幻覚ゾンビ

 吹雪は弱まっていて、ぽつぽつと降る程度に落ち着いていた。あっという間に時間が過ぎていたのか、夜の暗闇が舞い降りていて、視界は一層悪くなっている。それに積雪が増していて、歩きづらさにも拍車をかける。つい先ほど掘った穴に辿り着くまでそれなりの時間と体力を要した。


 一度掘ったおかげで、土は柔らかくなっており、掘り返すのは比較的容易だった。何度も振り上げるショベルに身体がふらつきながらもなんとか再び穴を掘り進めることができた。俺は宇和木の死体を穴に投げ捨て、土をまた被せる。被せた土を何度もショベルで叩き、気休め程度に土を固める。


 埋め終わる頃には、ショベルを強く握ることが困難になるほどまで手の感覚がなくなっていた。手袋を外して何度も吐息を両手に吹きかけて温めるが、今一つ効果はない。体力も気力も限界に近いことは明白で、早く小屋に戻って暖を取らねばと小屋に向かって歩いていった。


 やはり、また背後からねばつく視線を感じて何度か振り返ったが、背後には誰もいない。宇和木が穴から這い出てくる様子もない。穴から這い出て俺より先に小屋に戻ってくることなど、あり得ないのだ。彼はゾンビでも幽霊でもない、ただの死体なのだと何度も自分に言い聞かせた。


小屋の扉を開いた俺は、目の前に広がる異常な光景に羽虫が身体を這いまわるような怖気が走った。血まみれの宇和木が再びソファに転がっている。まるで死体がくつろいでいるようにゆったりとした体勢で、何もない虚空をぼんやり見ている。


 そして、小屋に戻ってきた俺に見向きもしない2人。隼人はぶつぶつと独り言をずっと呟いている。誰もいない隣に視線を向けては、相談めいた深刻な顔つきで何かに語りかけている。いや、彼の隣には、見えるはずのない悪魔が立っているのだろうか。そして隼人に良からぬ事を吹き込んでいるのだろうか。あり得ない。


 彼はこの極度のストレス環境下で狂ってしまったのだ。それは美水ちゃんも同様だった。彼女は再び素数カウントを再開している。何も視界に入れまいと下を向いて病的に淡々とカウントしていく。


 ただ一人、宇和木だけが落ち着いた様子で、ソファに寝転んでいる。この狂った空間を楽しむようにのんびりとくつろいでいる。それがただただ不気味で、俺は目の前の光景が幻覚であることを願った。


 頭を何度も殴りつけては目を凝らすことで悪夢から覚めることを期待した。しかし、それは幻覚でもないれっきとした現実であった。俺は、自分の両手に噛みつき、感覚の薄くなった両手を痛覚で無理やり呼び起こす。指も二の腕も、顎が疲れようが皮膚が切れて血が滲もうがおかまいなしに何度も噛みつく。


 痛みでじんじんと痛む両手でショベルを掴み、ソファに寝転がるゾンビに向かって何度も振り下ろした。殴って殴って突き刺して、殴って殴って突き刺して。ゾンビになっても歩けないぐらいに両足も痛みつけてやった。


 俺の異常な行動に涙を流しながら怯える美水ちゃんにも構わず。見えない誰かに向かって語りかけながらも不審な目をこちらに向ける隼人にも構わず。何度もショベルを叩きつけてやった。


 死体にできた新しい傷口から新たな血が流れ始めてソファを赤く染め上げた。俺はもう2人に事情を説明してもらうことは期待しない。この中で正常なのは唯一、俺だけだ。俺は俺の行動のみ信じる。


 小屋の扉を開け、再びショベルを掴みながら宇和木を肩に担いで外に出る。雪はすっかり止んでいて、雲一つない夜空が広がっている。瞬く星の輝きを目にして、正常な空間に出てきたんだとホッとした。気を取り直して穴のある場所へと向かう。


 柔らかくなった地面を掘り進め、宇和木を埋めて元に戻す。大した食料取っていない中で度重なる重労働で身体中が悲鳴を上げていた。両肩から腕にかけて痛みが走り、身体全体が鉛のように重い。


 それでもなんとか埋め終わり、小屋まで戻ってこれた。背中に感じる視線は相変わらずで、振り向いてもそこには誰もいない。この狂った小屋に戻りたくないというのが本音だった。だが、後輩2人を見捨てるわけにはいかない。それくらいのプライドや尊厳はギリギリ保つことができた。宇和木のようになってしまったら、もはや獣のように醜く生きていくしかない。それは人間ではなくただの動物だ。そんな人間には成り下がりたくないと自分に強く言い聞かせ、俺は小屋の扉を開いた。


 小屋のソファにはやはり宇和木が寝転んでいた。そして美水ちゃんの姿がなくなっていた。


「おい、美水ちゃんはどこに行ったんだ」


「分かりません。いつの間にか消えました」


 隼人は抑揚のない声で短く告げた。それは感情のない人形のように。いや、生きたゾンビであるかのように。


 俺は確信した。やはりこれらは全て隼人が仕組んだ事なのだと。何の目的があるのか、いや恐らく目的なんてものはない。狂ってしまった人間に論理も理屈も通用しない。言葉の通じない人間には、暴力を持ってひれ伏してもらうしか方法はないのだ。そう自分に言い聞かせてショベルを持つ手に力を込める。僅かばかりの体力をふり絞り、目の前の狂人を殺してしまえと自身を奮い立たせる。ショベルを持って少しずつ隼人に近づく。彼へ視線を固定し、瞬き1つせずに間合いを徐々に詰めていく。ショベルが届くギリギリの間合いまで来たところで隼人が口を開いた。


「先輩……………………、助けてください」


 無感情に出てくる彼の言葉に引き出されるように、小屋の壁や床から殴りつけられるような音が聞こえてくる。キッチンに置かれた錆びた鋏が宙に浮いたかと思うと、床の板張りに突き刺さる。ストーブがひとりでに倒される。床に置いていたリュックが次々と壁に叩きつけられる。ポルターガイストのような現象に目を疑ってしまう。


 これも隼人の仕掛けたものだろうか。その疑いはすぐさま取り除かれた。散乱したリュックの中の荷物が空を切ってあちこち飛び交い、美水ちゃんが持ち込んだ重々しい書籍が彼の頭に直撃したからだ。悶え苦しむ彼を見て、コイツの仕掛けたことではないと考え直す。


 それならば、このポルターガイストは本物の怪奇現象ということだ。それを認めた瞬間背筋に悪寒が走る。そして俺は、いつの間にかソファから立ち上がり、こちらを指さす宇和木の死体に驚愕した。


 躊躇もプライドもかなぐり捨て、一目散に小屋を出ていった。俺にはどうしようもできない。なぜ宇和木の死体が動き出したのか、美水ちゃんはどこへ消えたのか、小屋の中で荒れ狂うポルターガイストは本当の怪奇現象なのか。


 あの小屋にはきっと悪魔が棲みついている。一度も振り返らずに必死で夜の山道を駆けながら俺はそう結論付けた。雪に足を取られながらも説明のつかない恐怖が錯乱じみた勢いで両足を前へと突き動かす。夜闇で視界が悪いことも厭わずに走る俺は、その獣道が崖沿いになっていることにも気づいていなかった。


 不意に、疲労で重かったはずの身体が、宙を浮いたようにいきなり軽くなった。

かと思うと、視界の向きが急降下する。


――――――――あっ。


 身体を包む浮遊感と下から上へと吹き抜けていく冷たい大気で自分が落下していると自覚する直後、意識を失った。

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