死体の独り歩き

 俺は小屋の外に出て、周辺に転がっていた手ごろな長さの枝を拾い上げた。小屋に戻って足を抱えて寝転がる宇和木に放り投げる。


「それ杖代わりにして外行くぞー。まだ吹雪いてるから10分程度で済ませるぞー」


 宇和木は恐怖に満ちた表情で俺を見上げたが、一向に動こうとしない彼にショベルを突きつけると、彼は黙って立ち上がり、杖を突きながら小屋の外へ出ていった。


 雪が降り積もる山の足場は悪く、頼りなげに身体を支える棒切れが所在なさげに地面を着きながらゆっくりと先を進んでいく。えっちらおっちらという表現が似つかわしいそんな宇和木の後ろを俺はついて歩いていく。


 時折踏み外して転ぶたびに、足の血が雪に滲んで赤く染まる。背後を振り向くと、小屋から100メートル程離れたここまで一定の間隔で赤い斑点が続いている。俺はそれを見て一瞬頭を悩ませたが、どうせ降り積もる雪に埋もれて見えなくなるだろうと思い直した。100メートル程度とはいえ、吹き荒れる吹雪と草木のおかげで小屋からこちらはほとんど視認できない。ここらへんでいいだろう。


「宇和木さぁ、俺の彼女寝取ってから何回アイツとセックスした?」


「…………そんなん覚えてねぇよ」


 こちらの質問に投げやりな回答だったので、もしかしたら疲労で眠りかけているのかもしれないと思い、ショベルで宇和木の横っ面を殴りつけてやった。


「ちゃんと答えろ。何回セックスしたー?」


 宇和木は立ち上がることなくその場で土下座しながら何度もごめんなさいと謝ってきたので、またもやこちらの質問にしっかりとした回答をしてくれなかったと悲しくなった。左足に一発お見舞い。彼の喉の奥から砂を踏みしめた時のようなざらついた奇声が漏れ出る。


「何回セックスしたー?」


「週1回、1年間、50……回くら、い?もっとかも」


「分かった。それはつまり50回も俺の尊厳を踏みにじったってことだからなー。俺はこのショベルで50回お前の尊厳をぶっこわす。これでおあいこだからなー。これでもう恨みっこなしだからなー」


 ちょ……待っ、言いかける言葉を遮ってショベルを土下座する彼の頭頂部に叩きつける。1発目。倒れ込んで丸くなる彼のわき腹に先端を突き刺す。2発目。頭とわき腹を抑えていたので今度は背中に叩き込む。3発目。もう狙いどころを考えるのも面倒くさいな4発目5発目6発目、7,8、9、10、11、121314151617……………………。


 疲労で息をついた時には、自分がショベルを何度彼に叩きつけたか途中で分からなくなり、そして彼も身体中に血を流してピクリとも動かなくなっていた。だがまだ50回には満たないくらいことは分かった。


 これじゃあまだ俺だけが不遇なままじゃないか、そんな悪態をついても動かなくなってしまった彼から返事が返ってくることはなく、仕方がないと肩を竦めて今度は地面を堀り進めた。身体に積もる雪を時々振り払いながら、かじかむ両手を強く握りしめてショベルを何度も地面に突き刺す。


 30分か1時間か、どれほど時間が経ったのか、時間間隔も肌感覚も麻痺していたが、とりあえず1メートルほど掘ることができた。堅い岩にぶつかってそれ以上掘り進めることができなかったので土堀作業はここで終了とし、その穴に動かなくなった宇和木を放り投げ、土を被せていく。ここで起きた諍いは俺たちしか知らない。いや、今では俺しか知らない。


 今後の方向性について俺と宇和木は口論になり、意見を違えたまま話が平行線となった結果、彼はここを離れてどこかへ行ってしまった。もうここへは戻ってこないと捨て台詞を吐いて。これでいこう。


 腕に疲労が蓄積しているせいか、それとも氷点下を下回る寒さのせいか、両手が、身体全体が激しく震えていることに気がついた。呼吸が次第に荒くなり、視界が狭くなっていく感覚に襲われる。このまま凍てつく外気に晒されるのはまずいと思い、足早に立ち去ろうとしたその時、くぐもった声が背後から聞こえた気がした。


 じっとりとねばつく視線も背中に感じる。恐る恐る振り向くが、周囲には誰もいない。冬眠に失敗した熊ではないかと懸念したが、動物らしき気配も感じない。俺は再び小屋へと歩き出す。小屋に戻るまで何度か背後から視線を感じたが、何度振り向いても視界には誰も映りはしなかった。


 そして、小屋の扉を開いた俺は身体を硬直させる。目の前の光景に思わず目を疑った。こんなことはあり得ないのだ。


――――さっき埋めたはずの宇和木がソファに座っているなんてことが。


――――血だらけの身体で息すらしていない彼が。


――――どうやって俺より先に小屋に戻ってきたというのか。


 死体がひとりでに埋まった土から這い出て小屋に戻ってくるなど、彼がゾンビでない限りそんなこと不可能だ。幻覚でも見ているのだろうか。極限状態に陥り気が触れてしまったのだろうか。


 光の失った彼の瞳は、何も言わずに虚空をじっと見つめている。今にも動き出しそうな気配にびくつきつつ、俺はそっと彼に近づき、指先で身体に触れてみた。冷たい感触が確かに伝わった。すでに生命活動を停止していることもはっきりと分かり、俺は後ずさった。


 ゾンビのように戻ってきた宇和木以上に気味が悪かったことがもう一つあった。それは、隼人と美水ちゃんが宇和木の死体を見ても何の反応も示さないところだった。死体を前にして普通は狼狽えるなり恐怖に震えるなりなんらかの大きなリアクションがあるはずなのに、2人は、まるで以前からそこに死体があったように特別大きな反応を示していなかった。

俺は声を震わせながら2人に問いかける。


「おい、なんで宇和木がこんな血だらけになってソファに寝てるんだ。さっき、俺と口論になってどっか行っちまったはずなのに、なんで小屋にいつの間にか戻ってきているんだよ。誰か説明してくれ」


 動揺しながらも、あくまで宇和木とは口論の末に別れたという建前を据えておく。そして更におかしなことに、宇和木の死体がソファに座っていることになんら驚かない2人は、俺の質問に激しく狼狽していた。


 彼らの認識と俺の認識が根幹からズレているような違和感。気がおかしくなってしまったのは、俺なのか、それとも2人の方なのか。目眩で足元が覚束なくなり、持っていたシャベルを床について体勢を安定させる。シャベルの突き刺さる音に2人は肩をビクッと震わせ、まるで幽霊を見るような恐怖の眼差しをこちらに向ける。


「それ……、は、少し前、に戻ってきたせん――――」


 美水ちゃんは恐る恐る口を開きかけたが、隼人が彼女の口に手を伸ばしてそれを制した。まるで何かを隠しているような怪しさが仕草から伝わってくる。


「なんだ?やっぱ何かあったんだろ。お前ら何か隠しているんじゃないか?隼人、お前が何か仕掛けてるんじゃないか?」


 宇和木の死体は確かに俺がこの手で穴に埋めた。1メートルの穴を掘るというのはかなりの重労働だ。更にこの吹雪の中で。体力のある男性にしかできない作業であるからに、消去法でいくと隼人が穴から宇和木を掘り返してここまで連れてきたとしか考えられない。物理的に色々とツッコミどころがあるが、とはいえ彼しか考えられないのだ。宇和木がゾンビになって1人で小屋に戻っていない限りは。


 俺の追及に対し、隼人は恐怖に歪む表情を無理やり引きつらせて笑顔を作る。


「そんなことより、これからどうすべきかを考えませんか?」


「そんなこと?これからどうするかよりも今は宇和木をどうすべきか考えるのが最優先だろう。俺の質問に応えろ」


 繰り返しの追及とともにショベルを勢いよく床に突き立てる。朽ちかけた木材が割れる音に2人が身体をびくつかせる様子を見て俺はしまったと思った。隼人の歪んだ笑みが不快だったので、つい威嚇するような行動に及んでしまった。彼らは無害で心優しい後輩であるのに、先輩らしからぬ言動をしてしまったことを反省せねば。そう思い、すぐにショベルから手を離した。


「ごめんな隼人、責めているわけではないんだ。でもこの理解できない状況を教えてほしいんだよ。たった今小屋に戻ってきたら、宇和木が死体になってソファに横になっているこの状況をさ。お前ら2人ずっと小屋にいたんだから全部見ていたんだろう?」


 お前がやったんだろうとはあえて言わなかった。彼かもしくは彼ら2人の仕業なのか、悪意があろうがなかろうが、この状況下でいがみ合うのは得策ではない。さっき隼人も身をもって体感したはずなのに。


「上手く、説明ができないんです。なんて言ったらいいのか、俺もワケがわからなくて……」


 隼人の口から出たのは説明になっていない説明で、期待した俺が馬鹿だったとため息をついた。俺は自ら頭を殴りつけて意識を無理やり起こす。床に転がるショベルを掴み上げ、そしてソファに転がる宇和木の死体を肩で担いだ。


「隼人、小屋の扉を開けてくれ。両手が塞がって自力じゃ開けられない」


「どこに行くんですか?」


「死体をこのままにしておけないだろ。近くに埋めにいくんだよ。あぁそれと、宇和木は俺達と別れてどこかへ消えた。もうここには戻ってこないって吐き捨てて立ち去ったんだ。いいな?」


 隼人は困惑した表情で美水ちゃんと顔を見合わせた後、ぎこちなく首を縦に振った。大きな不安が一つ潰せたことにとりあえず安堵し、疲労がたまった身体を無理やり引き摺らせながら宇和木の死体とともに小屋を出ていった。

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