25

 詰所からトーリとカルを連れて出た。デュオとドッグ、そして最人は領主邸へと歩いて行った。竜日の右隣をカルが歩いている。彼は最人の世話を任されているから、離れるのが心苦しいようだ。しきりに領主邸の方を気にしている。


「サイトさん、大丈夫でしょうか」

「最人は大丈夫だよ。うまくやると思う」

「姐さんのツレですしね」


 トーリは足取り軽く、両手を頭の後ろで組んで大股で歩いていた。

 國立最人は、一日のほとんどを勉強時間にあてている。ほとんど外には出ない。だと言うのに、じわじわとファンを増やしていることを竜日はよく知っている。「リューカさんは本当に、サイトさんとは恋人ではないの?」「本当に、ジャカさんと恋人なの?」町を歩いているとよく聞かれる。


「何度も言うけど、私はアレのおまけだから。私よりずっととんでもないよ」

「だけど、あの人がここに来てやってたことなんて勉強くらいでしょ?」

「その勉強がね。結局、知識を上手く使う方がたくさんの人を活かせるんだと思う」

「だからそれは! 竜日さんが守ってやってたからでしょ! そうでなければ呑気に勉強なんてできねえんだから!」

「あの手この手でうまいこと持ち上げてくれるね」

「だーかーらー!」


 竜日が最人に勝てることがあるとしたら、殴り合いの喧嘩くらいである。それ以外に勝てるところは一つもない。竜日は、できることができるだけ。最人は、できないことでも可能にしてしまう。

 港の近くまで降りて来ると、派手な柄シャツの男が漁師の寄合に混ざって酒を飲んでいるのを発見した。


「あっ、ボス!」


 トーリは走ってジャカの方へ向かう。ジャカはトーリを見た後、彼が走ってきた方向へ視線を向ける。竜日とカルが見えたはずだ。「聞いてくださいよボス! 姐さんが」また自分は大したことねえって言うんですよ。そう伝えると、ジャカはへらへら笑うながら竜日を褒めたたえ始めるので、竜日は口を閉じるしかなくなる。出来上がっているパターンだ。

 しかし、ジャカはトーリの言葉を聞き流し、目を見開くと慌てて竜日傍へ走ってきた。


「これ!」


 ジャカは竜日がポケットに突っ込んでいた右手を引っ張り出す。右手の指の付け根、関節あたりの皮膚が剥けてしまっている。血は止まっていて、指は問題なく動いているが、赤紫色になった手が痛々しい。


「これ、どうしました。一体誰が」


 カルがびくりと震える。ジャカは犯人を捜すようにカルとトーリを順番に見た。トーリもまたカルと同じように身体を震わせている。


「自分でやったんだ。うまくいかなくて怪我してるだけ。修行不足だよ」

「どうしてリューカさんがこんなことしなきゃなんなかったんです?」

「誰のせいでもないから」


 竜日は何も答えない。ここで話を続けても怪我が治るわけでもない。ジャカはこの場で聞き出すことを諦めた。


「トーリ、カル、後で俺んとこに説明に来い。いいな?」

「はいっ!」


 二人は揃って返事をして、がくがくと震えている。特にトーリの顔色は真っ青だ。こういうやりとりを見ていると、極道らしいと納得する。

 当のジャカは目に涙を溜めて竜日の怪我を眺めている。


「あーもうこれ、結構時間が……早く手当してもらいやしょう。病院は、まだ案内したことなかったっけ」


 病院は中年の夫婦が二人で営んでいるようで、町で医者と言えばここと、もう一つしかないそうだ。もう一つの方は領主様につきっきりで、領主が倒れてからは実質病院が一つしかないのだと笑った。

 竜日の見立て通り、大した怪我ではない。傷口を消毒して包帯を巻くだけの処置だった。包帯を巻く前に見たことのない青色の薬を塗られて、びっくりするくらい痛みが引いた。樹液のような、甘い匂いがしている。包帯の上からにおいを嗅ぐ。


「お大事にね。ジャカちゃんが泣いちまうから」

「ほんとですよ!」


 竜日が、平気で包帯の巻かれた手を振るのでぎょっとしていた。

 ジャカは竜日を家まで送って、そのままトーリとカルに会いに行くつもりのようだった。竜日は右手でジャカの服を掴む。


「何を聞いても、怒んないであげて」

「いいや。ったくあいつら、――様子からするとトーリかな。が、貴女の意に沿わねえことをして、貴方が尻ぬぐいをしなきゃなんなかったとしたら、怒らねえわけにはいきませんね」

「どうしても必要なら、一発だけにしておいて」


 竜日がじっとジャカを見上げる。


「ごめんね」

「リューカさんが謝るようなことじゃねえでしょ……」


 ジャカは身体から力を抜いてがくりと肩を落とした。


「今回だけですよ」

「ありがとう」


 ジャカの服を離すと、リビングのソファに座り、その後、真横に倒れる。「リューカさん?」ジャカはすぐに出かけるのかと思ったが、竜日の姿を見ると顔色を確認しに来て、そのあとグラスに水を入れて持って来る。


「リューカさん」


 竜日は大人しく水を受け取り一気に飲み干す。ジャカは注意深く竜日を見ている。髪を耳に引っ掛けて、他に傷がないか確認している様子でもあった。


「なんか食いますか。怪我が痛むなら痛み止め貰ってきますよ」

「大丈夫。それより今時間ある?」

「そりゃあもちろん! ――そういや、サイトくんがいませんね。カルは居たのに」


 気が付いていたのに言わなかったのか、本当に気が付いていなかったのかはわからない。言いながら隣に座る。


「ええっと、ね」


 相談するには説明が必要だ。不安に思っていることがあるから引き止めたのだが、上手く言葉にできるかわからなかった。


「……どさくさに紛れてサイトくんも一発殴っておきましょうかね?」


 包帯から、微かに甘い香りがしている。竜日は深呼吸をして、ぽつりと言った。


「何を言われてもついて行って、話を聞くべきだったかもしれない」


 これは自分の悪いところだと自覚している。事態が絡まって解けなくてどうしようもない時、ただ目の前にあることを処理したらよいと自分を納得させて、投げてしまう。

 竜日はしっかりと背筋を伸ばして座り直し、改めてジャカを見る。話をするのがあまりうまくない竜日の言葉を注意深く聞いている。


「領主様の息子と、最人がそっくりなの知ってた?」

「いえ。あのあたりの身分の人間ってほとんど外に出ねえし、確か、息子はガキの頃から王都の学校に通ってたと思いますよ。しっかり顔を覚えてるヤツはあんまりいねえんじゃねえかな。今は行方不明で、だから領主は臥せってて、って、え、サイトくんって、でもあれ、サイトくんは」

「そう。領主様の息子じゃない。私と一緒にこの世界に来た。すっごい似てる他人」


 ジャカは自分の手を口元に当てて考える。


「……もしかして、領主の息子をやるって言い出したとか」

「正解」


 頼まれたわけではなかった。自分でやらせてほしいと言い出した。正しいことだと竜日は思う。やるべきだ。騙すことになっても自分たちの為には必要なことだ。この港を拠点にしている以上、ここを守らなければならない。まだ世界のことを知らな過ぎる。それに、領主の息子ともなれば、デュオとドッグは二人がかり、いや、もしかしたらもっと多くの人が最人を守るようになるだろう。領主様はもう二度と息子を失いたくないはずだ。


「そりゃ、町としちゃ助かるけど、リューカさんは守りにくくなっちまいやすね」

「え」


 竜日は思わずぽかんと口を開けた。確かに竜日『が』守るのは難しくなる。そこは心配していなかった。あの騎士達は命に代えても最人を守ろうとするだろう。


「ありゃ? 気にしてるのは別のことですか。だったら、うーん――あ! 権力を笠にリューカさんに言うコト聞かせようとすんじゃねえかって心配してる!」

「……正解」


 ジャカは最人のことが好きではないようだが、最人のことをよく見ている。カルがどんな課題をだして、どの程度できるようになっているかも確認していたし、それだけではなく、誰とどういう話をしたのか(おそらくトーリからは竜日の情報)も把握している。トーリとカルだけでなくとも、町の人間を使えば町で起こっていることはほとんど彼の耳に入るはずだ。


「うーん。権力で、か。どうでしょうかねえ。領主様の息子、アレ―ン様でしたか。確か、婚約者がいらしたんじゃなかったかなあ。相手は山向こうの町の商家の娘」

「偉い人には絶対いるのかな」

「リューカさんにも居ますしね」

「私は偉くない」

「うははは、まあその偉いリューカさんは俺の――ってことは今はよくて、なんつーか。そういうわけで。話は簡単じゃねえと思うな」


 その苦労は、最人が最も良く知るところのはずだ。杜撰な家出を計画するくらいに、困難な道である。


「伝手を辿りまくって、まかり間違って王城とかに入られる。なんてことがなければ全然――」


 王様。

 周りからの後押しと、それを得るだけの努力や実力、行使する知恵、天をも味方につける運と、恵まれたルックス。最後に最人の強い意思が加われば簡単にそこへ手が届くのではと思えた。


「す、すみません。冗談ですから、そんなに絶望しねえでくだせえ。ね。ね?」


 冗談で済んでいる内に帰る方法を探して、手が届く内に実行しなければいけないのかもしれない。

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