終幕
変な期待感も持ちながらしばらく覗き込んでいると、何かを引き摺るような音が聞こえてきた。訝しげに見守っていると、死人のように真っ白な肌の女子が四つん這いで這い出てきた。それは夕闇鴉だった。俺は衝撃で目が点になる。彼女が無事に帰還したという安心感よりもどこに行っていてどこから帰ってきたのかという驚きが勝っていたからだ。
引き出しの奥から出てくる某未来の猫型ロボットを連想したが、ロボットでもなければ近未来でもない。死の世界なんてむしろ蓄積された過去の産物であろう。何より衝撃だったのは、全身の血が抜かれたような青白い肌と、燃えるように紅い瞳だ。元々は黒目で肌もここまで白くはなかったはず。これではまるで…………
「死体みたいだって思ったでしょう?」
向こうはどんな世界だったのか。一体何があったのか。聞かない方が身のためかもしれない。
「フクロウ君、なんだか憑き物が落ちたような顔しているわね。未成年の主張をしてすっきりしたのかしら」
「聞いていたんだな。隠すことでもないが、メールのあれは君か?」
「えぇ、私よ。そして襖の奥にいた人は本物のあなたの母ね。向こうで偶然にも遭遇したのよ。いや、ある意味必然とも言えるのかしら。なにせずっと駅舎で待っていたのだから」
歌うような語りに俺は首を傾げる。
「そして彼女からあなたと母のことについて全て聞いたのだわ。あなたは苦労人ね。誰もあなたを責めたりしないわ。勿論あなたのお母さんも」
慰めるような言葉に乾いた笑いが漏れた。
「殺人犯に言うべき言葉ではないな。取り返しのつかない事をしてしまった。取り返す気もないが。警察に連行するか?」
自虐的に話す俺を彼女は包むように抱きしめた。背中にまわされた腕、耳に語る吐息、制服越しに伝わる体温それら全てに熱が感じられず、まるで人形に触れているかのように無機物的だった。だが、ほんのり伝わる冷気が逆に心地良かった。
「お母さんはあなたを恨んでいたりしないわ。それに、死んで安らぎを覚えているとも言っていた。こう考えなさい。あなたはお母さんを苦しみから解放してあげた。これは善行よ」
「それは詭弁だ。人を死に追いやった以上、贖うべき罪なんだから」
「それは生者の思い上がりよ。現世が幽世よりも、生者が死者よりも優越しているという身勝手な価値観からくる暴論だわ。現世も幽世も。生者も死者も平等よ。考えてみなさい。現世で苦しんで自ら命を絶つ者がどれほどいるか。肉体に縛られている分現世の方が不自由で、そして理不尽な世界よ。まぁ楽しい事もいっぱいなのだけれどね」
ほんのりと冷たい抱擁を解いた彼女は小さな笑みを浮かべながらウインクする。
「込み入った話はまたあとでにして、ずっと歩きどおしだったせいで餓死寸前だわ。ここで食べていっていいかしら」
歩きどおしというフレーズから、あの襖の先はそれほど長く続いていたのか不思議に思って覗き込んでみると、いつの間にか中は普通の押入れに戻っていた。どんな所を歩いて何をしたのか質問攻めにしたいとこだったが、今にも倒れそうな様子だったので黙って台所に向かった。
ハンバーグが食べたいですと背後から聞こえてくる彼女からの強い要望は、冷蔵庫の在庫状況を鑑みて却下、豚肉のロースとキャベツの余りを使ってしょうがやきを提供すると、彼女は会話そっちのけでがっつくように食べ始めた。
エネルギー摂取で健やかな代謝が始まっただろうと思ったが、相変わらず死人のように血色の悪い白色のまま。大丈夫かこの人。病院に連絡した方がいいのではないかと迷ってしまう。そんな俺の心配をよそに、彼女は夕飯を食べ終えると、帰宅がてらカラオケに寄りたいと言い出した。
音楽の道に進みたいと言った俺に気を遣っているのかと思ったがそれは杞憂で、部屋に入るなり、3曲連続で曲を入れまくって歌う歌う熱唱する。彼女は肌の色に対して皮肉なまでの熱量を放つ。かくいう俺も続いて曲を入れる。祈るようにマイクを力強く握り、遠い世界にまで響き渡るように叫び上げる。
――この歌声があなたのいる地獄の底まで届きますようにと。
夕闇怪異物語 スイミー @swimmy-swimmy-
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