白ウサギを追いかけて

 おにぎりやサンドイッチなど夜間納品の配送業者の方が来る時間は毎日夜22時過ぎ。今日はいつもよりかなり早い21時に納品に来たので驚いた。


 通常なら22時からの夜勤バイトが品出しをするのだが、この時間に来てしまうと夕勤の僕らがやらないといけなくなる。配送業者さんから納品伝票を渡された際に舌打ちしかけたが、厳つい顔をした若い兄ちゃんだったので舌を引っ込めた。


 レジに背を向けて黙々と品出しをしながら、ポッポさんが来店する頃だと何度も後ろを振り向くが、今のところ来店していない。お客さんの来店を告げる店内アラームを聞くたびに入口へ視線を送り、来店客と目が合うのは結構気まずかった。


 ただ、ポッポさんを見逃してしまうよりかはずっといいのだ。私生活においても社会人生活においてもスマホは必須アイテム。生活のライフラインだ。一日でも早く彼女に渡してあげないといけない。太陽のような彼女の笑顔が沈まないようにしないといけない。


 僕はテキパキと品出しをこなしていく。おにぎり、サンドイッチ、サラダ、お弁当……。素早くこなすことに集中していると、先ほどまで耳をそばだてていた店内アラームもどんどん遠くに聞こえていき、ハッとして時計を見ると、時間は21時30分。品出しを開始してから30分も経っていた。


 完全に仕事モードになってしまった。慌てて店内を見回すと、ちょうどコンビニから立ち去るポッポさんの後ろ姿が見えた。日陰者の僕にも神様はお目をかけてくださるとこの時だけ信心深くなり両手を合わせた。すぐに追いかけてスマホを渡そうと立ち上がるが、レジが渋滞気味になっていてレジをしているグエン君が錯乱気味になっている。


 先日グエン君を残してポッポさんを追いかけてしまった手前、今日もグエン君にレジ業務を丸投げするのは申し訳ない。


 でも今日もポッポさんも見失うわけには……。


……………………あぁ、もう!!


「お並びのお客様、こちらのレジへどうぞ」


 とりあえず並んでいる2人のお客さんを急いで捌いた。幸いなことに、大量の商品を買うようなお客さんはいなかったので、あっという間にレジを終えることができた。レジ待ち客を消化できたと思ったら、再び客が何人か並び始めたが、これ以上相手にしているとポッポさんを見失ってしまう。


 横を見ると、グエン君も落ち着いてレジをしているようだ。


「グエン君!一旦お店出るから!お客さんに忘れ物渡しに行くから!」


 端的に要件を伝えてコンビニを走って出る。


「チョットマテヨ!!マジフザケンナヨ!!ヒキタオスゾコノヤロウ!!」


 背中でグエン君の悲鳴を受けたが、ポッポさんのためだと僕はそれを黙殺した。


----------


 コンビニを出た直後、昨日と同じ強い立ち眩みに襲われた。昨日ほど驚くことはなく、すぐにその場にしゃがみこんで収まるのを待つことにする。ポッポさんはロータリーを挟んだ通りの向こうを歩いていたが、まだそう遠くもなく、走って追いかければ間に合う。


 数十秒で立ち眩みは収まり、僕は走って彼女を追いかける。車通りがほとんどない横断歩道は信号無視で振り切っていく。鈍重な身体のせいでわき腹がすぐに痛くなったが、距離が近くなってきたこともあり、走るペースを落とした。


 大通りから外れ、人通りの少ない住宅街に入る。ポッポさんは100メートルほど先を歩いていた。後ろ姿しか見えないが、小柄な身体に暗いブラウンの髪色、タイトなスーツ。間違いなくポッポさんだ。


 等間隔で照らす街灯は古いせいなのか、チカチカと不安定に明滅する。まるで小さなスポットライトに照らされる舞台女優のように現れては消え、現れては消えを繰り返す彼女にボーっと見惚れてしまった。


 ふと、目を疑った。


 明滅する小さなスポットライトに照らされて再び現れるはずの彼女の姿が、一瞬そこにはいなかった。それは見えざる何かが気まぐれに起こした手品のように、夜闇が作りだす漆黒のクロースでふと彼女を隠してしまったのかと息が止まる。


 不意に訪れた異変に戸惑ったが、明滅した街灯は再び舞台上の彼女を照らし出した。

 昨日今日に続く立ち眩みのせいで錯覚を起こしているだけだ。

 そうでなければ、人間が急に目の前から姿を消すなどあり得ない。


 故障気味の頭を何度か軽く叩いて起こし、早く追いかけようと意識を切り替えた直後。


「残念だわ。またここに来てしまったのね」


 聞き覚えのある声が真横から聞こえた。


 マンションのエントランス付近に据えられたベンチ、夜の闇にまぎれるように1人の女子が座ってこちらを見ていた。


 血の気が全く感じられない不気味な白い肌。

 夜の暗闇の中で煌々と光る紅い瞳。

 昨日僕に声をかけた幽霊系少女だった。

 

 思いがけぬ登場人物に、うぇっ!?と声が漏れてしまった。


 ポッポさんに声が聞こえてしまったかと思ったが、ポッポさんは同じペースで歩き続けている。こちらを振り返る様子はなく、ほっとした。


…………………………………………?


 僕はなぜ今ホッとしたのだろう。

 こちらの存在に気づいてもらった方がむしろ好都合なのに。


「でもまだ間に合うわ。これ以上彼女を追いかけてはいけない。また繰り返される輪廻にはまり込んでしまうのだわ。そのスマホはあなたが渡さなくても、彼女はいずれコンビニに取りに来るか、新しい物を買い直すだけ。それで終わりなのよ。これ以上踏み込んではいけない」


 昨日に続き、相変わらず理解不能な電波発言に別の意味で立ち眩みを起こしそうになる。鋭くなる紅い瞳は、彼女の真剣さと異質感を同時に際立たせていく。


「り、輪廻ってなに。何を繰り返すっていうのさ。ま、毎日似たような日々を繰り返すのは、誰しも当たり前のことだろう。早く追いかけないとまた見失っちゃうから。も、もう、行くから!」


 緊張のせいでどもり気味になってしまったが、なんとか最後まで言い返すことができた。幽霊系少女を振り切るように走り出し、ポッポさん追跡を再開する。


----------


 住宅街を抜け、歩道橋を渡って国道を通る。ポッポさんの変わらぬ歩行速度に対してこちらは小走りの速度。本来距離は縮まっているはずなのに、ずっと距離が変わっていないような気がする。


 近くもならず遠くもならない。


 運動不足からくる圧倒的持久力不足のせいか。走っているつもりになっているだけでスピードは大して上がっていないのかもしれない。気温が低い夜中であってもここまで走れば汗の一つでも搔いているはずだが、身体が汗で濡れている感覚もない。無自覚でさぼっているというのか。


 代謝の悪い脂肪め。

 たるんだ腹を叩くと、パンパンという景気の良い音が人通りのない道に響き渡る。


 ポッポさんは高架下のまっすぐな道をしばらく歩いており、僕は彼女を視界の端に捉えつつ腕時計をちらっと見る。時刻は10時過ぎ。


 他人事ながら毎日駅から自宅までのこの距離を通勤として歩いているポッポさんに尊敬の意を、彼女の背中に向けて気持ちだけそっと送ってあげた。それを察したわけでは当然ないと思うのだが、僕の送った想いをひらりと躱すように左の路地に入っていった。


 しゅんってなった。おっさんが拗ねても誰も慰めてはくれないので表情には出さない。


 彼女を見失うまいと走って後を追うと、そこは街灯もない路地裏だった。隣り合うマンションの大きな体躯が夜の闇に重ねてより一層濃い影を作り出す。別世界へと繋がっているトンネルのような真っ暗な路地裏で、そこは袋小路となっていた。マンション同士の裏手に当たるそこは、住宅街を伸びるいずれへの道とも繋がらない閉じた空間。


 そこには誰もいなかった。


 ポッポさんはどこへ行ったのだろうか。

 後を追いかけてくる存在に気づいてどこかに隠れたのか。


「コ、コンビニでレジをしていた従業員の者です。忘れ物渡しに来ました。ス、スマホ、レジに置き忘れで、届けにきました」


 弱々しい声ではあったが、誰もいない真夜中の路地裏には十分に通ったはずだった。

 しかし、不気味に佇む沈黙が、目の前の光景の不可解さを物語っていた。


 徐々に速まっていく心臓に急かされ僕は後ずさる。


 一歩、二歩、三…………………………………………あっ


 後ずさる三歩目が地面を踏みしめる前に、背中が柔らかい何かに当たる感触がした。

 速まる心臓が急に飛び跳ね、身体が硬直する。

 決して見てはいけないナニカが今真後ろにいる。


――――振り返ってはいけない。


 全身から伝わる悪寒でそう直感する。


「だから、彼女を追ってはいけないとあれほどあなたに忠告したのだわ」


 耳元に直に響く冷たい声色は、つい先ほど聞いた女子の声だった。


 反射で振り返った僕は、不覚にも密着してしまった幽霊系少女の胸と耳元まで接近した唇、肩にかかる長い黒髪のこそばゆい感触を認識する。


「人の忠告というものは素直に聞くものよ。特に年下の人間の意見というものは、世間や一般常識に縛られすぎていない率直なものが多いのだから」


 女性経験が少ない僕が女子高生と接触したことによるショックなのか。

 それともゼロ距離で覗いてしまった彼女の紅色の瞳の奥に、別の世界が映っているような錯覚を視てしまったせいなのか。


 現実感の喪失に再び強い立ち眩みが襲ってくる。

 グラつく視界の中で僕はぼんやりと思った。

 また失敗した。

 でもまた明日やり直せばいい。

 ポッポさんがコンビニに買い物に来る限りは何回でもコンティニュー可能だから。

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