狂気の裏側
俺は最近とある能力に目覚めた。いや中二病的な意味ではなく。
霊視、つまり、霊や霊的エネルギーを視覚的に捉えることができるようになってしまった。
夕闇さんの解説によると、霊体を直感的に感じ取ることができる霊感とは明確に区別されており、俺の場合、幽霊である秋津月乃と深く関わりを持っていることにより、幽世と縁ができてしまったことが発生要因らしい。
朝起きて居間に行くと女子高生の幽霊が平然と平日の朝からテレビを観ているものだから思わず奇声じみた声を発してしまった。
現在アパートで同居生活をしている秋津月乃。かつて母親に惨殺され首無し幽霊として殺害現場を彷徨っていた女子高生。まだ見つかっていない彼女の生首を探すという奇妙奇天烈な死体探しをして以来、彼女が成仏するのをサポートするという体で同居生活を送っているのだが、霊感のなかった俺は肝心の彼女の姿をこれまで視ることができなかった。夕闇さんに見せてもらった生前の写真から容姿は把握していたのだが、実際に目の当たりにして動揺は隠せなかった。
女子高生とはいえ視えない幽霊だったのだから、同居しているという実感がほぼないもので、夏はパンツ一丁、居間で堂々とエロサイトを閲覧というなんともまぁうら若き男子らしい生活を送っていたくらいだ。彼女を視認した瞬間、そんな恥ずかしいシーンが走馬灯のように駆け巡って居たたまれない気持ちになってしまった。
そんな彼女はというと、俺以上に驚いて目を丸くしていた。硬直する彼女に赤面する俺。時が止まってしまったような感覚がしばらく流れた後。
「――――は、よう。蝶――」
半透明の月乃から発せられるぎこちない挨拶は、周波数の合わないラジオのように音が近いような遠いような、途切れ途切れの音声で発せられた。それは彼女が幽霊であるせいなのか。月乃の声は非常に聞き取りづらかったが、俺が初めて彼女の肉声を耳にした瞬間だった。
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こうして月乃と同居生活らしい生活が再開してしばらく経った頃、登山サークルに入っていた俺は、かまきり先輩(本名の鎌田切斗をもじったあだ名らしい)から、登山の誘いを受けた。定期的にサークル内で開催している登山の中でも初心者歓迎の企画らしかったので快諾した。
今回の登山企画の参加人数は4人と比較的少人数で、1年生は俺と美水の2人のみだった。標高が低い低山だから、登山というよりはハイキング感覚の気持ちで大丈夫だよというかまきり先輩のアドバイスに従い、俺は軽装備で挑んだ。登山1年目の初心者の俺は、どのみち多くの登山道具を持っておらず、軽装備という選択肢しかないのだが、万年金欠の俺にお高い登山道具を簡単に揃えることができないのだから致し方あるまい。
天気予報は晴れマークで、午前中までは順調そのものだった。各自持参したお昼を食べた後の午後、急に雲行きが怪しくなり、それが吹雪となるまで時間はかからなかった。視界が悪くなる中で幅の狭い山道を歩いていると、先頭を歩いていた宇和木先輩が足を踏み外してしまったのか、急によろけて滑落していった。不幸なことに、後ろを歩いていたかまきり先輩まで、助けようと宇和木先輩に手を伸ばしたことで巻き添えで一緒に落ちてしまった。
俺達まで落ちたらまずいと思い、美水が背負っている、身体に不釣り合いなほどパンパンに膨れたリュックと俺の背負う軽めなリュックを交換しようと提案した。それが運の尽きで、美水のリュックを背負おうとした俺は予想外の重さに足を滑らせ滑落。しかも美水を巻き込んで2人仲良く山肌を滑り台。ややなだらかであったのは不幸中の幸いだった。
山肌を転がり落ちはしたが、枯草がクッション代わりになってくれたおかげで擦り傷程度で済んだ。美水の方を見ると、俺のリュックを座布団代わりに敷いて山肌から滑り落ちてくる。なだらかな傾斜とはいえ、転がり落ちながら体勢を整えるなんて芸当ができるあたり、かなりの体幹の良さが伺えるが、人様のリュックをソリにして乗り回す彼女の常識のなさに失笑すら起きなかった。
美水灰利。手順、ルールといった決まり事、決まった流れを大事にする、いや依存するという表現が正しいか。忖度や齟齬、空気感など、マニュアル外にあるような非言語的部分を読み取ることが大の苦手で、俗物的に言うとコミュ障、もっと酷い言い方をすると出来の悪いロボットのような印象の子だった。嘘が苦手で裏表がない分、サークル内で好かれてはいるが、教えられずとも身に着けているであろう常識や倫理感が欠けているということを今改めて今認識した。
泥だらけになったリュックを平然と俺に返す彼女の顔には一転の曇りもない。
「罪悪感というものはご存じですか?」
「罪を犯したことに対して悔いる気持ち」
この通りである。罪悪感の問いを額面通りに返すのみ。ボットかお前は。
俺が背負っていたリュックを彼女に返し、宇和木先輩とかまきり先輩を探そうと顔を上げると、どこからか俺と美水を呼ぶかまきり先輩の声が聞こえてくる。周囲を取り囲む雑木林が視界を遮っていたので声のした方へ強引に進んでいった。登山者用の山道から大きく外れているため、道らしい道もなく、雑多に生え広がる樹木の枝をかきわけていくと、視界が開けた所にでることができた。
雪で霞んではいたが、向こうからかまきり先輩の声が近づいてくるのが分かったので、俺も手を振りながら、ここにいますと応えた。負傷した一方を肩に担ぎながら歩いて近づいてくる。遠くから目を凝らすと、負傷しているのは宇和木先輩のようだった。とりあえず合流できたことに一安心できたのも束の間、2人の様子を見て俺と美水は言葉を失った。
宇和木先輩の首があり得ない方向に曲がっていた。目は薄く開いたまま身動き一つない。なだらかな傾斜とはいえ、危険な体勢で落ちてしまったのだろうか。隣の美水を横目で見ると、口をパクパクとさせながら目を見開いている。目の前の現実を受容できずパニック寸前といった様子だった。
パニックに陥っているのは彼女だけではなかった。宇和木先輩を肩に担いでいるかまきり先輩は、まるでまだ彼が生きているかのように何かを語りかけてはリアクションを取るという1人会話を繰り返している。これはパニック症状というより、現実逃避といえるかもしれない。
何ともなさそうに喋り続けるかまきり先輩を前に、もしかしたら宇和木先輩はまだ生きているのかと一瞬自分を疑うが、首の骨は確実に折れている。だが人間は首の骨が折れても、頚髄損傷で呼吸停止とならない限り、確実に死に至るというわけではない。念のためと、俺は乱れがちな呼吸を整えながら宇和木先輩の口元に耳を当てた。呼吸無し。やはりそれはもうただの死体だった。
急激に込み上げる吐き気に口元を抑える。かまきり先輩は心配した様子で俺に声をかけてきたが、現実からズレた景色を見続ける彼の伽藍洞な瞳に怖気が走り、俺はたまらず嘔吐した。
その時、背中を優しく撫でられたような気がした。そして途切れがちな声が耳元で囁かれる。
「蝶野は、――丈夫。蝶――大大丈」
月乃が痛まし気な表情で俺の背中に寄り添ってくれていた。繰り返し何度も囁かれる彼女の声に合わせ、俺は大丈夫、俺は大丈夫と自分に無理やり言い聞かせる。胃の中の物を全て吐き出して気持ちの悪さはとりあえず収まった。呼吸を整えて立ち上がる。
それから、かまきり先輩の先導でしばらく獣道を歩き続けた。先輩と順繰りで宇和木先輩の死体を担ぎながら足が棒になるまで歩くと、廃屋同然の小屋が見つかった。吹雪を凌げる場所を探していた俺達にとってはかなりの幸運だった。また、それが悪夢の始まりでもあった。
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