32
スィスは、血の繋がらない兄弟たちが眠る姿を見ながら思い出す。
へんなひとだった。
路地裏に無言で連れていかれた時には、何もかも終わったと思ったのに。大変な奴らに手を出してしまった、と。
しかし実際には、町を案内するように言われ、報酬どころか土産まで持たせてもらった。
スィスは、サヒ市の東側、端にある教会に住んでいる。教会としては使われていない為、廃教会に住み着いた、と言うのが正しい。申し訳程度の柵の中には、よぼよぼと歩く鶏が数羽、歩き回っている。
布を敷いただけの寝床に転がり、布を被って眠っている。七歳の妹、五歳の弟が二人、三歳になったばかりの妹が一人。スィスは十歳。全て推定だ。
協会に、一番上の兄貴が帰ってきた。
「スィス? まだ起きていたのか?」
「ああ、兄貴」
もうそんな時間か。いつもは、心配をかけてはいけないと思って、床に転がって目を閉じている。
「兄貴、見てよ」
大切に持ってきた紙の束。男はその正体がわかるとぎょっとする。そこに、闘技場最強の男の影はない。ただの、弟を心配する兄である。
「この金は……!? お前まさか……!」
「違うよ」
スィスは思わず笑ってしまう。「違うんだ」どう話したものか考える。どうやって話しても、この兄は心配するだろう。
あまりに言葉に迷うので、兄もまた、弟へどういう言葉をかけるべきか迷って、ただ隣に座る。
「そうだな。悪かった」
兄のためにと残しておいた食事を差し出す。紙袋には、普段はありつけないような料理が詰めてあった。「スィス」話をしてもしなくても心配されるのだろう。トーリと、あの人はそんな感じではなかった。トーリは、あの人を深く信頼していて、ちょっと納得出来ないことも簡単に肯定していた。そういう自分を誇らしく思っている様子だった。
「やろうとしたら、捕まったんだ」
補修しきれなくなったぼろぼろの窓から、直接月光が入り込む。
「きっとひどい目に遭うと思ってたのに、たすけてくれたんだ。弟や妹の分の食い物までくれて、金まで」
「お前、一体なにをさせられたんだ」
「言いたいことはわかるけど、ホントなんだ」
へんなひとだった。なにも考えていないみたいな。なにもかもわかっているみたいな。スィスは月を見上げた。柔らかく落ちる光は、目を閉じても感じられた。
「大丈夫なんだ、兄貴。わかってる。怪しいし、裏があるかもって、でも、なんだか疑うのが馬鹿らしくなるひとなんだ」
目を開けて、兄と向かい合う。
「今日、闘技場にすげー強い奴が来たろ?」
「お前も来てたのか」
「どう思う? 勝てそう?」
スィスにはわからない。勝てないかもしれないという気持ちもあるが、なぜだか、兄とあの人が戦うのは良いことである気がした。
兄はハッとして目を見開いた。
「まさか」
「そう。あの人、俺が案内したんだ」
「お前やっぱり脅されてるんじゃないのか……」
「違うってば。見て」
弟や妹は、硬い床の上で、幸せそうに眠っている。酷い暮らしではあるものの、今日は腹いっぱい食事をして、眠れる場所もある。必要なものを少しずつ買ってもまだいくらか余裕がある。スィスもまた、何年かぶりに穏やな気持ちだ。明日を生き抜く心配をしなくてもいい。
「この光景は、あの人がくれたんだ」
スィスを近くに置いておいて、兄との戦いを有利に進めようとしているのでは。兄の考えることは手に取るようにわかるが、きっとあの人に、そんなことをする必要はない。
「兄貴が思ってることは何一つ起こらないよ。人質に取られてるとかそんなんじゃないんだ。多分だけど、自分で、どうしてそうしたのか、を説明できない変な人で、どう思うかはまかせるって、全部ぶん投げてくるんだ……」
兄は溜息を吐いた。
「……お前はどうしたいんだ?」
「明日も、会いに行こうと思う」
あの人がなにを考えているのか。何故兄と戦いたいのか知りたくなった。
「きっと明日も、闘技場に行くから」
本当はお礼を言うべきなのに、言えていないのも気になっていた。眠って起きたら、会いに行く。いくらか身なりを整えて。
明日の夜にはきっと、兄とあの人が対峙する。わくわくしていた。どちらかが勝つ、負けるではなく、兄はあの人に対してどういう印象を持つのか気になった。
「兄貴はいつも通りでいいよ。どうするかは、兄貴が自由に決めていいんだよ」
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