22

 竜日は本当に、人の気も知らないで好き勝手なことばかりをする。


「ジャカさんの恋人ということになった」


 開いた口が塞がらなかった。確かに彼らは最初から竜日に対して友好的で、圧倒的な強さを見せたおかげで尊敬もされていた。

 今回ばかりは、竜日であっても適応するのに時間がかかると踏んでいたのに。


「……勝手に全部話したのか」

「帰る方法を一緒に探してくれることになった」


 世界が違う。言動にだって注意が必要だ。重たい足枷になるはずが、竜日は早速何もかも話せる相手を作ってしまった。


「それで、良いように使われたらどうする?」

「大丈夫」

「君が消費されるってことだろう」

「大丈夫だよ。ジャカさんは、大丈夫」


 こういう時、彼女に理由を聞いてもちゃんとした理屈は返ってこない。見るべきところ見ているし、感じ取る部分は感じているのだが、言葉にはならないらしい。


「僕の意見は無視か」


 竜日は答えない。今、この世界では、最人よりもジャカを信じると決めたのだ。


「唯一失う可能性のあるものを、随分適当に扱うんだな」

「最優先だよ。絶対に生きて帰す」


 的が外れている。けれど、竜日の行動は正しい。正しすぎて涙が出そうになる。この状況で國立最人が信用出来ないと思ったとして、普通、そんなに簡単に距離を置くことは出来ない。


「適当なこと言わないでくれ。絶対に帰らない」


 ジャカは竜日に甲斐甲斐しく尽くしているし、組員もそういうボスの姿が嫌ではないようだ。「腹の底から笑ってるって感じで」楽しそうだと微笑ましげに眺めている。

 竜日の言う通り。ジャカは大丈夫。ビレイ組の根は善良である。

 どうにか、今朝の新聞を読み終えた。カルの助けがなくても文字がわかるようになっている。ただし、今日は大変に効率が悪い。

 こういう時は。

 前の世界では、竜日に電話をしたり、こっそり会いに行ったりしていた。いつからか竜日は「桃香ちゃんに悪い」などと言い出すようになってしまったけれど。


「とんでもなく覚えが早いですね……本当にこちらの文字を使うのははじめてですか?」


 カルは、最人がまとめた文章を読んで舌を巻いている。


「先生がいいんだ。竜日だって勉強は苦手だけど、面白くしてくれるからどうにかついて来られている」

「それについては安心しました。ボスは、姐さんは音楽もわかるんだっていうから、苦手なことはないのかと」

「苦手なものも結構多いんだよ。学校の成績は下から数えた方が早かったし、料理も得意じゃないな。感覚でできないことは大抵苦手なんだ」

「そ、そうなんですか……」


 変わりに、武術を磨くうえで研ぎ澄まされた感性は独特で、感覚を掴んだらとにかく早い。

 桃香と三人でダンスを習った時、最終的には竜日が最も動けるようになって桃香は地団駄を踏んでいた。講師すらもおいて行きかねない勢いで「楽しかった」と事も無げに言うのである。

 ――きっと今だけだ。

 その内に、伊瀬竜日を祭り上げることがどれだけ大変なことか気付くだろう。ついていくほうが怖くなって、竜日を手放す可能性だってある。例えばそんな時が来たとしても竜日は「仕方ないか」と次へ行くのだ。縋りつこうとはせず、たった一人でも歩いて行ってしまう。


「カル、僕たちも行こうか」

「! わかりました! 行きましょう!」


 彼も竜日のファンの一人で、トーリを羨ましそうに眺めている。そういう姿が自分と重なった。カルは好きだが、ジャカは好きになれない。未だにほとんど話をしたことがなかった。ジャカも恐らく、最人のことを邪魔だと思っているに違いない。

 港に開かれている市場は、朝昼夜で顔が変わる。

 早朝は魚の競が行われたり、そのまま売られたり、山側で育てている鳥の卵や取れたばかりの野菜も並ぶ。昼には補給や中継地点として港に寄った行商人が風呂敷を広げて薬や、宝石、アクセサリー、龍の体の一部や、虫、動物などを売っている。

 夜の商売は、ビレイ一家の組員達が取り締まっている。賭博であったり、居酒屋への客引きであったり、違法とされる物品の取引もあるようだ。ジャカはそこまで竜日にやらせることはない。竜日の仕事はもっと象徴的なものだ。

 領主の力は弱まっていて、海賊や山賊に好き勝手されていた港。チバン市のチバン港。山向こうの町の領主がこの土地を狙い、山賊を雇っていたという話まであるらしい。ビレイ一家は地域で自然発生した組織で、国や領主の後ろ盾はない。民衆からの人気だけで港を取り仕切っていたが、まさに風前の灯であった。そこに、たった一人で情勢をひっくりかえした竜日は、救世主とも呼ぶべき存在。しかも本人はこんなの大したことではないという顔で、ジャカを含めいかつい男を従えている(ように見える)。

 竜日は存在するだけでこの港を守っている。


「あ、いた」


 市場に竜日の姿を見つけた。

 もう騒ぎは収まっていると思ったが、鎧を着た二人の男に詰められている。トーリが間に立って吠えているのを、竜日はどうしたものかと眺めている。人混みの中に最人を見つけると、視線だけで帰れと示した。無論帰る訳にはいかない。少しずつ前に行く。


「カル、あれは?」

「あ、あれは、領主様の私兵です。肩のところにこの港のマークと同じ紋章が見えますか」


 濃紺の生地に、尾の長い鳥が白抜きにされている。港のいたるところで見るし、この港から積まれる荷物には同じマークが入っている。


「うん。一体なんの用事だろう?」

「大方、姐さんの存在が気に食わなかったとか、そんなことじゃないですかね。領主様は落ち目だし、その内私兵は解散するんじゃないかって話もあるし」

「そうなったらどうなる?」

「国が改めて領主を決めるんですが、たぶん、山向こうの領主が兼任するか、その親族が来ることになると思います。ずっとこの土地を狙ってたんで」

「山向こうの領主じゃ駄目かい」

「土地を取る為に山賊や海賊をけしかけてくるような相手ですよ。ここと同じくらい規模の町なんですが、闘技場が有名で。第三王子もよく遊びに来るとか」

「ふむ」


 ビレイ組が生き残るには、領内で一人でも味方を増やすか、吸収されないよう、より高い地位、力を持つ誰かとコネクションを作る必要があるだろう。もしくは、領主に――。


「だから!」


 トーリが叫ぶ声がする。


「この人は役立たずのテメーらに変わって港を守ってくれてんだっての! 意味もなく喧嘩ふっかけきて、ちょっと殴られたくらいでぎゃあぎゃあ騒ぐんじゃねえよ! 武器まで使いやがって、死んだらどうすんだ! ああ!?」

「貴様らが我々を小馬鹿にするような態度を取ったんだろうが! さっさと詰所までついて来い!」


 竜日は更に後ろに庇っている男に逃げるように声をかけた。男は、腕に切り傷があり血が流れている。竜日は覚悟を決めたようにトーリの肩を叩く。


「もういいよ。ついていくから」

「ついて行く必要がどこにあんすか! なあみんな!」

「あのバカ……!」


 カルは頭を抱えていた。問われた人々は口々に竜日を擁護する。「そうだ! その人に指一本でも触れたら承知しねえぞ!」「お前らの詰所を焼野原にしてやるからなあ!」「町に出たってやることねえんだから隅のほうで大人しくしてな!」溜まっていた領主への不満をぶつけ、私兵の二人を追いつめる。これでは収まるものも収まらない。竜日は逃げるわけにもいかなくなった。


「やっちまえ!」


 と、ついに誰かが言った。声はどんどん大きくなって、先導しているトーリは口元に笑みすら浮かべている。

 竜日は溜息をついた。

 アクションを起こす直前、最人を見る。

 ――ああ、それしかないよ。

 伊瀬竜日は大きく息を吸い、地面に向かって右拳を突き立てる。石畳が砕ける音と、強い振動。衝撃は石と石の間を駆けて、周りを囲う町民の足元にまで及んだ。半径五メートル、直径十メートル。中心にいる竜日が拳を地面から離すと、そこは埋め立てられた土地だったのか、じわりと海水が滲んできた。


「姐さ、」

「ちょっと黙って」


 その言葉は、トーリだけでなく周りの人間にも鋭く刺さる。


「すみませんでした。ついて行きますから、ここを離れませんか」


 一帯に氷水をかけたかのようだ。

 彼女の父の姿が重なる。圧倒的な威圧感で場を掌握してしまって、その行動に誰も文句をつけられない。より追い詰めようなんて以ての外だ。竜日はもう一度最人を見た。トーリを頼む、という視線だろう。

 私兵の内、やや小柄な方が竜日が視線を向けた方向を見る。

 最人と目が合うと、怯え切った瞳に色が戻った。


「あ、――え!?」

「なんだどうし――」

 

 二人は、涙を浮かべて、こちらへ走り込んでくる。竜日は何事かと振り返り、私兵と最人の間に入る。兵は竜日に止められるが、気にせず叫んだ。


「アレーン様!? アレーン様なのですか!!」

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