33

 早朝から、町のまわりをぐるりと一周した。

 町の西端と東端を一本道が続いている。竜日が入ってきた東側はなにもないけれど、西側は牛や羊を飼っている家があった。また、山越えのための中継地点であるだけあって、宿屋も多い。

 中継地点である割に栄えているのは、海が近いこともあるだろうが、闘技場の存在も大きそうだ。拳ひとつでお金が稼げる、というところに魅力を感じて。

 平地なので走りやすい。新たなジョギングコースを走り終えると宿に戻る。

 宿の前に、スィスが立っていた。昨日羽織っていたぼろぼろのローブは脱いでいて、パンツにシャツに青色の帽子。


「おはよう。いいね、それ」


 笑って近づくと、スィスは深く息を吸い込んだ。そして顔を上げて、竜日を見る。


「先生」

「せんせい?」

「夜まで暇だろ? 俺また案内するぜ」


 五秒くらいだ。リューカとスィスは見つめあって、リューカは何も聞かないことに決めて頷いた。


「そう? ありがとう」


 スィスは、安堵した、と言うよりは、やっぱりそうだった、と笑った。予想したことがそのまま起こって、胸を撫で下ろす。


「ちょっと着替えてくる」

「わかった」


 竜日は宿屋の中に入って、二階の部屋に戻ると、すぐに着替えて改めて出てきた。トーリの部屋をノックするか迷ったが、部屋の外までいびきが聞こえていたのでやめておく。


「トーリは?」

「まだ寝てるみたい。いいよ、一緒にいたら気を使わすしさ」

「まあ、よかった。茶化されたら言いにくいし」

「ん?」


 スィスは帽子を外して深く頭を下げた。


「ありがとう。みんな喜んでたし、あれだけの金があれば当面は困らない」

「アンジュさんの待遇が良くなればいいよね」


 スィスは顔を上げ、また、竜日と見つめ合う。


「……なんでわかったの?」

「私はこんなんだから、闘う人って結構見て来てて。あの人は、虚無感、というか、無理矢理、とは違うか。一人だって感じ? あんなに人気があるのに、本当には救われていない、みたいな? わかる?」

「俺が聞いたんだけど……」

「ごめん。ただ、スィスはアンジュさんと知り合いなんじゃないかなと思っただけ」

「なんで?」

「なんとなく。的外れじゃなかったならよかった」


 あまり理由になっていない。スィスは不満げだが、リューカからそれ以上の言葉を引き出すことを諦めて息を吐く。

 二人は歩き出した。


「今日、戦うんだろ? 兄貴と」

「お兄さんなの? いいね」

「いや、ちが、その話はいいから! 戦うよな!?」

「そのつもりだね」

「もし、兄貴に勝ったらどうすんの?」

「うーん。実は考えてなくてね」

「はあ?」

「勝つ方がいいか負けるほうがいいか、とか。あんまり考えてない。どうしたらいいと思う?」

「なんで俺に聞くわけ」

「私もトーリもあんまり考えて動くタイプじゃなくって」

「それは見てたらわかる……」


 竜日は少し懐かしくなる。「理論的という言葉をご存知かしら」と怒る桃香。最近よく思い出す。彼女もまた、最終的にはこれから向かうべき道について、一緒に考えてくれていた。


「そもそも先生は、なにがしたくて兄貴と戦うわけ」

「うーん。大丈夫だって言いに行きたい、と言うか」

「だから、なんなんだよそれ」

「そんなに罪悪感を感じることないよ、と言うか」

「罪悪感? なんで?」

「んー……」

「気を悪くしたらごめんだけど」

「なに」

「私の方が喧嘩は強いだろうから、気が楽になると思う」


 スィスは黙って考える。

 三歩で、一つ閃があり、次の一歩で血の気が引いた。


「まさか。自分なら相手を蹂躙するのはもっと簡単だって話してる?」

「そうそう。言われてやったとか、強制されたとか、いろいろあるんだろうけども。それでもどうにも出来ない相手はいるよ、と言う」

「相対的に、自分はこいつよりひどいやつじゃないって思うってことだろそれ」

「そうそうそう。あいつよりはマシか。みたいな」

「それって――」


 言いかけた言葉を飲み込んだ後に、スィスは続ける。


「……つまり、兄貴を助けたいってこと?」

「具体的な方法を絶賛募集してる」

「こんなガキに?」

「スィスはこの町のことや事情をよく知ってるし、賢いから」

「それも、なんで」

「それはちょっと理屈が喋れる」


 理屈を喋っていない自覚があったの、と目を丸くしている。竜日は苦笑した。


「財布を盗ろうとした時、私たちが町の人間じゃないから狙ったんでしょ。――で、町の人達はさ、君を見逃していたし、路地から出てきた時、ほっとした顔してた。食堂のお兄さんも、随分親身にスィスの話を聞いてる様子だった」


 闘技場が有名になったのはここ数年の話だ。噂が広がり、どんどん色んな人間が来るようになり、管理するためにアンジュという圧倒的な存在が必要になった。


「兄貴が、奴隷同然に使われてんの、俺達のせいなんだ」

「そうそう。それも。内情の話をした」

「ねえ、先生。俺も、兄貴を助けたい」

「うん。がんばってみよう」


 竜日はある程度方向性が決まったことで、肩の荷が降りたらしい。体を伸ばして気楽にしている。


「とりあえず、いい案が思いつくまでは、引き分けにしておこうか」

「負けるとは思わないのかよ」

「負けないと思う」

「なんで?」

「負けないと思うから」

「先生、その自信どっから来んの?」


 竜日は首を傾げていた。最近調子がいい。サヒ市に来てからはやや緊張していたが、それでも、チバン港へ来た時の比ではない。思い当たることはあるような。ないような。

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