒にいてくれると約束してくれるなら、どんなことでも協力するのに。ジャカはわざわざ、最人の言葉を拾って言う。
「だったらどうして、婚約者なんてものを」
「僕が望んだわけじゃない!」
とうとう声を荒げてしまった。竜日の性格を知っていた。婚約者など、いてはいけないものだった。それでも存在しているのは、自分だけの力ではどうにもならなかったからだ。逃げるのならあの時だった。桃香と知り合うよりも前なら、竜日は協力してくれただろう。一緒に、逃げてくれただろう。
「……竜日がいないなら戻ります。僕は竜日に会いに来たんだから」
友人として、挨拶をしに来ただけだった。
「そうですか」
竜日が、もしこの空間に飛び込んで来たとしたら、一体どちらに「どうしたの?」と聞くだろうか。どちらにも、という可能性が高そうだが、どちらかを選ぶ必要があったらジャカを選ぶ気がした。もし、ジャカが下らない嘘をつくようなら最人にも聞きに来るだろうが、ジャカは竜日の性格と性質を大変によくわかっている。
取り入る為、利用する為であればよかったのに。
事務所から出ようとした瞬間、扉が勢いよく開き、派手なドレスが翻る。
「ごきげんよう! リューカさんはいらして!?」
彼女は、アレ―ン・チバンの婚約者。この世界における國立最人の婚約者である。婚約を解消する方向で、領主と動いてはいるものの、一方的な婚約破棄は違法になるそうで、難航していた。
「マール」
このマールがまた、桃香によく似ている。具体的には、本当はもっと落ち着いた色のドレスが好きであるくせに、竜日を威嚇する為だけに、強く見えるよう話し方や格好を工夫しているところだとか。声と胸を張って自身を大きくさせようとする動きだとか。
流石に、マールの登場までは読めなかったらしい、ジャカがぎょっと目を丸くする。
「マール・マタリ様ですかい……!?」
「その通りよ! 貴女がここの責任者ね? リューカさんと言う方に会いたいのだけれど」
「もう、大人気だなああの人は」
嬉しそうに言うことではない。マールは首を傾げている。
「サヒ市にいるそうだよ」
「あら、そうですの」
一週間が経過した、とジャカは言った。一週間もあれば、もしかしたら。
「僕達も行こう。今頃闘技場は潰されてるかもしれない」
「一体どういう意味?」
「急ごう。急げば今日の夜には到着するだろう」
「なにをそんなに急いでいるのかしら。そんなにリューカさんに会いたいと?」
「冗談じゃなく、闘技場の覇権を握っている可能性があるんだ」
「闘技場は、アンジュという負けなしの男を雇っているのよ。本当に誰にも負けたことがなくって」
駄目だ。嫌な予感しかしない。
全員を一撃で動けなくして、客をドン引きさせる竜日の姿が見えるようだ。あっという間にその男のところへ辿りつく。茨の中でも、燃え盛る炎の中でも。ただ気になったという理由だけで。「元気?」とかなんとか、ただの挨拶をするのである。ただの挨拶だ。心の中にいる、自身の本体とでも呼べるような場所にまで入って来て、手を伸ばされるような感覚。
「……やっぱり、目を離したのは失敗だったかもしれない」
「さっきから、一体なんの話なの?」
溜息を吐く。
竜日は闘技場で、とっくにそのアンジュという男に会っているだろう。
ジャカの言う通り、竜日は一人でいる人間を見ると、近付かずにはいられない。
――その残酷な性質に狂わされて、僕はここにいる。
ジャカの言うことは、残念ながら全て正しい。
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