終幕
先輩は以前同様ゾンビのように自意識を失った状態で戻ってくると、死体をソファに寝かせて扉の前でじっと静止する。我に返って俺に問いかけてくる。美水はどこへ行ったと。
俺は狂気の世界の住人、自我のないゾンビのように虚ろな目で答えた。いつの間にか消えました、と。
ショベルを持って血走った目をこちらに向けて近づく先輩に冷や汗が吹き出たが、それが振りかぶられる前に月乃が舞台演出を開始した。小屋中の壁を殴る蹴る。キッチン用具を投げ散らかす。リュックの中身をぶちまけあちこちへと放り投げる。美水の持ち込んだ書籍が俺の頭部に直撃したが、月乃の働きぶりに応じて不問とした。
そして舞台のラスト、月乃は宇和木先輩の死体を重たそうに持ち上げ、腕と指をかまきり先輩へと伸ばした。お前を呪うと言わんばかりに。かまきり先輩はわき目もふらずに小屋を出ていった。
小屋の扉を開いて外を覗くと、吹雪はすっかり止んでいて、夜の漆黒の中で星が瞬いている。先輩は早々と遠くへ立ち去ったようだった。
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その後、俺と美水は小屋の棚に置かれていた毛布にくるまり、身を寄せ合いながら夜明けまで眠らないように会話で気を紛らわせた。触れ合うお互いの体温で低下する室温の中なんとか耐え凌いだ。女子と身体が触れ合うことにときめきを感じている体力気力は当然底をついているし、口数の少ない美水との会話はなかなかに苦労した。
眠くなる頭を何度も叩きながら無限にも思える時間をやり過ごすと、夜明けの光が小屋に差し込み、俺と美水は歓喜の声を上げた。
獣道を辿って歩いて数時間、登山者用の山道に戻りなんとか帰還することができた。警察の事情聴取で遭難してからの事を全て話し、すぐさま警察の調査は開始された。調査で得た情報の裏付けとして改めて聴取を受けた際に知った事実。
1つ、かまきり先輩こと鎌田切斗は、小屋から逃げた後、雪道に足を滑らせて滑落し死亡したこと。
2つ、宇和木先輩こと宇和木好人の死因は、滑落による頸椎損傷ではなく、岩石で頭部を殴られたことによる脳挫傷とのことだった。つまり、事故死ではなく殺人だったということ。それはつまり、かまきり先輩が殺したということと同義だった。
それはいつなのか。滑落する宇和木先輩をかまきり先輩が助けようとした風に見えたがあれはポーズで、あの時かまきり先輩が宇和木先輩を岩で殴って滑落させたのか。それとも、滑落後に岩で殴り殺したのか。宇和木先輩の首の骨折はかまきり先輩による隠ぺい工作だったのか。疑問点は色々あったが、原因と結果がはっきりしている以上、その疑問は疑問で終わらせても何も変わらないと思い、貧乏大学生の推理モドキはそこで止めておいた。
死に直面するほどの遭難、事故後のPTSDを考慮し、俺と美水は警察から心療内科の受診を勧められた。その際、かまきり先輩の異常行動について先生に聞いてみると、夢遊病者の症状に酷似していると見解を示してくれた。夢遊病者の原因の1つとして挙げられるのが心身のストレス。小屋の中でかまきり先輩と宇和木先輩の間で女性関係で揉めていたのを思い出し、それがかまきり先輩の殺人の発端に、そこに遭難時の極度のストレスと殺人による罪悪感が混ざりあって無意識化の行動に出たのかと考えるともっともらしい納得感は得られたが、真実は墓の中。ゾンビのように墓から起き上がってくることはなく、自ら掘り返すことはもちろんしない。
そういえば死体を掘り返したり幽霊を目にして大騒ぎするなんて、ついこの前の俺みたいだなぁと、我がアパートでくつろぐ月乃を眺めながらしみじみ思った。先輩が視たものが幻覚かどうかはともかく、それでも先輩の目には確かに映っていたのだ。宇和木先輩の亡霊が。
先輩が彼女を他人に奪われて心が欠けてしまったように。
人間は心が欠けて浸食が進むと、生きたゾンビになってしまう。
腐食された心が幻覚を視てしまう生者のなれの果て。
だから人間は心の栄養が必要なのだと思う。
それは人との繋がりでしか得られない自意識からの渇望。
私はここに居るという確かな観念。
俺自身はどうか。
俺は月乃といることで承認欲求に近い何かを満たしているのか。
月乃はどうか。
月乃は俺といることで少しでも自分に対して肯定的になれているだろうか。
成仏に近づいているだろうか。
生者にも幽霊にも感情はある。自意識もある。
生者と死者の境界が肉体の喪失のみだと仮定するならば、俺が死者となっても彼女との繋がりは消えない。
死者同士で繋がり心を満たしていくという幸せ…………もあるかもしれない、なんて。
哲学的思考に埋没しかけたが、テレビを観る月乃の笑顔にどうでもよくなりそこで思考を停止した。月乃が俺の視線に気づいてこちらを向き、俺は気恥ずかしさに目を逸らす。
そして、胸の中に芽生えてしまった一抹の不安も、コップの麦茶と一緒に無理やり飲み下した。
――――なぁ、月乃。もしかしてお前は俺が頭の中で作り出した幻覚なんじゃないか。
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