10
ここでの住まいは、ジャカが用意すると言ってまだ帰って来ない。
「ジャカが戻るまではここ使ってていいからね」
二階は宿にもなっているそうで、女主人が一部屋貸してくれた。
肩幅ががっしりとした、見るからに屈強そうな女性だ。
「ご馳走様でした。とても美味しかった」
「お粗末さま。いい食べっぷりだったよ。なにか飲み物用意しようか。なにがいい?」
最人が答えないので、竜日が考える。
「お酒以外ならなんでも」
「あははは! じゃあおすすめを持ってくるわね」
女主人が持ってきたのはグラスに入った赤い飲み物だった。爽やかな果物のにおいがする。新鮮な果物を今絞った、という瑞々しさ。彼女はなにも言わないが、全ての料理が普段よりも数段丁寧に用意されている。竜日には、そんな気がしてならない。
「いいの? 美味しそう」
「あの二人も言ってたろ。アンタが飲まなきゃ誰が飲むんだい」
「ありがとう。頂きます」
部屋に入って最人にグラスを渡す。一応竜日が先に口をつける。「おいしい」アセロラのような赤色。さっぱりと、南国の果物のような軽やかな酸味が抜けていき、後味に甘みが残る。「おいしい」二度言った。
最人はずっと難しい顔をしている。先程の食事にはほとんど手をつけていなかった。一口だけ飲んで、テーブルに置く。
「僕たちは、海の上で死んだのかもしれない」
竜日は思わずジュースを楽しむのをやめて、目を丸くして最人を見た。
「そんなこと」
「ないって言えるかい? 人間の意識なんて適当なものだよ」
「ないよ」
「何故?」
「そんな気がするから」
だからない。竜日の言葉に最人は肩を竦めた。竜日はジュースを飲み干して、窓から外を見る。見上げている町の人に手を振ると、両手を上げて振り返していた。歓迎されている。
「そこはいいんだ。理由はどうであれ、僕達は別の世界に来た」
「別の世界、だと思う?」
「君もそこは同意できるだろう」
「そうだね」
食べ物も知らないものばかりで、見たことの無い町と、聞いたことの無い地名。「日本語が使えているのも不思議だ」看板や、ちらりと見かけた本の背表紙など。アルファベットに似た文字が書かれているようだが、わかる単語はひとつも無い。
夢だろう、と思うことは簡単だ。
「どうやって帰ればいいんだろう」
「帰る必要はないよ」
竜日は無言で最人を見る。
「僕達はここで生きていくんだ」
帰りたくないと言っていた。クルーザーの上でこのまま竜日と死ぬのだと言って、海の上を漂っていた。
「ここなら、家の人間が追いかけてくることもない」
広い海上であろうとも、そのうち誰か探しに来ると思っていた。もしくは、その内には他の船を見かけることもあるだろうと。
「君も一緒に、ここで二人で」
誰かとどうにか合流したかった。例えば桃香と、一緒に説得すれば良いと考えていた。最悪、國立家の誰かに最人を引き渡し、自分は消えればいい、と。
「駄目だ。私はともかく、最人は帰らないと」
「僕は絶対に帰らない」
思わず途方に暮れそうになる。しかし、竜日は思い出す。最人の隣に立つ桃香の姿を。ずっと守ってきた二人の姿を。
竜日は眉間に皺を寄せて、ぎゅっと拳を握る。
「いいや、絶対に元の世界に返す」
「ふふ」
対する最人は余裕そうだ。自信に満ちている。竜日を嘲笑うように言う。
「どうやって? 君は今まで、頭を使わなきゃいけなことは全部僕に任せてきただろ」
返す言葉がない。実際、この世界でどう立ち回るべきなのか、皆目見当がつかなかった。きっと全てを最人に任せる方がうまくいく。しかしそれでは、最人を元の世界へ返すことはできない。
黙っている竜日の肩に、最人の手が伸びる。最人が触れるより先に、竜日は立ち上がった。
「どこに行くんだい」
「散歩」
帰さなければ。どうにか、最人だけでも。それだけ考えながら扉に手をかける。
「あまり軽率に疑問に思ったことを口にすると不審がられるよ」
随分と今更な警告だった。
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